悪魔と力
「ぐ……ぐぁ……Ga……く……うぉああああああああああ! 」
慟哭、【力】と【悪魔】、理論上は可能だと考えていたカードの同時発動。
それに初めて成功したナルの精神は暴風の中にいた。
立つことはおろか正面を見据える事さえ敵わない暴風、それを長年の努力のたまものか、はたまた生まれ持った精神力か。
どちらにせよその只中で台風のように荒れ狂う自分の精神を見つめていた。
浸食などと言う生易しいものではない。
これは侵略である。
一瞬でも気を抜けば一秒と持たずにナルは化物へと変貌する、その事を頭ではなく直感で理解していたナルは叫ばざるをえなかった。
地下の闘技場に響き渡る悲鳴ともとれる叫び声に、その裏では貴族たちが優雅に酒を飲みながら事の顛末を見守っているだろうと思われる特殊加工の鏡がびりびりと震える。
「はぁ……はぁ……」
そうしている間にもナルの両足はずぶずぶと地面に吸い込まれていく。
このままでは間違いなく、ナルは何かしらの形で敗北することになる。
それを暴風の吹き荒れる精神の中で感じ取ったナルは、力の方向性を変えた。
膂力を強化する【力】のカードを精神に向ける。
本来ならばカードは決められた能力以外の事には使えない、つまり精神力の強化などという行為はできないのだ。
だというのに、なぜかナルはそれができると考えての行動だった。
上昇気流である竜巻に降下気流であるダウンバーストを当てるかのように暴風が抑え込まれるのをわずかに感じ取ったナルは、精神を蝕む【悪魔】の力を体外に集中させた。
これも本来の使い方ではないが、同時にナルの両腕がバキバキと音を立てながら、以前グリムとともに倒した元【悪魔】保有者のそれと酷似したものへと変貌していく。
これならば……そう考えたナルはいまだに荒れ狂う精神の中で【力】のカードの方向性を再び元の物へと戻した。
つまり膂力の強化である。
再び【悪魔】の浸食は始まるが、それは普段と変わらない速度だ。
侵略と呼ぶにはぬるいと言い切れるほどのものになった。
しかし悠長にしている時間はない。
「はぁあ……」
大きく息を吐き、膝まで埋まった足を見て両手を地面につける。
「先程のような獣の動きでもする気かの? 」
「ふぅ……がぁあああああああああ! 」
もう一度大きく息を吐いてから、吠えた。
埋まった足の代わりと言わんばかりに変質した両腕で地面を掴み身体を持ち上げて、そして地面から足を引き抜いた。
それと同時に両腕が沈み始める感触が伝わってきたが、知ったことではないと今度はカードの力を足に込める。
履いていたブーツとズボンの裾が盛大にはじけ飛び、両腕は元の人間の者に戻ると同時に両足が変質した。
おそらくこれを全身で行えば前任者のような末路をたどることになるだろうというのは想像に難くないが、そこまでする意味はないと切り捨てて眼前の敵を殺す事だけに集中していた。
理由がなければ助けてやるのも一興、どころか価値を譲ってやってもいいとさえ思っている。
だがこいつは駄目だ、生きて返せば多かれ少なかれナルにとって不利益になる情報をトリックテイキングに与える事になってしまう。
だから殺す。
その思いに共鳴するかのように【悪魔】のカードが懐で震えながら金属を打ち合わせたような音を立てた。
「しゃぁあああああ! 」
変質した足での跳躍は瞬間移動に匹敵する。
たった一歩踏み出しただけで音速の壁を突き破り、乾いた音と衝撃を周囲に伝えた。
最も近くにいた司会者はその衝撃と音で意識を刈り取られたのか地面に倒れ、耳から血を流している。
哀れにもそれを助けに行けるものなどこの場にはいない。
方や魔術の極致にして武道の達人、かたや正真正銘の化物だ。
