第十五章 契約の残滓、その正体
秘宝庫へと向かう道すがら、エルフリーデが声を潜めて説明した。
「あそこは、代々の国王ですら、滅多に立ち入らない場所。宮廷魔導士――つまり、宰相府の管轄下に置かれているわ」
「警備は?」
「魔法による結界と、限られた者にしか開けられない鍵。ただ、私には、王族としての権限で、緊急時に限り立ち入りを許可された経験がある」
「今回は、緊急時と言えるかしら」
「言えるでしょう、これだけの騒ぎがあれば」
深夜の王宮を、五人は静かに進んだ。弟は、レオンに支えられながら、なんとか自分の足で歩いていた。瞳の色は、まだ不安定に揺れ続けている。
「――ここよ」
秘宝庫の扉の前で、エルフリーデが足を止めた。古びた木の扉に、複雑な魔法陣が刻まれている。
「王女としての権限で、開けられる?」
「試してみるわ」
エルフリーデが、扉に手をかざす。魔法陣が、淡い光を放ちながら、ゆっくりと解けていった。
扉を開けると、そこには、無数の遺物が並ぶ、薄暗い部屋があった。
「これは……」
リゼルの目に、見覚えのある台座が飛び込んできた。二百年前、燃え盛る屋敷の中で触れた、あの台座。今は、王宮の秘宝庫の奥に、静かに安置されている。
「あれが……」
弟の声が、震えた。
「あれが、僕たちの人生を狂わせた、遺物」
リゼルは、ゆっくりと台座に近づいた。かつて触れた時と同じ、紫色の淡い光が、台座から漏れている。
「触れれば、何か分かるかしら」
「危険です、お嬢様」
ドロテアが止めようとしたが、リゼルは、すでに手を伸ばしていた。
触れた瞬間、リゼルの脳裏に、二百年分の記憶と、それ以上の何かが、一気に流れ込んできた。
――それは、遺物そのものの「記憶」だった。
遠い昔、一人の魔導師が、この遺物を作り出した。目的は、当時の王家が抱えていた、ある「不老不死の研究」を、極限まで推し進めるためだった。だが、研究は失敗に終わり、魔導師自身も、その代償として、体を失った。
残ったのは、魔導師の「意志」の一部と、「契約」という仕組みそのものだけ。
その仕組みは、以来二百年以上にわたって、王家の依頼を受けた「管理者」――代々のヴォルガン家によって、密かに運用され続けてきた。アーヴァイン家との取引も、その運用の一環に過ぎなかった。
(この遺物は、意志を持って私たちを苦しめたわけじゃない。ただの、道具だった)
リゼルは、手を離した。
「――分かったわ。この遺物自体には、悪意はない。ただ、それを利用する者がいるだけ」
「ヴォルガンが、遺物を使って、何をしようとしているの?」
エルフリーデの問いに、リゼルは、遺物から流れ込んだ記憶を、丁寧に言葉にしていった。
「この遺物は、『契約』を通じて、対価を集め続けている。二百年前、アーヴァイン家から集めた対価――記憶、声、姿、老い、そして死ぬ権利。それらは、まだ全て、この遺物の中に、蓄積されたまま」
「蓄積……何のために」
「恐らく、それらを一つに集めて、何か大きな『力』に変換するため。二百年前、失敗に終わった不老不死の研究を、完成させるために」
弟が、青ざめた顔で呟いた。
「もし、その力が完成すれば」
「――ヴォルガン自身が、完全な不老不死になるでしょうね。そして、恐らくそれだけでは終わらない」
リゼルは、遺物から感じ取った、ぼんやりとした未来の可能性を、言葉にした。
「集められた対価――記憶、声、姿。それらは、本来の持ち主から奪われたまま、遺物の中に眠っている。もし『契約の完成』が実行されれば、それらは完全に、二度と取り戻せない形で、消滅する」
「――僕たちの記憶が、永遠に失われる、ということですか」
「ええ。中途半端に苦しみ続けるか、完全に失われるか。ヴォルガンが目指しているのは、後者の道よ」
部屋の空気が、重く沈んだ。
「なら、私たちがすべきことは」
「契約を、完成させる前に、清算すること。私が『正真正銘の死』を選ぶことで、対価の連鎖を、断ち切る」
「――それでは、姉上の犠牲は変わりません」
弟が、悲痛な声を上げた。
「別の道が、ないのですか」
リゼルは、遺物にもう一度、手を触れた。今度は、より深く、意識を集中させながら。
「――一つだけ、可能性があるかもしれない」
「本当ですか?」
「この遺物自体は、悪意のない、ただの仕組み。だとすれば――契約を『完成』させるのでも、単純に『清算』するのでもない、第三の道――『契約そのものを、無効化する』方法が、あるかもしれない」
「無効化……?」
「詳しいことは、まだ分からない。でも、遺物の記憶の奥に、そういう可能性の断片を、感じたの」
リゼルは、遺物から手を離し、皆を見回した。
「時間は、あまりないと思う。ヴォルガンが、私たちの動きに気づく前に、その『第三の道』を、探し出さなくちゃ」




