第二十章 もう一人の生き残り
ヴォルガンの杖から放たれた紫の光が、秘宝庫の空間を歪ませた瞬間――遠く離れた村で、異変が起きていた。
「――っ!」
ミラが、突然、胸を押さえてうずくまった。
「ミラ! どうしたんだい!」
グレイス婆さんが、慌てて駆け寄る。ミラの体は、まるで高熱にうなされているかのように、小刻みに震えていた。
「熱い……胸の奥が、熱いの……」
「医者を、いや、それより――」
グレイス婆さんの脳裏に、長年、心の奥にしまい込んできた記憶が、蘇った。
ミラの母親が、赤子のミラを連れてこの村に流れ着いた、あの日のこと。母親は、疲れ果てた様子で、こう漏らしていた。
「――この子には、アーヴァインの血が流れている。だから、遠くへ、逃がさなければ」
当時、グレイス婆さんは、その言葉の意味を深く問い詰めなかった。混乱した母親の、単なる譫言だと思っていたからだ。だが今、目の前で苦しむミラの様子を見て、その記憶が、急に確かな重みを持って蘇ってきた。
「――ミラ、あんた、胸の辺りに、痣はないかい」
「痣……?」
「見せてごらん」
ミラが、震える手で服の襟元を緩めると、鎖骨の下あたりに、小さな、花のような形をした痣が、うっすらと浮かび上がっていた。それは、まるで熱に反応するように、淡く光っている。
「これは……」
グレイス婆さんは、息を呑んだ。それは、アーヴァイン家の紋章と、酷似した形をしていた。
「ミラ。あんたの母親は、もしかすると――アーヴァイン家の、遠い血縁だったのかもしれないね」
秘宝庫での戦いは、激しさを増していた。
「アルテア、名前を!」
リゼルが、遺物の前で叫んだ。護衛たちとドロテア、レオンの戦いが、周囲で繰り広げられる中、リゼルとアルテアだけは、遺物の前に留まっていた。
「はい――父上、エドワード・アーヴァイン。母上、セレーネ・アーヴァイン。そして、僕――」
アルテアが、深く息を吸い込んだ。
「僕の、本当の名は――アルテア・アーヴァイン」
名前が呼び上げられるたびに、遺物が、淡く反応するように光を強めていく。だが同時に、リゼルは、奇妙な違和感を覚えていた。
(何か、足りない。名前を呼んでいるのに、遺物の反応が、中途半端……)
「――待て」
ヴォルガンが、その様子に気づき、杖を構え直した。
「その儀式、無駄だぞ。契約に登録された血縁者の名を、全て呼び上げなければ、無効化は成立しない」
「全員、呼んだはずよ。父、母、私、そしてアルテア」
「――本当に、それで全員か?」
ヴォルガンの口元に、不気味な笑みが浮かんだ。
「二百年前、アーヴァイン家の血を引く者は、お前たち二人だけではなかったのだがな」
「――どういう、こと」
「知らぬのも無理はない。当時、まだ赤子だった、もう一人の血縁者がいたことを」
リゼルの脳裏に、稲妻のように、ある記憶が蘇った。父の手紙の一節――『アーヴァインの血を継ぐのは、お前たち二人だ』という言葉。だが、それは本当に「二人」だったのか?
(お父様は、私とアルテア、二人のことを言っていたと思っていた。でも、もし――)
「グレイス婆さんの、村に流れ着いた、あの母子……」
「――思い出したか」
ヴォルガンが、愉快そうに笑った。
「アーヴァイン家の、傍系の血を引く女性が、粛清の混乱の中、密かに屋敷を脱出していた。その女性が産んだ子――それこそが、契約に登録された、四人目の血縁者だ」
「ミラ、なの……?」
リゼルの声が、震えた。
「その通り。彼女もまた、契約の一部。四人全員の名が呼ばれない限り、無効化の儀式は、決して完成しない」
遺物の光が、不安定に明滅している。まるで、儀式が中途半端な状態のまま、宙吊りにされているかのように。
「――ミラを、ここに連れてこなければならない」
「間に合うと思うか? ここから村までは、馬車でも半日はかかる。その間に、私が契約を完成させれば、全てが手遅れになる」
ヴォルガンが、杖を高く掲げた。
「悪いが、待つつもりはない。今、この場で、契約を完成させてもらう」
秘宝庫全体が、紫色の光に包まれ始めた。




