第十二章 執事が歳を取らない理由
エルフリーデが去った後の静かな夜、リゼルはドロテアに向き直った。
「約束、覚えている?」
「――全て終わってから、話す、というものですね」
「ええ。でも、もう十分、色んなことが分かってきた。あなたの過去も、そろそろ聞かせてほしいの」
ドロテアは、しばし黙り込んだ後、静かに窓辺に腰を下ろした。
「――お話しします。長くなりますが」
リゼルと弟、そしてレオンも、静かに耳を傾けた。
「私は、アーヴァイン家に代々仕える『影の一族』の生まれです。表向きは執事や侍女として仕えながら、実際には、当主一家の護衛を務める――そういう役目を負った一族でした」
「知らなかった、そんな一族があったなんて」
「知られていないのが、当然です。存在自体が、秘匿されるべきものでしたから」
ドロテアは、遠くを見るような目をした。
「あの夜――粛清の夜、私は護衛頭として、屋敷の防衛を指揮していました。ですが、相手は魔導師と、その配下の異形の者たち。通常の剣術で対抗できる相手ではありませんでした」
「それでも、あなたは戦った」
「ええ。多くの仲間を失いながら。……そして、気づいた時には、当主様も、奥様も、既に手遅れの状態でした」
ドロテアの声が、わずかに震えた。
「私にできたのは、せめてお嬢様――あなただけでも、逃がすことだけでした。ですが」
「ですが?」
「魔導師は、私にも取引を持ちかけてきました。『護衛の一族の力を差し出せば、お嬢様が死なずに済む道を用意してやろう』と」
「――それが」
「私が対価に差し出したのは、『老いる権利』です。永遠に若く在り続ける代わりに、私は、二度と『護衛』としての戦闘力を、本来の水準では発揮できない体になりました」
リゼルは、目を見開いた。
「先ほど、あなたが弟と剣を交えた時――」
「はい。あの時の私の剣は、本来の実力の、ほんの一部です。二百年前の私であれば、金色の瞳をした彼の一撃程度、造作もなく防いでみせたでしょう」
「それでも、私を守るために、戦ったのね」
「お嬢様をお守りすることこそが、私の存在意義ですから」
ドロテアは、静かに続けた。
「ですが、対価には、もう一つの側面がありました。『老いる権利』を失うということは、同時に――『死ぬ権利』も、部分的に失うということでした」
「あなたも、死ねないの?」
「完全に、ではありません。ただ、お嬢様が生きている限り、私もまた、老いることも死ぬことも、儘ならない体になりました。――言うなれば、私とお嬢様は、二百年間、運命を共にする形で結びつけられたのです」
沈黙が、部屋を満たした。
「なぜ、二百年間、黙っていたの」
「知れば、お嬢様は、ご自分を責めるでしょうから」
「責めるに決まってる! あなたが、私のために、そこまでの代償を払っていたなんて――」
「お嬢様」
ドロテアは、静かに、しかしはっきりと言った。
「私は、後悔していません。二百年間、あなたの側でお仕えできたこと、それ自体が、私にとっての救いでした。護衛としての力を失った代わりに、私はあなたの『日常』を守る者になれた。それは、決して悪い交換ではなかったと、今でも思っています」
「ドロテア……」
「ですから、どうか、ご自分を責めないでください。それだけが、私からのお願いです」
弟が、静かに口を開いた。
「執事殿。もう一つ、お伺いしても?」
「何でしょう」
「あなたが差し出した『老いる権利』――それもまた、契約全体の一部だとすれば、姉上の『正真正銘の死』によって、解消される可能性があります」
「――でしょうね」
「その時、あなたはどうなさるおつもりですか。老いを取り戻すということは、二百年分の歳月が、一気にあなたの身に降りかかるということかもしれません」
ドロテアは、少しだけ、笑った。
「それならそれで、構いません。二百年分の老いを、まとめて引き受ける権利があるとすれば、それは私にとって、むしろ光栄なことです」
リゼルは、ドロテアの手を、そっと握った。
「ドロテア。約束して。あなたも、ちゃんと『自分自身のため』の選択を、最後にはしてね」
「――肝に銘じます」
その夜、四人は、それぞれの覚悟を胸に、静かに夜を過ごした。窓の外では、久しぶりに、満天の星が見えていた。




