トリックテイキング
「次は……魔術師か、嫌な相手だな……」
げんなりとしたナルは今度こそ棄権するかなと階段を降りる。
そうは問屋が卸さないと釘を刺されたばかりだが、それでも今勝負を投げ出すという手段はあるのだ。
「魔術師っていい思い出ないんだよなぁ……」
この世界は異世界から現れた英雄たちの尽力で技術に対して不相応に学問が発達している。
例えば人体、医療技術に関してはいまだに輸血などの手法は科学面で不可能とされているが、日夜その技術をものにするためにも研究が続けられている。
内臓の役割や、骨折の治療法、縫合に切除と言った物は当然のように行われるようになっているほどだ。
同時に科学の面でもある程度の知識は一般教養になっていた。
空気なんかはその最たる例だろう。
およそ20%の酸素と78%の窒素、それらの役割から燃焼に至るまでの過程などに関してはいまだ実証こそされていないが英雄たちの知識から伝えられていた。
それが意味することは、研究者であり砲台であった魔術師という存在の重要化。
この世界にいた魔術師はもともと大きな力は持っていなかった。
長い詠唱、膨大な魔力、それらすべてを使いようやく拳大の火球を作り出すのが精いっぱい。
射程も矢より短い事から使い道のほとんどない学問として切り捨てられる寸前まで追い込まれていた。
そんな中で現れたのが英雄の一人、魔術の始祖とも呼ばれるアスカ・クロギシである。
初めはただの少女、そして魔術の素養があるという事から召喚した国家はひどく落胆したという。
しかしその認識はその日のうちに改められることになった。
魔術の使い方を教わったアスカは既存の魔術全てを上回る研究結果を実践してみせたのだ。
今までは手のひらで生み出した火球を投げつけるようにしていたのに対して効果範囲内ならばどの位置からでも魔術を発動させて敵を狙い撃つなど、面の攻撃に重きを置いていた魔術の世界を立体の攻撃へと変えたのだ。
剣の攻撃は線であり、正拳などは点である。
これを次元と呼んだアスカは魔術は面の攻撃をうたっているがその実、点の攻撃であるとそれまでの学派を否定し、本当の三次元と言うのはこういうものだと四方八方から襲い来る雷、氷、炎、風、土の魔術を同時に使用して見せた。
その結果多くの学徒がアスカ派と呼ばれる新機軸の門徒となり、現代まで研鑽を積んで研究を重ね、数百年という時間こそかかったが彼女が立っていたと思われるレベルの魔術師を量産できるまでになっていた。
つまり、これからナルが相手をする魔術師もその程度の事はできて当然。
計算に強い者であれば避ける事も考慮して徐々に逃げ道をふさぐように攻撃を仕掛けてくるだろう。
そうでなくともナルの知覚外から魔術を乱射されてしまえば、躱すのは難しい。
一人の魔術師を一騎打ちを起こなうというのは100の弓兵に囲まれることと同義である。
さらに熟練の魔術師相手であれば1000の歩兵と500の弓兵に匹敵する戦力となりうる。
レムレス皇国で一戦交えたマギカという規格外に関していえば単独で国家相手の戦争が可能な戦力と言えるほどだ。
流石に、そこまでの力は持っていないだろうと考えながらもわずかな違和感をこれから戦う魔術師に抱いていたナルは速攻戦術を決め込んでいた。
魔術師唯一の欠点は近接戦にある。
自信を巻き込むほどの魔術を使うのであればその策も封じられるが、同時に相手も手痛いダメージを負う事になるのだ。
そしてナルは多少のダメージで止まることはない。
だから一撃で勝負を終わらせてしまえばいいと考えていた。
「さぁ死神と怪力を破ったナル選手の入場だ! 全員拍手でお迎えください! 」
近年北方で実用化されたと言われている電気を用いたライトがナルに向けられて照射される。
一瞬目が眩むほどの光量に顔をしかめたナルは、同時に熱も感じ取っていた。
竹を使った光源と聞いてはいるものの、その製法はいまだ国家機密扱いだというのにこの裏賭博では当然のごとく使われている。
その意味することがなにか、ナルの脳裏は一瞬その事に支配された。
そしてすぐに答えは出る。
「方やナル選手に挑むのは魔導士マジャク! 所属はトリックテイキング! 我々のスポンサーの一人です! こちらにも盛大な拍手と声援を! 」
ここでくるか、とナルは身構える。
北方で実用化されたばかりの技術が使用されているという事は裏に北の住民がいるという事である。
では誰が、それをこんな場末の裏賭博場に持ち込めるのか。
貴族ではない、彼らは出世に目を向ける物が多いのは事実だが保身こそを重視する。
では貴族の次にこの手の情報や機材を得られるのは、一番最初に手にするのは研究者であり、続いてが貴族、三番手にはいつの世もどの世界も変わらず裏の住民と相場は決まっているのだ。
つまり、ここはトリックテイキングの息のかかった敵地である。
もう少し詳しく観察していたらその事実に気づけたかもしれない、しかし気付いたところでできる事はなかっただろうと掌で転がされていることに怒りを覚えたナルだが、なるようになれと舞台へ躍り出た。
「初めまして。我はマジャク、不詳の弟子マギカの師にして【魔術師】の元保有者だ」
「これはどうもご丁寧に、お前らの敵ナルだ」
ストレングス、と小さく呟いて【力】のカードを発動させる。
膂力の強化、それに伴う肉体の頑強性の強化と動体視力の強化という付属品を惜しみなく使い観察をする。
見たところ中年、40か50と言ったところだろうか。
