裏で
ナルが意識を失い、治療を施されている間の事である。
階下で働く者達は皆忙しそうに地面を均していた。
ナルとマジャクの戦闘の傷跡は次の対戦が行えないほど闘技場の形を変えてしまっていたのだ。
魔術師同士の戦いではよくあることだが、傷跡の八割以上がナルのものであり、またその悉くが素手による破壊である。
また聞きだったものは当然ながら、実際見ていた者たちですら信じられないような光景だ。
この闘技場は裏ルートで手に入れた獰猛な肉食獣や魔獣を戦わせることもあるが、それでもせいぜい壁にひびが入る程度である。
では今の惨状は、地面には無数のクレーターがあり一番大きい物では直径3mを超える。
地割れの様にえぐられた部分はナルの蹴りが炸裂した跡だ。
貴賓席に設けられた特殊加工の鏡の交換も行われているが、これまた順調とはいいがたい速度で進められている。
いかんせん、ナルの試合はあまりにも苛烈すぎたのだ。
「まったく……どんな化物が暴れたらこうなるんだ? 」
「噂じゃ新しい英雄がやったとか、魔族が暴れたとか、そんな話ばっかりだぜ」
「英雄に魔族ねぇ……どっかの国で新しい英雄が現れたってのは聞いたが、魔族はさすがにないだろ。1000年も前に絶滅したって話だぞ」
「だからあくまでも噂だっての。だれがやったにせよ、ここまでできる奴を同じ人間とは思いたくないからな」
「あぁ……そりゃ同感だ」
そんな風に流言が飛び交っているのも作業が進まない一因ではある。
「少なくとも魔術師ならまだわかるんだがなぁ……」
「いやいや、魔術師なんて奴らも俺らからしたら天の上の存在だろ」
「俺達が地の下にいるからもっと上だな」
「ちげえねえ」
そんな風に笑いながら男たちはさぼりをとがめられない程度の速度で作業を進めていくのだった。
その光景を見下ろしながら特殊加工の鏡を隔てた向こう側では貴族同士の会議が行われていた。
この闘技場は表向き莫大な資金が動く賭博であるが、その実態は有望な傭兵やごろつきのスカウトにある。
各貴族が用意した人員の腕前を見る事でどれほどの人脈を持っているかという権勢に始まり、その人脈を横からかすめ取ろうと虎視眈々と狙いあう。
そんな場であるというのは彼ら貴族しか知らないことだが、結果として時折このような場が設けられるのだ。
「先程の一戦、実に見事な物でしたな」
「然り、開発途上の転移魔術を見事に使いこなして逃げおおせたマジャク殿の手腕は見事としか言いようがない」
「それを言えばナルというチェスの幹部、あの動きは人間ではありませんな。もしや本当に古に滅びたという魔族の生き残りか英雄では? 」
満面の笑みで語り合う貴族たちを見据えながら、治療の施された司会者はいまだに音をうまく拾えずにいる耳でその言葉を聞き取りながらため息をついていた。
いつまでこの権勢は続くのだろうかと辟易としているのだ。
そこに救いの手が差し伸べられる。
パンっと手をたたいたのはナルと話をしていた老齢の貴族である。
「前座はもう結構でしょう。して、先程の試合どちらの勝利としますかな」
その言葉に貴族たちはいっせいに沈黙する。
他人の手腕を褒める時間はすでに終わったのだ。
ここからは貴族として腹の探り合いをしなければいけない。
この試合の勝者を決めるというのは、言い換えるならばマジャクを起用した陣営とナルを起用した陣営のどちらに着くのかと結論を迫られる場面である。
ただの遊びという感覚でこの場に来ていた貴族は冷や汗を流し、休日を利用して息抜きを楽しもうと考えていた貴族は不満げにため息を吐く。
もとより戦場であると考えていた者はそれほど多くないが、ナルを起用した陣営の貴族三人は既に答えを出していた。
「身贔屓に見えるかもしれないが、我等はマジャク殿の撤退より後に意識を失ったナル殿の勝利であると結論を出した。異論はあるだろうか」
「意義あり、マジャク殿は逃走こそしたが意識を失うような真似はしていない。結果として勝敗で分けるのではなく引き分けとするのが妥当かと」
老齢貴族の言葉に反論したのは当然ながらマジャク側に加担していた貴族である。
その言い分は確かに正しいといえるが、しかしこの場にマジャクが戻ってきていない以上どうあがいても勝者にはなれない。
贔屓目に見て引き分けがせいぜいであり、この場合引き分けというのは掛け金全額払い戻しと言う措置が取られる。
結果として誰も得をしないのだ。
「ここで引き分けとするのは簡単である。が、では次の試合はどうなる。ナル殿が目を覚ませばナル殿の勝利、目を覚まさなければマジャク殿と引き分けたという措置にすればよかろう」
「む……ですが……」
「見たところ、あと一時間もすれば整地も終わるじゃろうて。その後30分待っても目を覚まさなければ引き分けじゃ。これ以上の譲歩となると、相応の対価が必要じゃぞ」
「……いいでしょう、その話に乗ります」
マジャク側の貴族が渋々と言った様子で頷いたのを皮切りに他の貴族からも異議なしという声が上がった。
老齢貴族は既に前線で剣をふるうような真似はできない。
しかし彼は老いるまでに蓄えた知識と言葉巧みに相手を誘導する術があるのだ。
まだまだ若いもんにはまけんぞと、内心で笑いながらワインを舐めて外の惨状に再び目を向けた。
上から見ればよく分かる、地形を変えてしまうナルの戦闘力。
ここが地下であるという事から多少の配慮はされていたのだろう。
その配慮の末に、暴風のような爪痕を残していったナルに老齢貴族も冷たい汗を感じ取ってしまっていた。
もしもこれが屋外であれば、マジャクは逃げる暇もなく死んでいたのではないだろうかという想像と共に、いざとなれば自分たちもこの力の餌食になるのではないかと。
あの飄々とした態度は決して屈しないという意思の表れであり、虚勢ではなくそれを成し遂げられるだけの実力があると分かったうえでのものだったのだろうと遅まきながらに気づいたことで危機感が刺激されたのだった。
老齢貴族は一人、腹の中に毒虫を抱え込んでしまったと命の覚悟を決めたのだった。