そこに近づくだけでも命の危険がある。
「ほっ」
マジャクは人間にはありえない高速移動でさえも見切ったかのように直撃を避けて、衝撃波と音の爆弾を防ぐように風の魔術で身を守っていた。
しかし続けざまに放たれた蹴りで風の障壁ごと吹き飛ばされることになる。
(危ないのう……障壁ナシなら今ので死んでおった)
内心で冷や汗を流しながらマジャクは持ちうる全ての魔力を注ぎ込んでナルを包囲するように魔術を展開する。
地面にはいつも通り泥化させる魔術、空中には逃げ場のない炎と風の波状攻撃。
変質した箇所に関しては未知数だが、生身の部位に当たればただでは済まないと確信を持って言える。
そう思い、魔術を行使したマジャク。
先程ナルが引き起こした衝撃波にも匹敵する振動が地下であるという事も相まって周囲へ危機感を募らせた。
巻き込まれればひとたまりもない、と。
そして数秒、見ていた者には数時間にも及ぶのではと思われた猛攻の中でナルは立っていた。
再び膝まで沈んでいる今倒れるという行為ができないからか、焦げた衣類を見た者たちはピクリとも動かないナルを見て死んでいるのではないかと思い、いまだ意識不明の司会者に水をかけてたたき起こそうとするものが出始める。
ただ一人、マジャクを除いて全員が決着を確信した瞬間だった。
「やはり、やはりか……」
ナルが埋まった足も関係ないと一歩踏み出す。
ずぶりと抜ける足、再び沈んでいくがそれもお構いなしにズンズンとマジャクへ近づいていく。
「はぁあああああ……」
目を光らせて近づいてくるナルは、まさしく死の権化である。
あと数歩、いや一瞬でもナルが力を籠めれば距離は詰められてしまう。
その後に待っているのは、確実な死。
「潮時……かのう」
そう言ってマジャクはある術式を展開した。
見る者が見れば卒倒しかねない幾何学模様の魔法陣。
それは紛れもなく転移の魔術式であり、実現不可能とまで言われた魔術の一つ。
唯一使えるのは【魔術師】のカードを持っているマギカくらいの者だろうと考えていたナルにとっても寝耳に水のそれを発動させようとするマジャクに殴り掛かるも直前で消え失せた事で空気の壁を殴りつけたナルは音速を超えた右腕が裂けるのを見た。
おそらく【力】と【悪魔】の相乗効果で1000倍、あるいはそれ以上の力を得ているのだろうが肉体が耐え切れないのだ。
しかしナルは一つある確信をもって一つの行為に出る。
何枚も張り巡らされた特殊加工の鏡、その一つに向かって跳躍したナルは鏡を突き破りその奥にいた貴族たちも無視して医務室へと駆け込む。
トリックテイキングがこのような場所に来る理由は何か、考えられる可能性はカードである。
ここにあるのは以前からわかっていたのだろうが回収するタイミングを見計らっていたと考えるのが妥当であり、今回の大会こそがその収穫期だったのではないかと考えたナルは猪突猛進に扉を蹴り破って中に入り、そしてあまりの静けさに唖然としていた。
これはナルの予想だが転移はあまり遠距離には使えないだろうと考えていたのだ。
それは正解である。
転移の魔術は過去に英雄が使っていたようなものと比べれば格段に制度は落ちる上に、距離も短く使う魔力量も尋常ではない。
しかし逃げた先は、これに関してはナルの頭が回っていなかっただけだが女医のいる、つまりはカードのある医務室ではなく屋外である。
さっさと尻尾を巻いて逃げ出したマジャクは数度の転移を繰り返して既に街の外へと逃げだしていたのだ。
思えばカードの譲渡を頼むには相応に時間をかけて説明をしなければならない。
少なくとも女医は【節制】を使った時もただの魔術、それも教養のない一般人から見て不可思議な行為は全て魔術で片付けてしまうような感覚で眺めていただけにすぎない以上カードの知識はない。
