「朝の気配」
「朝の気配」
朝は、思っていたより静かに来た。
カーテンの隙間から、
薄い光が部屋に差し込む。
二〇四号室。
灯はまだ眠っていた。
毛布を少し握ったまま、
小さく呼吸をしている。
昨夜の緊張がほどけた顔だった。
湊はソファで目を覚ます。
体は少し固い。
でも、不思議と嫌な疲れではなかった。
時計を見る。
朝6時少し前。
外はまだ静かだ。
湊はゆっくり立ち上がり、
キッチンに向かう。
お湯を沸かす音だけが響く。
その音で、灯が少しだけ動いた。
「……ん」
小さな声。
目をこすりながら、
ゆっくりと起き上がる。
「おはようございます」
湊は振り返らずに言う。
灯は一瞬きょとんとして、
それから小さく笑う。
「……おはようございます」
その声は、
昨夜より少しだけ軽かった。
湊はカップを二つ用意して、
コーヒーを注ぐ。
「飲めますか?」
「はい……たぶん」
湊は一つを渡す。
灯は両手で受け取る。
湯気が上がる。
その光景が、
少しだけ現実味を取り戻していた。
しばらく無言で飲む。
でも、その沈黙は昨日とは違う。
“壊れそうな静けさ”ではなく、
“落ち着いた静けさ”だった。
灯がぽつりと言う。
「……昨日のこと、まだ夢みたいです」
湊は少しだけ頷く。
「そういう日ってありますよね」
灯はカップを見つめながら続ける。
「全部終わった気がしてたのに、
まだ続いてる感じがして」
湊は少し考えてから言う。
「たぶん、終わるってそういうものじゃないんだと思います」
灯は顔を上げる。
湊は続ける。
「昨日みたいなことが“過去になる”までには、時間がかかるので」
灯は静かにその言葉を聞く。
外で鳥の声がした。
ほんの小さな音。
それがやけに大きく感じる朝だった。
その時。
灯のスマホが、
机の上で一度だけ光る。
ブブッ。
灯の手が止まる。
でも今回は、
すぐには反応しない。
ただ、画面を見つめるだけ。
湊は横から言う。
「今は、いいと思います」
灯は少し迷ってから頷く。
「……はい」
その返事は、
昨日よりも確かだった。
しばらくして。
灯は小さく息を吸う。
「湊さん」
「はい」
「私、昨日よりは少しだけ……ここにいてもいいって思えてます」
湊は少しだけ驚いた顔をしてから、
静かに笑った。
「それは、よかったです」
灯は少しだけ視線を落とす。
でも、その口元はほんの少し緩んでいた。
朝の光が部屋を満たしていく。
まだ“帰ってきたくなる場所”には遠い。
それでも。
昨夜とは違う温度が、
確かにそこに残っていた。
そして湊は、
ふと気づく。
(この朝が続くかどうかは、今日次第なんだろうな)
その考えの先で。
ドアの外から、
また小さな足音が聞こえた気がした。




