第三十一話「ここ、オシャじゃないね」
白い部屋には、子どもたちがいた。
床に寝台が並んでいる。
壁には青白い光が流れ、天井からは冷たい明かりが落ちている。
その下に、子どもたちはいた。
リィズは、最初に数えた。
十二人。
寝台に横たわっている子。
壁際で膝を抱えている子。
床に座ったまま、何もない場所を見ている子。
こちらを見ている子。
こちらを見ていない子。
全員の首元に、白い板が下がっていた。
三一六。
三一七。
三二一。
三二四。
名前ではなかった。
リィズは、喉の奥が熱くなるのを感じた。
「この部屋だけ?」
リィズが聞いた。
セノアはすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、答えは分かった。
「他にもいるの」
「はい」
「何人」
「正確には分かりません」
「……また分かんない」
「はい」
リィズは白い部屋を見た。
ここに十二人。
その奥に、まだいる。
数字ではなかった。
一人ずつ、身体があった。
息があった。
動かない手があった。
まだ泣けない顔があった。
一人の小さな男の子が、リィズを見上げた。
薄い茶色の髪。
痩せた頬。
首元の板には、三一六。
男の子は言った。
「新しい番号?」
リィズは首を横に振った。
「違う」
白い部屋に、声が落ちた。
「私は番号じゃない」
男の子は瞬きをした。
リィズは自分の胸に手を当てた。
「私はリィズ」
「リィズ?」
男の子が繰り返した。
少したどたどしい。
でも、それは番号ではなかった。
誰かを呼ぶための音だった。
「そう。名前」
「名前」
男の子は、自分の首元の板を触った。
「これは?」
「番号」
「番号」
「あなたの名前は?」
男の子は黙った。
白い板を見る。
三一六。
それから、リィズを見る。
「三一六」
「それは番号」
「……三一六」
「名前は?」
男の子は、分からない顔をした。
本当に分からないのだ。
リィズは胸の奥が冷たくなった。
名前を忘れたのではない。
名前を持たされていない。
部屋の隅から、小さな声がした。
「名前、痛くない?」
壁際の女の子だった。
首元の板には、三二一。
リィズは首を横に振った。
「痛くない」
女の子は、少し考えた。
「取られない?」
リィズは、すぐには答えられなかった。
この子たちは、もう取られている。
名前も。
声も。
怖がることも。
逃げたいと思うことも。
だから、リィズは言った。
「取らせない」
女の子は顔を上げた。
それだけで、白い部屋の温度が少し変わった気がした。
リィズは、三一六の男の子の前にしゃがんだ。
「ここ、オシャじゃないね」
男の子は瞬きをした。
「おしゃ?」
「うん。全然オシャじゃない」
リィズは、少しだけ笑った。
笑える場所ではない。
でも、笑った。
この子が最初に見る外の人間の顔が、怖い顔だけで終わってほしくなかった。
「出よう」
リィズは言った。
「ここから出よう」
男の子は、長い時間リィズを見ていた。
それから、ゆっくり手を伸ばした。
小さな手だった。
冷たい手だった。
リィズは、その手を取った。
男の子の指が、ほんの少しだけ握り返してきた。
「リィズ」
今度は、少しだけはっきりしていた。
「うん。ここにいる」
リィズは答えた。
それから、部屋を見た。
「逃がす」
リィズは言った。
「今すぐ」
セノアが首を横に動かした。
「今すぐ全員は無理です」
「なんで」
「起きている子は五人。立てる子は二人です」
リィズは寝台を見た。
眠っている子。
目を開けているのに、身体が動かない子。
床に座ったまま、立つことを忘れたような子。
「抱えればいい」
「十二人います」
リィズは黙った。
セノアは続けた。
「他の部屋にもいます。メルティナも動けません。私も、長くは支えられません」
メルティナは、壁に手をついたまま立っていた。
顔色は悪い。
息も浅い。
それでも、リィズを見ている。
リィズは、初めて人数というものが怖いと思った。
十二人。
この部屋だけで十二人。
その奥に、まだいる。
リィズの手は、二つしかない。
「じゃあ、どうすればいいの」
リィズは言った。
声が震えていた。
「逃がせない。置いていけない。奥にもいる。メルティナも動けない」
セノアは奥の扉を見た。
そこから、紫に近い光が漏れていた。
「中央調律室を止める必要があります」
「そこを止めれば、出られるの?」
「動ける子は増えます。他の部屋も止まります」
「じゃあ、そこを止める」
リィズは言った。
三一六の手を、そっとメルティナへ預ける。
「この人はメルティナ。私の大事な人」
三一六はメルティナを見た。
「メル……ティナ」
たどたどしく、名前を呼んだ。
メルティナは、小さな手を受け取った。
「はい。メルティナです」
こんな時でも。
メルティナは、自分の名前を呼ばれたことに、きちんと答えた。
「大丈夫です」
静かな声だった。
リィズは首を横に振った。
「大丈夫じゃないでしょ」
「はい」
「でも、お願い」
「はい」
メルティナは、三一六の手を包むように握った。
セノアが言った。
「私はここに残ります。動ける子を集めます。奥の部屋も確認します」
「戻らないでよ」
「命令に、ですか」
「うん」
セノアは少し考えた。
「分かりません」
「そこは分かるって言って」
「嘘になります」
「ほんと、そういうとこ」
リィズは杖を握り直した。
怖い。
でも、怖いものの形は見えている。
この部屋の十二人。
まだ見えない部屋の子どもたち。
メルティナ。
セノア。
自分の右腕。
そして、世界が眠らされること。
奥の扉の向こうで、紫に近い光が脈打った。
リィズの右腕が熱を持つ。
呼ばれている。
番号として。
核として。
でも、リィズは胸に手を当てた。
「私はリィズ」
白い部屋で、三一六が小さく同じ音を繰り返した。
「リィズ」
リィズは振り返らなかった。
振り返れば、戻りたくなる。
だから、前を見たまま答えた。
「ここにいる」
そして、奥の扉へ向かった。