そこにゼロからカードについて説明をして、譲渡をしてもらうまでにどれほどの時間がかかるか。
間違いなく察知したナルが駆けつける方が早い。
だからこそ逃げの一手を打ったのだ。
その事実に気づいてからナルはようやく二枚のカードを解除して、地面に倒れこんだ。
全身を襲う激痛、心がバラバラになりそうな不快感に襲われながらも意識だけは保っている。
一瞬でも気を抜けば意識は闇に沈む、直感で理解していたナルは動かない腕を動かそうとしてもがき、諦めて無理やり口を動かす。
「パペット……」
ハングドマンから奪った【吊られた男】、人形を操る程度の能力しかないそれを発動させようとしたのだ。
今のナルはろくに身動き一つとれない、いわば生きた人形である。
ならばこの効果を拡大解釈すればと考えての事だったが意思に判してカードが発動しない。
その兆候さえ見せない。
(ちくしょう……これも反動か……)
全身の激痛、精神の浸食、カードの使用不可、あまりに重すぎる副作用に顔をしかめながら駆け付けた貴族や兵士を視界の端にとらえて声を振り絞る。
「逃げたマジャクと、動けない俺……勝者はどっちだ」
それに答える者はいない。
過去この闘技場で転移を使って逃げる者などいるはずもなく、また両社同時のノックアウトや死亡はあってもナルの様に動けなくなっただけという者もほとんどいないのだ。
司会者さえ失神している今その判断を下せる者は一人もいない。
これはある種の貴族同士の抗争でもある。
互いの持ち駒を使い、力を競い合わせて人脈という形で競い合うのだ。
そこに金を賭けるのは副次的な物であり、ここで貴族の名を持ち出してナルの勝利を宣言すれば禍根を残す事になる。
だからこそ沈黙した彼らに、ナルはぎこちない笑みを向けた。
「引き分けでも何でもいいさ……煙草、くれよ」
身体が動かないからと理由を付け加えて語るナルに、貴族の一人。
試合の前にナルに突っかかってきた若手貴族がそれなりに高級品と思われる煙草を取り出してナルの口に咥えさせた。
そしてナルの上体を持ち上げてから火をつけたのだった。
「はぁ……くっそ美味い……」
その言葉を最後にナルは意識を失った。
無理やりにつなぎとめていたそれは一服を終えた事で一瞬安堵してしまったためか、それとも限界が来たのかは誰にも判断できない。
そこから先は女医の出番だった。
「呼吸は正常、脈拍は強く短く、発汗の様子無し……疲労だね」
診断を終えて槍を持った兵士たちにナルをベッドに運ぶように伝えてから棚をあさり栄養剤などの詰め込まれた瓶と注射器を取り出してからてきぱきと治療を始めた女医は、いまだにその場から去ろうとしない貴族たちをにらみつける。
「いつまでそこにいるつもりだい! 邪魔だからどっかで酒でも舐めてろ! 」
鬼のような形相で叫ぶ女医に臆したわけではないが、ここにいてもできる事は無く心配してやる義理もないと退散していった貴族たち。
ただ一人、若手貴族のみがその場に残っていた。
「本当に、ただの疲労なのか」
「腕の擦過傷は結構な重症だけど命にかかわる物じゃない。薬を打ったから一時間もすれば目を覚ますかもしれないが、このまま目を覚まさない可能性もある。まったく、こんなに面倒な患者は初めてだよ」
「そうか……必要な物があれば言ってくれ」
「言われなくとも、治療に必要だとおもえばなんだって要求するよ」
その会話を最後に貴族は医務室を出ていき、女医はナルの腕に何本ものチューブを差し込んで薬液を流し始めた。
普段ならば回復が始まっていてもおかしくないはずの、ナルの右腕からは絶え間なく血が流れ続け、そして小指の爪が変質したまま浅黒く染まっていた。