白いローブに捻じれた木の杖、見るからに魔術師と見えるその風貌に対してナルの目に止まったのは首筋だった。
常人のそれと比べれば幾分か太く血管が浮いている。
歩いている際に見えた足首はナルの二の腕くらいの太さに見えた。
杖を握る手は傷が見られ、手首は首同様に欠陥が浮き上がり筋肉が膨張しているのが見える。
真っ当な魔術師ではないと読み解くには十分すぎる情報だった。
魔術師としては異端もいいところだ。
この男は杖を魔術の触媒ではなく純粋に武器として使うのだろう。
ならば杖などと言わずに長いこん棒と言い換えた方が分かりやすいかもしれない。
「あんた本当に魔術師か? 」
「魔導士である」
呼び方の違いに随分とこだわるなと気にかけながらナルは半身に構えた。
近接戦闘になれていようとも、【力】のカードを使って対処できない相手ではないと考えての行動だ。
「オッズはナル選手1.5倍! マジャク選手1.2倍! 出そろいましたところで、試合開始! 」
宣言と同時にナルはその膂力を惜しみなく使った突進を仕掛けようとした。
しかし一向に視界が動くことは無く、見れば走り出そうとして踏み込んだ先の地面が泥のようにナルの右足をからめとっている。
脛まで沈んでいることからナルは左足に力を入れればさらに体が沈んだ。
両足が拘束されたに等しい状況、このわずかな時間でそれだけの魔術を行使したのかとは思わない。
あらかじめ仕込んでいたのだろう。
ここはトリックテイキングの支援を受けている賭博場である以上、多少の不正は見逃される。
先程のオッズも、ダークホースとしてそれなりに名をはせたナルの方が上だったことからもマジャクに賭けた額の方が多いのは明らかだが、それには裏があってしかるべきだ。
となれば、この試合ナルが相手取るのはマジャクただ一人ではなくこの賭博にかかわる者すべてという事になる。
「どうした? お若いの」
「どうも……しねえよ! 」
埋まったままの足で地面をけり上げた。
左足が膝丈まで埋まるが気にすることなく右足を高々と上げたナルに、しかしマジャクは驚く様子も見せぬまま杖で地面を軽くたたいた。
どうじにナルの左足がさらに沈み始める。
それを防ぐためにも右足を地面につける必要があったが、何処が安全地帯なのか、そもそもそんな場所があるのかもわからない以上うかつな行動はとれず、かといってこれ以上身体が沈むのは論外、これいじょう動きを制限されてしまえばこの後に待ち構える魔術の雨に対処できなくなるからだ。
「くそっ……デビル! 」
【力】を解除して【悪魔】を発動させる。
いつも通りの、しかし今までよりも明らかに早く深く精神を蝕むそれを根性で抑え込みながらナルは右足を振り下ろした。
地面がナルを飲み込む、それがなんだ、ならば地面を吹き飛ばせばいい。
そんな短絡的かつ魔術を相手取るには最適な思考で地面に小さなクレーターを作り出したナルは地面に足をつけると同時に、つまり徐々に沈み始めていたのを無視して両手足を使い獣のように駆け出した。
二足歩行と比べて四足歩行は体重を分散させやすいという利点がある。
重心の偏りなどから完全な分散は不可能だが、それでも先程までよりは沈みにくく走ることができる。
とはいえ【悪魔】を使い、それを抑え込み、なおかつ普段は使わない姿勢での戦闘、負荷は途方もない。
わずかに重心を崩せばどうなるかと考えを振り切りながらもマジャクの眼前に、それこそ観客や司会者には一瞬の出来事だったかのように映ったそれを、体感では数十秒にも感じるほど長く、そして速くと念じ続けたナルの頬に衝撃が走った。
「なるほど、規格外相手には無意味な策である……か」
見れば拳を握り締めたマジャクがナルには目もくれずに懐から手帳を取り出していた。
そして拳を開いて手帳に備え付けてあったペンをとり何かをメモしている。
「てめぇ! 」
再びとびかかったナルは、確かに直前まで眼前にいたはずのマジャクの姿がかき消えたように見えた。
そして腕と腹に感じたわずかな熱、ほとんど同時に発生した爆発、揺さぶられる内臓、手玉に取られていると察するまでに時間は不要だった。
「ふむ、その程度か」
「あ? 」
「不詳の弟子であれば確かに圧倒できたであろう。しかし我には通用せぬ。その程度ではな」
「煽りが上手いじゃねえか」
「事実である」
「あぁ……なるほど、人の振り見て我が振り直せとはよく言った物だな……」
反省するように、しかし足を取られないようにと高速で走り回るナルはこのまま【悪魔】を使い続けるか悩んでいた。
解除すれば他のカードも使える。
しかし決定打となる物は一つもなく、かといって降参というわけにもいかない。
これが女医と話をしたいというだけならばよかったが、トリックテイキングの手先が乗り込んでいると分かった以上対処はしなければいけない。
ここで弱みを見せるのは下策だが、しかし本気を見せるのも問題である。
贅沢を言うならば【悪魔】さえも使いたくはなかったが、しかしこのままではまずい。
下手をすればナルはこの場で一度死に、カードの力が世界に散らばる可能性がある。
それだけは何としてでも避けなければいけない。
ならばどうするか……背に腹は代えられないとナルは【悪魔】を解除した。
「む……? 降参かの? 」
「いんや、お前をぶち殺す事にした」
足を止めた事で沈み始めた身体も無視して、ナルは懐に手を当てた。
「デビルストレングス」




