第七章 毒殺
意識が途切れる寸前、リゼルは自分の体が崩れ落ちるのを、どこか他人事のように感じていた。
弟の腕が、咄嗟にその体を支える。
「――姉上!」
叫んだのは、弟自身だった。まるで、自分がやったことの結果に、自分自身が動揺しているかのような声だった。
「ドロテア殿、手伝ってください」
窓の外で待機していたドロテアが、その声に反応して素早く室内に入り込んだ。
「何をなさったのです、あなたは」
「――説明は後です。まず、姉上を寝台へ」
ドロテアの目に、鋭い警戒が宿った。だが今この瞬間、リゼルの体を運ぶことが最優先だと判断したのか、剣を抜くことはしなかった。
二人がかりでリゼルを寝台に横たえた後、弟は震える手で、小瓶の残りを見つめていた。
「これは、いったい何なのですか」
「――王宮の宮廷魔導士が調合した、特殊な試薬です」
「毒ではなく?」
「毒でもあります。ですが本当の目的は別にあります。……対象の『再生速度』を測定するための、試薬です」
ドロテアの眉が、わずかに動いた。
「再生速度を測って、何をするおつもりですか」
「それは」
弟の言葉が、そこで止まった。まるで、その先を言うことに、強い抵抗を感じているかのように。
「今は、まだ話せません。姉上が目を覚ましてから、改めて」
「随分と、都合の良い言い訳ですね」
「ドロテア殿の疑いはもっともです。ですが、信じてください。僕は、姉上を害するつもりは、微塵もありません」
「その言葉を、鵜呑みにするほど、私は人が良くありません」
ドロテアは、寝台に横たわるリゼルの様子を確認しながら、弟に問いを重ねた。
「一つ、教えてください。あなたは、本当にアーヴァインの弟君なのですか。それとも――」
「それとも?」
「弟君の『姿』を借りた、何か別のものなのか」
弟の顔から、表情が消えた。
「――執事殿は、鋭いですね。二百年前と、変わらず」
「答えになっていません」
「今は、答えられません。ただ一つだけ、確かなことを申し上げます」
弟は、リゼルの寝顔を見つめながら、静かに続けた。
「僕の中には、確かに『弟』としての記憶と意志があります。それは、偽物でも借り物でもない。ですが同時に――僕の体には、僕の意志だけでは制御しきれない『何か』が、共存しています」
「その『何か』が、王宮に取り入る理由なのですね」
「――ある意味では」
「宰相府と、繋がりが?」
弟の瞳が、一瞬だけ、金色に揺れた。すぐに元の緑色に戻ったが、その一瞬を、ドロテアは見逃さなかった。
「――今は、それ以上お答えできません」
沈黙が、部屋を支配した。窓の外では、月が雲に隠れようとしていた。
その頃、王宮の別の一角――第三王女の私室では、侍女の一人が、慌ただしく報告を上げていた。
「殿下。東翼で、何やら不審な動きがあったとの報告が」
「不審な動き、とは」
第三王女――名をエルフリーデという。二十代半ばの、聡明な瞳を持つ女性だった。宰相府の影響力が強い王宮の中で、数少ない独立した立場を保っている人物として知られている。
「東翼の賓客殿――『秘宝を継ぐ者』の部屋に、侵入者があったようです。ただ、警備の者たちは、なぜか騒ぎを大きくしようとせず、静かに処理しているようで」
「妙ね。彼が本当に王家の血を引く人物なら、侵入者があれば大騒ぎになるはずなのに」
エルフリーデは、窓の外、東翼の方角を見つめた。
「――もしかすると、その侵入者こそが、この件の本当の鍵かもしれないわね」
「いかがなさいますか」
「しばらく、静観しましょう。宰相府が何を企んでいるにせよ、こちらから迂闊に動けば、向こうに警戒されるだけ」
エルフリーデは、静かに侍女に告げた。
「ただし――東翼の様子は、逐一報告なさい。何か動きがあれば、私自身が対処します」
王宮の夜は、それぞれの思惑を抱えたまま、静かに更けていった。




