第4話 謝らないでください
大会前日、里帆の過去をえぐるような悪意ある噂が広がります。
自分が関われば、芽衣たちまで傷つけてしまうかもしれない。
そう思い、グラウンドから離れようとする里帆。
けれど、そんな彼女を待っていたのは、逃げずに立つことを覚えた少女たちでした。
グラウンドに着くと、部員たちは全員集まっていた。
練習はしていない。
ベンチ前で、里帆を待っていた。
芽衣が一歩前に出る。
里帆は先に言おうとした。
「みんな、ごめん。私がいると迷惑が」
「迷惑じゃありません」
芽衣が遮った。
いつもより強い声だった。
「私たち、見ました。SNS」
里帆の胸が沈む。
「だったら、なおさら」
「瀬名さんが、私たちを利用してるなんて思ってません」
芽衣の後ろで、部員たちが頷いた。
「瀬名さんが来てから、練習きつくなったし」
「めっちゃ走らされるし」
「エラーしたら顔見ただけでバレるし」
「正直、怖い時もあります」
里帆は思わず目を丸くした。
部員たちは笑った。
芽衣も少し笑って、それから真剣な顔に戻った。
「でも、私たちは、瀬名さんに教わったソフトが好きです」
里帆の目の奥が熱くなった。
芽衣は帽子を胸の前で握った。
「瀬名さんが来る前の私は、マウンドに立ってるだけで、ずっと謝る準備をしてました」
里帆は息を呑んだ。
「打たれたらどうしよう。迷惑かけたらどうしよう。私なんかが投げていいのかなって、そればっかり考えてました」
芽衣の声は震えていた。
でも、目は逸れていなかった。
「でも今は違います。打たれても、次の一球を投げたいって思えるんです」
里帆は何も言えなかった。
「瀬名さんは、私に謝るなって言いました。自分の球を信じろって言いました。だから、瀬名さんも謝らないでください」
言葉が出なかった。
蒼真がベンチに寄りかかって、腕を組んでいる。
何も言わない。
里帆は部員たちを見た。
泥のついた練習着。日焼けした頬。少し不安そうな目。それでも、逃げずに立っている足。
この子たちは、もう自分の後ろに隠れていない。
なら、自分だけが逃げるわけにはいかない。
「……分かった」
里帆はゆっくり頷いた。
「明日、勝とう」
その瞬間、部員たちの顔が変わった。
勝てたらいいね、ではない。
勝とう。
その言葉を、初めて全員が同じ温度で受け取った気がした。
大会当日。
朝の空は、よく晴れていた。
会場の市営球場には、各校の選手たちが集まっていた。応援の声、スパイクが砂を噛む音、バットがボールを叩く音。すべてが里帆の記憶を揺らす。
けれど、不思議と昨日ほど怖くなかった。
グラウンドに立つのは、里帆ではない。
芽衣たちだ。
自分は、その背中を見るためにここにいる。
一回戦。
相手は去年、大差で負けた高校だった。
初回、芽衣は先頭打者に四球を出した。
ベンチに緊張が走る。
芽衣の顔が曇る。
里帆はベンチから声を出した。
「芽衣、目」
それだけでよかった。
芽衣は一度深く息を吸い、ミットを見た。
次の打者を内野ゴロ。続く打者を三振。最後は外野フライ。
無失点で戻ってきた芽衣は、少し震えていた。
「今の、怖かったです」
「うん」
「でも、逃げませんでした」
「見てた」
里帆が言うと、芽衣は嬉しそうに笑った。
試合は接戦になった。
相手の方が経験はある。打球も強い。守備も安定している。
けれど、こちらは粘った。
強い当たりが打てなくても、転がす。走る。相手の焦りを待つ。守備では一つずつアウトを取る。
最終回、同点。
二アウト二塁。
芽衣が打席に立った。
投手としてここまで踏ん張ってきた少女の肩に、今度は打者としての責任が乗る。
ベンチの部員たちは祈るように見つめている。
里帆はサインを出した。
初球は見送れ。
相手投手は焦っていた。ここで決めたいと思うほど、球は浮く。
初球、ボール。
二球目、外角のストライク。
三球目。
里帆は芽衣に小さく頷いた。
狙うのは強い打球ではない。
相手の一塁手と投手の間。
芽衣はバットを短く持った。
コツン、と乾いた音がした。
打球はゆっくり転がった。
投手が慌てて前に出る。一塁手も動く。二人の間で一瞬、迷いが生まれた。
その隙に、二塁走者が三塁を蹴った。
送球が逸れる。
ホームイン。
ベンチが爆発した。
芽衣は一塁ベース上で、信じられないという顔をしていた。
勝った。
去年二十点差で負けた相手に、勝った。
部員たちが泣きながら抱き合う。
里帆は立ち上がれなかった。
膝の上で、拳を握る。
勝つとは、こんなに眩しいものだっただろうか。
自分が選手だった頃は、勝っても次の試合のことばかり考えていた。負けることが怖くて、勝つ喜びをちゃんと受け取れていなかった。
今、目の前の少女たちは、全身で勝利を浴びている。
その姿が、たまらなく眩しかった。
二回戦も勝った。
準決勝は延長の末、芽衣が最後の打者を三振に取った。
チームは、地区大会の決勝まで進んだ。
決勝の相手は、県内屈指の強豪校。
そしてその強豪校は、神崎美羽が外部アドバイザーとして支援している高校だった。
球場の入口には、イベント用のパネルが立っていた。
元実業団選手・神崎美羽さん来場。
夢を諦めない力。
里帆はその文字を見ても、もう立ち止まらなかった。
読んでくださりありがとうございます。
第4話では、里帆が芽衣たちの言葉に支えられ、もう一度グラウンドへ戻りました。
「謝らないでください」
かつて芽衣に伝えた言葉が、今度は里帆自身を救う形になっています。
そして大会では、弱小だった女子ソフトボール部が、ついに決勝へ。
次話はいよいよ最終話です。
里帆の過去。
神崎美羽との因縁。
芽衣たちの決勝戦。
奪われたマウンドの先で、里帆が何を取り戻すのか、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。




