第三章 アーヴァイン家、二百年前の記録
王宮へ向かう前に、リゼルには、確かめておきたいことがあった。
「地下書庫に、行くの?」
「ええ。二百年間、避けてきた場所だけれど」
屋敷の廃墟の奥、崩れた瓦礫の下に、アーヴァイン家代々の記録を収めた地下書庫があった。粛清の夜の炎からは、かろうじて焼け残っていた場所だ。だがリゼルは、これまで一度も足を踏み入れたことがなかった。踏み入れば、何か決定的な事実を知ってしまう気がして、避け続けていた。
「今なら、覚悟ができた気がするの」
ドロテアが灯りを掲げ、瓦礫をどかしながら、地下への階段を切り開いていく。二百年分の埃と蜘蛛の巣を払いながら、二人は地下書庫へと降りていった。
書庫の中は、時が止まったかのようだった。棚には、色褪せた書物と巻物が、整然と並んでいる。
「アーヴァイン家は、代々『記録の家系』でした」
ドロテアが、棚の一角を示しながら説明した。
「王家の歴史における、都合の悪い出来事――粛清、暗殺、隠蔽された条約。それらを、密かに記録し続けてきた一族です。表向きは、単なる地方貴族。しかし裏では、王家にとっての『不都合な記憶』の管理者としての役割を担っていました」
「知らなかった」
「お嬢様には、伝えられていませんでした。当主とその配偶者にのみ、代々口伝されてきた家の秘密です。あなたが十七歳で粛清に遭わなければ、いずれ知らされていたはずのことです」
リゼルは、棚から一冊の古い記録帳を手に取った。埃を払い、ページを開く。そこには、見覚えのない筆致で、王家の代替わりに関する詳細な記述が並んでいた。
「これは……」
「二代前の国王が、実の兄を暗殺して王位についた経緯の記録です。当時のアーヴァイン当主が、その事実を知ってしまい――以来、王家はアーヴァイン家の存在を、常に警戒してきました」
「じゃあ、私たちが粛清されたのは」
「表向きの理由は不明のまま、二百年が経っています。ですが、この記録が示す通りだとすれば――王家にとって都合の悪い『記憶の管理者』を、一度、完全に排除しておきたかった。その可能性が、最も高いかと」
リゼルは、さらに奥のページをめくった。そこには、粛清が行われる直前――つまり、あの夜のわずか数日前の日付で、父の筆跡による記述があった。
『――王宮より、不穏な使者あり。近く、当家に何らかの動きがあると思われる。万一に備え、記録の一部を、信頼できる者に託しておくべきか』
「お父様、気づいていたの……?」
「恐らくは」
リゼルの手が、震えた。
「なら、なぜ逃げなかったの? 気づいていたなら、なぜ」
「――逃げれば、記録もろとも、家系そのものを見捨てることになる。アーヴァイン家にとって、記録を守ることは、家門の存在意義そのものでした。ご当主様は、恐らく最後まで、逃げるという選択肢を選べなかったのでしょう」
リゼルは、記録帳を胸に抱いた。二百年前、何も知らずに、ただ絶望の中で家族を失ったと思っていた。だが実際には、父はすでにその夜が来ることを、ある程度予期していたのだ。
「なら、あの魔導師は」
「王家の差し金、あるいは、王家に何らかの形で協力していた存在。その可能性が、これで一気に高まりました」
地下書庫の最奥、一段高くなった場所に、小さな金庫があった。リゼルが鍵を探し当てるのに、さほど時間はかからなかった。父の書斎の机の裏に、隠された鍵が残されていたからだ。
金庫を開けると、そこには一通の手紙が収められていた。父の筆跡で、宛名は「リゼルへ」と記されている。
リゼルは、震える手でその手紙を開いた。
『リゼルへ
この手紙を読んでいるということは、私はもう、お前の側にいないのだろう。
もし何か不測の事態が起きたなら、地下書庫の記録は、決してお前一人の手で処分しようとしないでほしい。それは、この家門が二百年以上かけて守ってきた、王国の「本当の歴史」だ。
お前が知るべきことが、もう一つある。
もしこの家に何かが起きたとき、真っ先にお前を逃がすよう、私は既に手を打ってある。ドロテアには、話を通してある。あれは単なる執事ではない。もしものときは、彼を頼りなさい。
そしてもう一つ――もしお前の弟が、万一の際に助かる道があるのなら、それを最優先にしてほしい。アーヴァインの血を継ぐのは、お前たち二人だ。どちらか一人でも生き延びれば、家門はまだ終わらない。
愛している。何があっても、それだけは忘れないでほしい』
リゼルは、手紙を持つ手を、強く胸に押し当てた。
「お父様は、最初から……全部、分かっていたのね」
「――ご当主様らしい、最後の手回しです」
「ドロテア。あなたが、家族の中で唯一、事情を知らされていた人だったのね」
「ええ。それを、二百年間、黙っていたことを――どうか、お許しください」
リゼルは、首を横に振った。
「怒ってなんかいない。ただ、思うの。私は二百年間、『何も知らされないまま』家族を失った哀れな娘だと、自分自身を憐れんでいた。でも本当は、お父様もお母様も、最後まで私たちのために、できることをしてくれていた」
手紙を丁寧に折りたたみ、リゼルは立ち上がった。
「行きましょう、王宮へ。今度は、ただ死に方を試すためじゃない。この記録と、お父様の想いを、きちんと決着させるために」




