思考
それから20分、ナルはひたすら飴を舐め続けていた。
少しでも気を紛らわせるべく苦肉の策としてではあったが、一つを食べ終えるのにちょうど五分、その事に気づいてからはあといくつでと頭の中でカウントをしていた。
そしてようやく、すべての薬液がナルの体内に注入されると同時にチューブを引き抜いて部屋を飛び出し煙草に火をつけたナルは恍惚とした表情でそれを満喫するのであった。
「あぁ……最高」
ドスト帝国での禁煙に比べれば大したことのない時間だが、それでもナルにとっては体感にして数時間分の禁煙に等しい感覚だった。
なにせ大一番が終わった後なのだ、仕事もひと段落ついたと言える。
これ以上この場にとどまる理由もほとんどない。
言ってしまえば、これは文字通りの意味で消化試合だけしか残っていないのだ。
「そんなにうまい物ではないと思うのだがな」
「薬液が体の栄養ならこれは心の栄養だからな、味はともかく満足できるというものだ」
「そういうものか……? 医者としてはあまり勧められない行為なんだがな」
英雄たちのもたらした知識により煙草が身体に悪いという事は周知の事実となっている。
実際に数多くの実験の末に、それが真実であるという裏付けも取れているためタワーをはじめとするこの世界の医者は煙草に関しては否定的な立場の者が多い。
とはいえ中にはこっそりと楽しむ者もいるのだが、ナルにとってはどうでもいい事だ。
重要なのはこうしてタバコを吸えたという事実のみ。
そうしてゆったりと紫煙を楽しんでいるナルは先程【悪魔】と【力】の同時発動でぶち抜いた鏡が修復されていることに気づいた。
「仕事が早いんだな」
「救護班もこれくらい仕事が早ければいいんだけどね」
「いやぁ、『神速』の傭兵とかそのあたり連れてきても丸焦げの人間は助からないだろ」
医務室で眠りこけていた偽死神や偽怪力を見てナルは思い出したかのようにある傭兵の二つ名をつぶやいた。
神の名を与えられるほどの傭兵はなにもグリムだけではない。
曰く、ほかの傭兵の三倍速で走り回り敵を切り捨てる傭兵がいるという話は有名であり好んで赤いマントを身に着けているという。
異世界の英雄がもたらした知識に当てはめてそんな恰好をしているそうだが、マントと速さのみが有名になり本人の顔はあまり知れ渡っていない。
そして何人もの偽神速が方々に出現しているため、仮に本人であっても傭兵の登録証などを見せなければ信じてもらえないだろうという可哀そうな事態になっている。
「丸焦げになるような奴はほんの一握り、私が直接あの場で治療できれば助けられた命は確かにあったはずなんだ。そうでなくとも運び出すのがもう少し早ければ、あと十秒早く治療ができていればなんてのは日常茶飯事なんだ」
「ほう……」
あと一歩、あと一手届かない。
やはり【塔】のカードが関わっているのだろうかとナルは思考を切り替える。
持ち主にとって有益に働くカードと言うのは多い。
外付けではあるが英雄の血族にしか発現しない特別な力を目覚めさせることもあるほどだ。
だがカードの中には持ち主に不利益を働くカードもあるのだ。
なぜ、そんなカードがあるのか。
ふと思ってしまったが最後ナルはその不可思議な事実に首をひねる。
もともとのカードの能力、【愚者】から与えられた知識ではナルに不幸をもたらすような能力というのはごく一部のみで、それも副作用と呼ぶべきものだ。
例えば【塔】のカードは魔術の一部として使うものであり、指定した対象を崩壊させるというものである。
その副作用として使用者をはじめとする崩壊にかかわった物体への無差別な不運というものがあった。
つまり建築物に小さな崩壊を起こせば『不運にもその穴が致命的な物であり建築物は全壊してしまった、ナルはその破片で怪我を負った』などの事態が引き起こされるのだ。
では、今の変質してしまった【塔】はどうだ。
副作用の不運のみが強調されており、本来の効果は一遍も見当たらない。
これはタワーが魔術師でないというのも理由の一つかもしれないが、だとすれば妙な話である。
だからこそナルは一つの仮説を立てた。
これはまさしくタロットカードを象徴しているのではないだろうかと。
(愚者は無知だが全ての可能性を内包している……正位置の意味は希望、なんにでもなれるという意味を見出せる……その愚者がいずれは世界にも手が届くようになる……けどそれは俺という個人の資質、他者から殺されればカードは再び世界に散らばることになるだろうが、今までいくら殺されても【愚者】だけは俺の中に残っていた……このカードが俺の希望……? いや違う、そうじゃない……何かを見落としている)
ナルの試案は続く。
何を見落としているのか、なにか重大な事実を忘れている、いや目を背けているのではないかと言う感覚に襲われる。
思い出せ、思い返せ、記憶を探れ、記録をあされ、ひたすら念じながらナルはここ最近に絞って自身の変化について思い起こしていた。
(記憶の欠如は無い……欠如……? 欠落……そうだ、欠落だ……感情の欠落、それを取り戻すかのような揺り返し……結果的にここ最近の感情の奮起は欠落していた穴がふさがるようにして起こっていた……? だとすると、こいつは……)
スッと懐のカードに手を伸ばして止める。
自分の力だと思っていたそれが、触れてはいけない物のような気がしてならなかった。
「……い。……ら……のか。おい! 」
「え? あぁなんだ? 」
「お客さんだ。それと煙草、火傷していないだろうね」
「ん? ペッ」
振り返ると同時に根元まで灰の塊になっていた煙草の吸殻をその場に唾液ごと吐き捨てたナルは改めて『客』に目を向けた。
「ふむ、これならば次の試合も大丈夫そうじゃな」
そこには三人の貴族が立っていた。




