「ドアの向こう」
「ドアの向こう」
「……灯、そこにいるのか?」
その声が落ちた瞬間、
灯の肩がはっきりと震えた。
湊はすぐに視線を灯に向ける。
灯は答えない。
答えられない、という方が近い。
呼吸が浅くなる。
さっき落ち着いたはずの静けさが、
一気に崩れかけていた。
コンコン。
もう一度ノック。
「開けてくれ。話がある」
湊はドアの前に立ったまま、
すぐには開けなかった。
代わりに静かに聞く。
「どちら様ですか」
外の声は少し苛立ちを含む。
「親だ」
その一言で、
灯の表情が固まる。
湊は一瞬だけ目を細めた。
(……母親じゃない)
さっきの電話と一致する存在。
でも“直接ここに来た”。
それは、想定より少し重かった。
灯が小さな声で言う。
「……湊さん」
その声は、助けを求めるというより、
“判断を預けてしまいそうな声”だった。
湊は少しだけ振り返る。
そして、
ゆっくり言う。
「大丈夫です。まずは出ません」
その言葉で、
灯の呼吸が少しだけ戻る。
しかし。
外の声は続く。
「勝手に出ていって、連絡もよこさないで何してる」
「ちゃんと説明しろ」
ドア一枚を隔てて、
圧がじわじわと部屋に入り込んでくる。
湊は扉を見たまま考える。
(ここで開けるべきか)
(それとも拒否するべきか)
その判断は、
灯の状態次第だった。
湊は灯を見る。
「灯さん」
灯は小さく顔を上げる。
湊は静かに聞く。
「会いますか?」
その問いに、
灯は固まる。
会う。
会わない。
その二択が、
今までで一番重かった。
外の声はまだ続いている。
「いい加減にしろ、灯」
その言葉に、
灯の目が揺れる。
でも――
さっきまでと違うのは。
灯はもう、
ただ逃げてはいなかった。
小さく息を吸う。
そして、
震える声で言う。
「……会います」
湊の目が少しだけ動く。
灯は続ける。
「でも……一人じゃ無理です」
その瞬間。
湊は静かに頷いた。
「分かりました」
そして、
ドアノブに手をかける。
外の気配が一瞬強くなる。
湊は一拍置いて、
ゆっくりとドアを開けた。
廊下の光が、
部屋の中に流れ込む。
その向こうに立っていたのは――
灯とよく似た目をした、
疲れた顔の男だった。
男は湊を見て、
一瞬だけ眉をひそめる。
そして言う。
「……お前は誰だ」
その問いに。
湊はまっすぐ答えた。
「隣の部屋の者です」
短く、静かに。
その瞬間。
灯の人生と、湊の静かな日常が、
初めて“外の現実”とぶつかった。




