第二十二章 二百二十回目、最後の一回(前編)
まばゆい光の中、時間の流れが、奇妙に緩やかになったように感じられた。
「――名は、全て呼び上げられた」
遺物から響く声は、もはやヴォルガンのものでも、金色の瞳をした「残滓」のものでもなかった。それは、二百年前に消えたはずの、カストル自身の意志の断片だった。
「アーヴァインの娘よ。契約無効化の、最後の条件が残っている」
「――遺物の、破壊ね」
リゼルは、静かに頷いた。
「同時に、それは、私自身の『死』を意味する。私の存在そのものが、契約の中心にあるから」
「その通りだ。お前が『正真正銘の死』を選び、同時に遺物が破壊されれば、契約は完全に無効化される。全ての対価――記憶、声、姿、老い――それらは、取り戻せない形で、消滅する。だが、この呪わしい仕組み自体も、二度と、誰も苦しめることはなくなる」
「姉上」
アルテアが、リゼルの手を掴んだ。
「本当に、それでいいのですか。取り戻せない、というのは――僕らの記憶も、母上の声も、二度と、元には戻らないということです」
「分かってる」
リゼルは、静かに、しかしはっきりと答えた。
「でも、アルテア。私、気づいたの。記憶が『元に戻る』ことと、『これ以上失われない』ことは、同じじゃない。もう、これ以上、誰も苦しまなくていいなら――失われたものを、悔やみ続けるより、前に進む道を選びたい」
「――ヴォルガン殿はどうなさるおつもりですか」
レオンが、警戒しながら、なおも杖を構えるヴォルガンを見た。
「私は、認めない」
ヴォルガンの声には、初めて、明確な焦りが滲んでいた。
「二百年、私の一族が積み上げてきた計画を、ここで終わらせるわけには」
「終わらせるのよ」
リゼルが、遺物に、両手で触れた。
「ヴォルガン。あなたにも、聞いてほしい。カストルが最後に遺した後悔――あなたは、それを無視して、彼の研究を、自分の野心のために利用し続けてきた」
「――カストル殿の研究は、完成させる価値のあるものだった」
「価値があったとしても、それを進める権利は、あなたにはない。カストル自身が、最後には、それを望んでいなかったから」
遺物の光が、さらに強まっていく。
「――アーヴァインの娘。最後に、確認する」
カストルの意志が、遺物を通じて、静かに問いかけた。
「お前は、本当に、この選択を、自分自身のために選ぶのか。誰かのためでも、義務感でもなく」
リゼルは、目を閉じ、二百年間の記憶を、静かに辿った。
カイルとの、果たされなかった約束。
家族との、短すぎた日々。
二百年間、彷徨い続けた孤独な旅。
ドロテアとの、言葉にならない絆。
村での、ささやかな温もり。
ミラ――クレアとの、まだ始まったばかりの約束。
アルテアとの、再会と、再び失いかけた兄妹の絆。
そのすべてが、リゼルという一人の人間を、形作ってきた。
「――ええ」
リゼルは、目を開けた。その瞳には、迷いも、悲壮感もなかった。ただ、静かな決意だけが、宿っていた。
「私は、自分自身のために、この選択をする。二百年かけて、ようやく見つけた、私自身の『終わり方』として」
ドロテアが、静かに、リゼルの隣に立った。
「お嬢様。私も、共に」
「ドロテア……」
「二百年、お仕えしてきた者として、最後の瞬間まで、お側にいさせてください」
「――ありがとう」
アルテアと、レオンも、静かに頷いた。
「僕たちも、見届けます。姉上の選択を」
ヴォルガンが、なおも杖を構えたまま、後退った。
「――待て、待ってくれ。まだ、話し合いの余地が」
「ヴォルガン」
リゼルは、静かに、しかし断固として告げた。
「あなたの二百年と、私の二百年、どちらが正しかったかは、これから決まる。私は、後悔しない道を選ぶ」
遺物が、これまでにない強さで、光を放ち始めた。




