第十六章 二百年前の魔導師
――遺物に触れた際、リゼルが感じ取ったのは、契約の仕組みだけではなかった。断片的に流れ込んできた「記憶」の中に、一人の魔導師の生涯が、確かに刻まれていた。
その名を、カストルという。
二百年以上前、カストルは、当時の王家に仕える宮廷魔導士だった。若くして頭角を現し、王家からの信頼も厚かった。だが、彼の心には、一つの深い悲しみが根を張っていた。
妻と、まだ幼い娘を、流行病で亡くしていたのだ。
「――どうして、私の魔法は、大切な人を救えなかったのか」
カストルは、来る日も来る日も、その問いに苛まれ続けた。強大な魔力を持ちながら、最も救いたかった者たちを救えなかったという事実は、彼の心を、少しずつ蝕んでいった。
やがてカストルは、当時の国王に、一つの研究計画を提案する。「不老不死の術式」の研究だった。
「もし、人が老いも死にも囚われぬ体を得られれば――もう二度と、大切な者を失う恐怖に、怯えずに済む」
国王は、その研究を歓迎した。もし王家が不老不死を手にできれば、王権の永続という点で、この上ない利益になる。カストルの個人的な悲しみと、国王の権力欲は、奇妙な形で一致していた。
だが研究は、想像以上に困難を極めた。人の魂と体を、老いと死の理から切り離すには、それに見合うだけの「対価」を、どこかから調達する必要があった。
カストルは、その対価を求めて、様々な一族に接触した。多くは失敗に終わり、対価を差し出した者たちは、悲劇的な末路を辿った。
そして、最後に選ばれたのが――アーヴァイン家だった。
理由は、単純だった。アーヴァイン家は、王家の「不都合な記憶」を代々管理してきた一族。もし彼らを対価の供給源として利用できれば、王家にとって都合の悪い記憶の管理者を、合法的に排除しつつ、研究に必要な対価も得られる。一石二鳥、というわけだ。
「――申し訳ない」
粛清の夜、カストルは、燃え盛る屋敷の中で、そう呟いたという。それは、リゼルが触れた遺物の記憶の中に、確かに刻まれていた、彼の最後の言葉だった。
「私は、大切な者を失う悲しみから逃れたくて、この研究を始めた。それなのに、今、私は、別の家族から、大切な者を奪おうとしている」
カストルの中に残っていた、わずかな良心。それが、リゼルへの取引の際、「対価は等価でなければならない」という奇妙なルールを、契約に組み込ませた。完全な収奪ではなく、あくまで「対価との交換」という形を、最後まで守らせたのだ。
だが、研究そのものは、失敗に終わった。アーヴァイン家から集めた対価だけでは、完全な不老不死には至らず、カストル自身も、力を使い果たして、その体を失った。
残ったのは、彼の意志の断片と、「契約」という仕組みだけ。
その仕組みを引き継いだのが、当時の宰相府――ヴォルガン家だった。
カストルの死後、ヴォルガン家の当主は、この「契約」という仕組みに眠る可能性に気づいた。カストルの研究を完成させれば、王家に代わって、自らが不老不死の力を独占できる。
そうして、カストルの悲しみから始まった研究は、二百年の時を経て、ヴォルガン家の野心へと、姿を変えていった。
秘宝庫の中で、リゼルは、その全ての記憶を、静かに語り終えた。
「――カストルという魔導師にも、悲しみがあったのね」
「同情、なさるのですか」
弟の問いに、リゼルは、少し考えてから答えた。
「同情はする。でも、許すかどうかは、別の話。彼の悲しみが、私たちの家族を奪う理由にはならない」
「では、私たちがすべきことは」
「カストルの悲しみを終わらせること。そして、ヴォルガンの野心を、断ち切ること」
エルフリーデが、静かに口を開いた。
「――カストルの意志の断片が、まだ遺物に残っているとしたら。もしかすると、その断片自体が、『契約の無効化』の鍵を握っているかもしれない」
「彼自身が、最後には『申し訳ない』と、後悔していたのなら」
リゼルは、遺物に、もう一度手を伸ばした。
「カストル。もしあなたの意志が、まだそこに残っているなら――教えて。この契約を、正しく終わらせる方法を」
遺物が、淡く、しかし確かに、光を強めた。




