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第29話 「過去が座っている席」

第29話

「過去が座っている席」


駅前の喫茶店は、思っていたよりも普通だった。

古い木のテーブル。

少しだけ沈んだ照明。

コーヒーの匂い。

その“普通さ”が逆に落ち着かない。

湊と灯は、入口の前で一瞬だけ止まる。

灯が小さく言う。

「ここに……いるんですよね」

湊は頷く。

「います」

短い返事。

そのまま中へ入る。

店の奥。

一番端の席。

そこに――いた。

女性。

年齢は湊と同じくらい。

髪は少しだけ乱れている。

こちらに気づくと、

ゆっくり立ち上がる。

「……来てくれたんだ」

その声は、

責めでも喜びでもない。

ただ、確認だった。

湊は一歩前に出る。

「久しぶり」

女性は少しだけ笑う。

でも目は笑っていない。

「“久しぶり”って言うんだね」

その一言で、

空気が少しだけ変わる。

灯は後ろに立ったまま、

動けない。

“この人が過去”

それだけで十分だった。

女性は湊を見る。

「連絡、ずっと無視してたよね」

湊は否定しない。

「必要だと思わなかった」

その瞬間。

女性の表情が少しだけ崩れる。

「そういうところ」

「昔から変わってない」

静かな声なのに、

刺さる。

湊は黙る。

灯はその横顔を見る。

(湊さん、今……揺れてる)

初めて見る揺れ方だった。

女性は灯に目を向ける。

「その子?」

灯の肩が少し動く。

湊が短く言う。

「今、一緒にいる人です」

女性は小さく息を吐く。

「また“守る対象”作ってるんだ」

その言葉に、

湊の指が一瞬だけ止まる。

灯が一歩前に出る。

「守られてるだけじゃないです」

自分でも驚くくらい、

声が出た。

女性は灯を見る。

「じゃあ何?」

灯は一瞬詰まる。

でも、言う。

「ここにいるのは、私の意思です」

沈黙。

女性は少しだけ目を細める。

「……へぇ」

その“へぇ”は、

評価じゃない。

試す音だった。

湊が低く言う。

「今日は、その話じゃない」

女性はすぐに返す。

「じゃあ何の話?」

湊は少し間を置く。

そして言う。

「終わらせるための話」

その瞬間、

女性の目が変わる。

「終わらせる?」

湊は頷く。

「過去の関係を曖昧にしたままにはできない」

女性は笑う。

でも今度は、少しだけ感情が混ざる。

「あなたがそれ言うの?」

「一番曖昧にした人が」

空気が一気に重くなる。

灯は気づく。

これは“説明”じゃない。

これは“未解決の感情”だ。

女性は静かに言う。

「あの時、私が出ていった理由」

「まだ分かってないでしょ」

湊は答えない。

答えられない。

灯はその沈黙を見て、

初めて理解する。

(この人、湊さんを責めてるんじゃない)

(まだ終わってないんだ)

女性は続ける。

「優しいままでいようとするから」

「全部中途半端になるんだよ」

その言葉で、

湊の顔が少しだけ歪む。

初めて。

本当に少しだけ崩れる。

その瞬間。

灯が言う。

「それでも」

女性が見る。

灯は続ける。

「それでも、今ここにいるのは事実です」

「過去じゃなくて」

「今です」

静か。

店の音が全部消えた気がする。

湊は灯を見る。

初めて。

“守られる側”じゃない顔。

女性はしばらく黙る。

そして、小さく笑う。

「……変わったね、湊」

湊は答えない。

女性は立ち上がる。

「じゃあ一つだけ」

出口で振り返る。

「ちゃんと終わらせてよ」

「じゃないと、また壊れるよ」

そう言って、

出ていく。

扉が閉まる。

静けさ。

でもさっきまでとは違う静けさ。

灯が小さく言う。

「湊さん」

湊は答える。

「はい」

灯は続ける。

「今の……大丈夫ですか」

湊は少しだけ笑う。

でも、初めて少しだけ弱い。

「……大丈夫じゃないかもしれません」

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