「静けさのあと」
「静けさのあと」
夜は、やけに長く感じた。
灯はまだ床に座り込んだまま、
動けずにいた。
涙はもう止まっているのに、
呼吸だけが少し乱れている。
スマホは机の上。
画面はもう光っていない。
それでも、
さっきまでの声が残っている気がした。
湊は少し離れた場所に立ったまま、
無理に近づかなかった。
「水、飲めますか」
そう聞くと、
灯は小さく頷いた。
湊はキッチンからコップに水を入れて、
そっと置く。
灯はそれを両手で持って、
少しずつ飲む。
一口。
二口。
喉を通る音だけが静かに響いた。
その様子を見ながら、
湊は思う。
(今は“正しさ”じゃない)
(落ち着くことが先だ)
灯がコップを置く。
「……すみません」
また、その言葉。
湊は少しだけ首を振る。
「謝る必要はないですよ」
灯は目を伏せたまま言う。
「でも……怖かったです」
「うん」
湊はそれだけ返す。
否定しない。
説明もしない。
ただ、受け止める。
その“うん”が、
灯には少しだけ救いだった。
沈黙。
時計の音がやけに大きい。
カチ、カチ、と規則的に進む。
その中で、
灯がぽつりと聞く。
「湊さんは……怒らないんですね」
湊は少しだけ考えてから答える。
「怒る理由が、今はないので」
灯は少し顔を上げる。
湊は続ける。
「怒るより先に、落ち着いてほしいって思いました」
その言葉に、
灯は小さく息を吐く。
「……変ですね」
「何がですか?」
「普通、もっと……止めたりとか、説教したりとか」
湊は少し笑う。
「そういうの、あまり得意じゃないです」
灯は少しだけ視線を落とす。
でも、
その口元はほんの少しだけ緩んでいた。
その時だった。
コンコン。
軽いノック音。
二人の動きが止まる。
こんな時間に。
湊がゆっくり扉を見る。
もう一度。
コンコン。
灯の肩が一瞬強張る。
湊は小さく息を吸って、
扉に近づいた。
「はい」
ドアの向こうから、
男の声がした。
「すみません、隣の者なんですが」
湊は一瞬だけ目を細める。
灯を見る。
灯の顔が、
明らかにこわばった。
その声を――知っている気がしていた。
扉の向こうの声は続く。
「……灯、そこにいるのか?」
その瞬間。
部屋の空気が、
一気に変わった。




