第二十六章 残された者たち
秘宝庫に、朝の光が差し込んでいた。
アルテアが目を覚ますと、金色だった瞳は、すっかり元の緑色に戻っていた。周囲を見渡すと、護衛たちは意識を失って倒れ、ヴォルガンの姿は、どこにもなかった。ただ、彼が纏っていた外套だけが、床に力なく落ちている。
「――姉上」
遺物があった台座には、もう何もなかった。ただ、うっすらと、灰のようなものが残っているだけだった。
「ドロテア殿」
アルテアが振り返ると、執事は――いや、もはやただの老人と呼ぶべき姿になった彼が、静かに台座を見つめていた。二百年分の老いが、一晩でその身に戻ってきていた。深く刻まれた皺、白く染まった髪。だが、その目には、不思議と穏やかな光が宿っていた。
「消えた、ということですね」
「本当に、消えたと思う?」
「さあ」
ドロテアは、深く刻まれた皺の中で、微かに笑った。
「ただ、契約は完了しました。私たちの記憶も、これ以上薄れることはないでしょう。私も、老いという形で、ようやく人並みの時間を歩めるようになりました」
「姉上は、それでいいんでしょうか」
「お嬢様が最後にお選びになったのは、契約のためでも、我々のためでもない。ご自身のための終わり方でした。――それを、悼むのではなく、喜んで差し上げるのが、残された者の務めかと」
「レオン」
アルテアが、隅で座り込んでいたレオンに声をかけた。
「あなたの一族の呪いは」
「――解けたようです」
レオンは、自分の両手を見つめながら、小さく笑った。
「不思議なものですね。何も変わっていないのに、確かに、体が軽くなった気がします」
「これから、どうなさいますか」
「一族の記録帳に、続きを書き加えようと思います。『二百年の呪いが、アーヴァインのお嬢様によって、終わりを迎えた』と。それが、私にできる、せめてもの恩返しですから」
王宮の外では、エルフリーデが、事後処理に奔走していた。
「宰相府の罪状は、全て、正式な記録として残すわ。都合の悪い真実だからといって、二度と隠蔽させはしない」
彼女の決意は、リゼルとの約束を、忠実に守ろうとするものだった。
数日後、アルテアとレオン、そしてドロテアは、馬車に乗り、リゼルの故郷――アーヴァイン領へと向かった。
村に着くと、クレアが、真っ先に駆け寄ってきた。
「アルテア様……! それに、ドロテアさん……」
クレアの目に、みるみる涙が溜まっていく。
「姉さまは……」
「――消えた。でも」
アルテアは、静かに、クレアの前に膝をついた。
「姉上は、最後まで、君のことを気にかけていた。『約束、守れなくてごめんね』って、伝えてほしいと」
「そんな……」
「でも、姉上は、こうも言っていた。君には、これから、ちゃんと生きる自由があるって。それを、大切にしてほしいって」
クレアは、涙を拭いながら、小さく頷いた。
「――私、アーヴァインの血を引く者として、これから、ちゃんと生きていく。姉さまが繋いでくれた縁を、大事にしながら」
グレイス婆さんが、静かに、村の人々を見回した。
「アーヴァインの土地は、これからどうなるんだろうね」
「――僕が、継ぎます」
アルテアが、静かに、しかし確かな決意を込めて言った。
「アルテア・アーヴァインとして、この土地を、この村を、これから守っていきます。姉上が二百年間、静かに見守り続けてきたこの場所を」
村人たちの間に、静かな安堵の空気が広がった。
「ドロテア殿。あなたは、これからどうなさいますか」
「――老いた身ですが、まだ、お仕えする相手がいるなら」
ドロテアは、アルテアとクレアを見つめ、静かに微笑んだ。
「新しい当主様と、その妹君に、余生を捧げさせていただければ、これに勝る喜びはございません」
「ありがとう、ドロテア」
夕暮れ時、村の広場では、収穫祭の準備が、静かに進められていた。
「今年の収穫祭には、新しいご当主様も、いらっしゃるんですね」
村長の言葉に、アルテアは、静かに頷いた。
「ええ。姉上の代わりに――いえ、僕自身の意志で、これから、この土地の人々を見守っていきます」




