第十八章 レオンとカイルの接点
「本当の名前を、覚えていない……」
弟が呟いたその言葉に、沈黙が落ちた。
「では、どうすれば」
「――待ってください」
それまで静かに話を聞いていたレオンが、不意に口を開いた。
「先ほどから、気になっていたことがあります。若君の――いえ、本来の弟君のお名前について、私の一族に伝わる記録に、何か手がかりがあるかもしれません」
「あなたの一族に?」
「はい。私の家に伝わる古い記録には、アーヴァイン家の人々の名が、いくつか記されています。使用人の家系として、当主一家の記録を、代々書き留めていたようです」
「なぜ、鍛冶師の家系が、そんな記録を」
「――理由は、私も詳しくは知りません。ただ、先祖代々、『いつか必要になる時が来る』と言い伝えられてきました」
リゼルは、はっとした。
「まさか、あなたの先祖も、カストルから何かを聞かされていたの?」
「その可能性は、あります。対価を差し出す際、カストルが、何らかの『将来への配慮』を、残したのかもしれません」
レオンは、懐から、古びた手帳を取り出した。二百年間、代々受け継がれてきたという、家系の記録帳だった。
「これに、当時の使用人たちが見聞きした、屋敷での出来事が、断片的に記されています」
手帳をめくっていくと、ある一節に、リゼルの目が釘付けになった。
『――若君、生誕の折、当主様は「アルテア」という名を、密かに授けられたとの由。表向きの名とは別に、母君の家系に伝わる、古い名であるという』
「アルテア……」
「弟君の、本来のお名前かもしれません」
弟の瞳が、大きく見開かれた。
「アルテア……その響き、なぜか、懐かしい」
「思い出せる?」
「――かすかに。母上が、僕を寝かしつける時、時々、その名で呼んでいたような……」
弟の目に、涙が滲んだ。
「本当に、僕には、名前があったのですね」
「ええ、あった。二百年間、奪われたままだったけれど」
リゼルは、弟の手を、優しく握った。
その時、レオンが、もう一つ、意外な事実を口にした。
「――もう一つ、この手帳に、気になる記述があります。私の先祖の記録によれば、アーヴァイン家の婚約者――カイル様の家系と、私の一族は、実は遠い親戚関係にあったようです」
「――カイルと?」
リゼルの声が、震えた。
「詳しくは、カイル様の母方の家系が、数代前に、私の一族から分かれた傍流にあたるとのことです。カイル様ご自身は、恐らくご存知なかったでしょうが」
「そんな、偶然が」
「偶然、と言うより――もしかすると、カストルが、意図的にこの繋がりを、記録として残させたのかもしれません」
エルフリーデが、静かに頷いた。
「カストルの後悔が、未来への配慮として、様々な形で残されている、ということね。まるで、いつか誰かが、この真実に辿り着くことを、期待していたかのように」
リゼルは、レオンを見つめた。
「レオン。あなたは、カイルの、遠縁だったのね」
「――光栄なことです。婚約者様の血縁の端くれとして、今この場に立ち会えていることが」
「カイルが生きていたら、きっと喜んだと思う。あなたのような、頼りになる縁者がいたことを」
弟――アルテアは、涙を拭い、決意を新たにした様子で立ち上がった。
「姉上。名前を取り戻したことで、僕の中の『何か』への抵抗力も、少し強まった気がします」
「本当?」
「はい。契約無効化に必要な条件が一つ、揃いました。あとは――」
「お父様と、お母様の名前」
「それは、僕もはっきりと覚えています。父上はエドワード・アーヴァイン、母上はセレーネ・アーヴァイン」
「ええ、私も覚えている」
リゼルは、遺物の方を振り返った。
「あとは、私自身の名前と、あなたの――アルテアの名前。全員分の名を、正しく呼び上げれば」
「契約が、無効化される」
その時、秘宝庫の扉の外から、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「――誰か、来る」
ドロテアが、剣を構え直した。
「ヴォルガンの手の者かもしれません。急ぎましょう」
だが、扉が開いた瞬間、そこに立っていたのは、予想外の人物だった。
「――随分と、面白いことになっているようだな」
ヴォルガン、その人だった。




