第十一章 宰相の影
東翼の一室に、予期せぬ来訪者があったのは、その翌日のことだった。
「――失礼します。第三王女、エルフリーデです」
護衛も連れず、たった一人で現れた王女に、リゼルたちは一瞬、身構えた。だがその佇まいには、敵意も策略の気配もなく、ただ真摯な目的意識だけが感じられた。
「殿下。なぜ、このような場所に」
弟が、驚きを隠せない様子で尋ねた。
「あなたたちの動きは、私の耳にも届いています。侵入者があったこと、その後、誰も表沙汰にしようとしないこと。……不自然な静けさは、かえって目立つものよ」
エルフリーデは、リゼルに視線を向けた。
「あなたが、アーヴァインの生き残りね」
「――そうです」
「単刀直入に言うわ。私はあなたたちの敵ではない。むしろ、宰相ヴォルガンの企みを止めたいという点では、利害が一致していると思っている」
リゼルは、警戒を解かないまま尋ねた。
「なぜ、そこまで宰相を警戒するのですか」
「――私の母、先々代の王妃が、二十年前、不審な死を遂げているの」
エルフリーデの声に、抑えきれない苦さが滲んだ。
「表向きは病死とされたけれど、私はずっと、疑ってきた。母は生前、『宰相府には、決して明かされない秘密がある』と、私に言い残していた。詳しい内容を話す前に、母は亡くなってしまったけれど」
「その秘密が、二百年前の粛清と、繋がっていると?」
「確証はまだない。でも、こうしてあなたたちと出会ったことで、点と点が繋がり始めている気がするの」
エルフリーデは、持参した書類を、机の上に広げた。
「これは、王家に代々伝わる、非公開の年代記の写し。宰相職を務める一族――ヴォルガン家について、興味深い記述があるわ」
弟とレオンが、書類を覗き込んだ。
「――『ヴォルガン家は、王家の影として、代々「契約」に関わる事案を秘密裏に処理してきた』」
弟が、書類の一文を読み上げた。
「『契約』とは、具体的に何を指すのでしょう」
「そこが、まだ分からない部分よ。ただ、少なくとも二百年前――ちょうどアーヴァイン家粛清の時期と重なる形で、ヴォルガン家の当主が交代している。表向きは病没とされているけれど、その後継者――つまり、現在の宰相の先祖にあたる人物が、急に頭角を現している」
「まるで、粛清を境に、何かが変わったかのように」
リゼルが、静かに呟いた。
「ええ。そして、私が調べた限りでは――現在の宰相ヴォルガン殿自身、実年齢が戸籍上の年齢と、明らかに矛盾している」
「不老、ということですか」
「断定はできない。でも、少なくとも、あの人物が『二百年前から存在し続けている何か』である可能性は、十分にあると思う」
弟が、深く息を吐いた。
「――僕が薄々感じていたことと、一致します。ヴォルガンは、僕を『傀儡』として扱いながら、時折、まるで二百年前の出来事を、まるで昨日のことのように語ることがありました」
「宰相自身が、二百年前の実行者。それが、この物語の核心の一つ、ということね」
リゼルは、拳を握りしめた。
「エルフリーデ殿下。あなたは、なぜ、そこまでして真実を追うのですか」
「――理由は、単純よ」
エルフリーデは、まっすぐにリゼルを見つめた。
「私の母が、そしてあなたの家族が、同じ『何か』によって、不当に人生を奪われた。もしそれが本当なら、王族としてではなく、一人の人間として、見過ごすわけにはいかない」
その言葉に、リゼルは、二百年間感じたことのない、奇妙な連帯感を覚えた。
「では、協力していただけますか」
「もちろん。ただし、一つだけ、条件があるの」
「何でしょう」
「もし全ての真実が明らかになったとき――たとえそれが王家にとって都合の悪いものであっても、決して隠蔽しないこと。この国は、二百年間、都合の悪い記憶を消し去ることで、成り立ってきた。それを、もう終わらせたいの」
リゼルは、静かに頷いた。
「約束します。父が守ろうとした『記録』の意味も、その先にあると思うから」
四人は、雨上がりの窓の外を見つめた。王都の空に、久しぶりに、晴れ間が覗き始めていた。
「――さて」
エルフリーデが、表情を引き締めた。
「宰相府の本拠地には、恐らく、二百年前の全ての記録が眠っているはず。そこに辿り着くための算段を、立てましょう」




