第十三章 金色の瞳
異変は、夜明け前に起きた。
「――う、あ」
弟が、突然、喉を押さえてうずくまった。
「弟!」
駆け寄ろうとしたリゼルを、ドロテアが素早く制した。
「お嬢様、下がってください」
「でも」
「様子が、おかしい」
弟の体が、痙攣するように震えている。俯いた顔から覗く瞳が、緑と金色の間で、激しく明滅していた。
「――申し訳、ありません。姉上……ヴォルガンが、僕の中の『残滓』に、直接、干渉を」
「宰相が、遠隔で?」
「恐らく、僕らが殿下と接触したことに、勘付いたのでしょう。……くっ」
弟の声が、途中から、別人のものへと変わった。低く、乾いた、聞き覚えのある響き。
「――随分と、賑やかになったものだな」
完全に金色に染まった瞳が、ゆっくりと持ち上がった。
「執事、王女、そして鍛冶屋の末裔。役者が揃ったところで、こちらも本腰を入れさせてもらおう」
「あなたは……ヴォルガンの、意志なの?」
「正確には、私はヴォルガンが受け継いだ『契約管理者』としての権能そのものだ。奴の意志と、私の目的は、大筋で一致している」
金色の瞳をした何かは、ゆっくりと立ち上がり、剣を構えた。
「アーヴァインの娘。お前が余計な仲間を集め、真実とやらに近づこうとしていることは、好ましくない。契約の完成には、静かに、粛々と進行することが望ましいのでな」
「――やらせない」
ドロテアが、剣を抜いた。
「お前の相手は、私だ」
「執事。お前の剣は、老いる権利と引き換えに、鈍った剣だと承知しているが」
「鈍っていようと、私は二百年、この剣でお嬢様をお守りしてきた。今更、退くつもりはない」
二つの剣が、激しく交錯した。
レオンが、リゼルとエルフリーデを庇うように前に出た。
「お二人は、下がっていてください」
「レオン、あなたも戦えるの?」
「鍛冶の才は失いましたが……体を鍛えることまでは、禁じられておりません」
レオンは、傍らにあった鉄の燭台を手に取り、即席の武器に構えた。
金色の瞳をした「弟」の一撃が、ドロテアの剣を弾き飛ばした。
「――やはり、二百年前の鋭さは失われているようだな」
「かもしれない。だが」
ドロテアは、素手のまま、相手の刃をぎりぎりで躱した。
「私が守るべきものが何かは、二百年前と、一片も変わっていない」
その言葉と同時に、ドロテアの体から、何か目に見えない気迫のようなものが立ち上った。剣の腕は確かに衰えている。だが、その闘志だけは、二百年の年月をものともしていなかった。
「エルフリーデ殿下」
リゼルが、小声で王女に問いかけた。
「王宮の中で、応援を呼べる場所は?」
「――いいえ、待って」
エルフリーデは、冷静に状況を見極めていた。
「大々的に応援を呼べば、宰相府に事態が筒抜けになる。ここは、私たちだけで対処しなければ」
「でも、ドロテアが」
「大丈夫。彼女の目を見て」
リゼルは、ドロテアの横顔を見た。劣勢に見えるその戦いぶりの中に、確かな意志の光があった。
「――お嬢様。一つだけ、お願いがあります」
ドロテアが、剣を交えながら、リゼルに向かって声を上げた。
「弟君の中には、まだ本人の意志が残っています。金色の瞳に完全に支配される前に、何か、彼の心に届く言葉を」
「私が?」
「ええ。剣で解決できる戦いばかりでは、ありません」
リゼルは、深く息を吸い込んだ。二百年間、数えきれないほどの死を経験してきたその声が、今、誰かを救うための言葉として、放たれようとしていた。
「弟!」
リゼルの声が、剣戟の音を貫いて響いた。
「聞こえてるんでしょう。ずっと、私を守ろうとしてくれていたことも、二百年間、契約に苦しんできたことも――全部、私、知ってる!」
金色の瞳が、一瞬、揺らいだ。
「だから、負けないで。あなたの意志は、その金色になんか、負けたりしない!」




