終章 数えの聖女
それから、数十年の歳月が流れた。
アーヴァイン領は、アルテア・アーヴァインの治世のもと、静かに、しかし確かな繁栄を取り戻していた。焼け落ちた屋敷の跡地には、質素ながらも温かみのある新しい邸宅が建てられ、村人たちの暮らしも、少しずつ豊かになっていった。
クレア・アーヴァインは、成長し、アルテアを支える立場として、この土地の発展に力を尽くした。彼女がかつて母から受け継いだ勇気は、村の人々の間で、静かに語り継がれるようになっていった。
レオンの一族もまた、二百年の呪いから解放された後、新たな鍛冶の技を、一から学び直した。時間はかかったが、レオンの孫の代には、再び「アーヴァインの職人」として名を馳せるようになったという。
王都では、エルフリーデが、後に女王として即位し、宰相府の在り方を根本から改革した。「都合の悪い記憶を隠蔽しない」という、リゼルとの約束は、彼女の治世の礎となった。
そして、ドロテアは――老いた体のまま、アルテアとクレア、二人の成長を見守り続けた。
王都の片隅に、小さな教会があった。かつて秘宝庫があった場所に、ヴォルガンの罪と、カストルの後悔、そして一人の令嬢の選択を、静かに伝え続けるために建てられた教会だった。
そこには「数えの聖女」という、奇妙な名で呼ばれる伝承が残っていた。
――かつて、決して死ねない令嬢がいた。彼女は二百年以上生き、幾度となく死のうと試み続けた末に、最後は自らの意志で、静かに旅立ったという。
その伝承を、年老いた語り部が、いつも同じ言葉で締めくくった。
「彼女が二百二十一回目に数えたのは、死に方ではなく――生きてきた、確かな証だったのですから」
その語り部こそ、かつて「ドロテア」と呼ばれた、あの執事だった。
ある日、教会を訪れた子どもたちが、語り部に尋ねた。
「おじいさん。その『数えの聖女』様は、本当に、幸せだったの?」
ドロテアは、深く刻まれた皺の中で、静かに微笑んだ。
「幸せだったかどうかは、私にも分かりません。ただ、一つだけ、確かなことがあります」
「何?」
「彼女は、最後の最後で、誰かに強いられたのでも、義務感でもなく――自分自身の意志で、選択をしました。それができる人生は、決して不幸なものではないと、私は思います」
「死のうとし続けたのに、最後は自分で選んだから、悲しい話じゃないんだね」
子どもの、無邪気な一言に、ドロテアは、深く頷いた。
「ええ。彼女が二百二十一回目に数えたのは、死に方ではなく――生きてきた、確かな証だったのですから」
教会の窓の外、夕暮れの空に、一羽の鳥が、静かに飛び立っていった。
その光景を見上げながら、ドロテアは、二百年前――まだ若かった頃の、あの粛清の夜のことを、ふと思い出していた。守れなかった多くの命。そして、たった一人、守り抜くことができた、あの令嬢のこと。
(お嬢様。あなたが繋いでくれた縁は、こうして、確かに続いています)
風が、教会の鐘を、微かに鳴らした。
それは、まるで、遠い記憶の中から届く、二百二十一回目の、最後の返事のようだった。
(完)




