第7話 二度目のダンス
カエリム氏はセリーヌに捕まって話していた。
私は飲み物を飲んで一息つくと、ガラス戸から外に出た。室内の明かりを受けて夜の闇にぼんやりと庭の薔薇が浮かび上がっていた。私はあてもなくぶらぶらと庭を歩きながら薔薇を眺めていた。
私のお気に入りの薔薇を一輪取って髪に飾ろうと思って手を伸ばした時、背後から声がした。
「また棘が刺さりますよ」
後ろを振り返ると彼がいた。
「引っ張りだこなのに、こんな所にいていいの?」
「あなたこそ」
「私はいてもいなくても、気付かれないわ」
彼は目を伏せて、躊躇いがちに尋ねた。
「……立ち入ったことを承知で伺いますが……実のお父様で?」
彼の率直な質問に私は苦笑した。だが悪い気はしなかった。父の私への対応に違和感を感じても、態度で示したり直接聞いたりする人なんて滅多にいない。
「そうなの。継父じゃないわよ。小さいときからよく言われてたわ。お前は妖精が取り替えていった子なのかもね、って」
「妖精が取り替えて行ったのではなくて、妖精が気まぐれにこの家庭にやって来たのではないですか? 人間世界がどんなものか興味を惹かれて、試しに人間になってみた妖精のようですよ、あなたは」
「まあ、良い方に解釈してくださったのね。私の家族は”ハズレを引かされた”って思っているのよ。お父様は男の子が欲しかったんですって」
「そういえば、アレックスという名は短縮形ではないのですね。あなたの家では愛称で呼ばないのですか? 貴族という家柄では形式を重んじられるのかもしれませんが」
「貴族だからというわけじゃなくて、昔からそうなの。エヴァンジェリンは自分の美しい名前が短縮されるのが嫌なんですって。私は友達にアリーって呼ばれることがあるわ」
私は薔薇の花びらにそっと手を添えて、続けた。
「小さい頃、乗馬や木登りをするとお父様が喜んでくれたの。お転婆な私を愛してくれているんだと思ってた。でも年頃になると……きっとお父様は活発で男みたいな私だけが好きだったのね。……あなたも名前のことを言っていたけれど、私にはご両親の願いがこもっているように感じるわ」
「……期待と言ったほうが正確かもしれません」
「そうね、期待されるのも大変でしょうね……。さっき愛称のことを話していたけれど、あなたはご家族になんて呼ばれているの?」
「バルトと呼ばれています」
「愛称も立派なのね。ねえ、平凡な名前に憧れてらっしゃるなら、私が平凡な呼び名をつけて差し上げましょうか? ヴィリー……いえ、だめね。ヴィルとか」
「ヴィリーがなぜ駄目なんですか」
「うちの馬丁がビリーなのよ。お調子者で、叱りつけるように呼ぶこともあるから」
「叱りつけられるのは嫌ですね」
「でしょう? だから、ヴィルはいかが? とても普通よ」
彼は微笑んで目礼した。
「ではお返しに、私は女性らしい呼び名を進呈しましょうか」
「どんなのかしら?」
「……アレクシー、それか、レクシー」
「レクシーがいいわ、間違いようのないくらい女性らしい名前だから」
「それでは、レクシー、そしてヴィル、ということで」
「ええ」
彼が私に腕を向けた。私はその腕を取った。
「私の相手は誰でもいいんですって。農夫でもいいぞって言われたことあるの。でも、真実の愛だけで相手を決められるってことね。期待されないのはちょっと寂しいけど、引き換えに空を飛ぶ小鳥のように自由気ままですわ」
「確かに、あなたが踊る姿は小鳥のように軽やかでしたね」
「まあ、恐れ入ります」
彼の言い方を真似した私に、彼が少し驚いたように瞬きした。私はにっこりと微笑んだ。
彼と共に、母とエヴァンジェリンの元へ行くとエヴァンジェリンが眉をしかめた。私がカエリム氏……ヴィルに腕を借りているのが、気に入らないのだろう。
母が言った。
「まあ、カエリムさん、どちらにいらしたのかと思っておりましたわ」
「庭で夜空の下、咲き誇る薔薇を堪能しておりました」
「咲き誇る花でしたらここにもありましてよ」
エヴァンジェリンのことを言っているのね。
「おっしゃるとおり、お嬢様方は薔薇のごとくお美しいですね」
――お嬢様”方”。
その言葉にエヴァンジェリンは苛立ったようだった。
「カエリムさんはもうダンスなさらないの? あなたと踊りたい女性はたくさんいらっしゃるのよ。アレックスが独占しているのは申し訳ないわ」
早く離れろ、という意味だと理解した私は彼の腕をそっと離した。その手を彼が素早く取った。
「では、踊ることにいたしましょうか? アレックス嬢」
彼の言葉にエヴァンジェリンも母も呆気にとられた。私も同様だった。
「……私と? さっき踊りましたわよ?」
「もちろん覚えていますよ。記憶力は良い方なので」
平然と彼は言ってのけた。
エヴァンジェリンが刺すような視線を私に向けたのが、そちらを見なくても分かった。エヴァンジェリンに譲った方が良いのだろう。後々きっと面倒なことになるという予感が心をよぎった。
でも、今だけは譲りたくなかった。
「お嫌ですか?」彼は問いかけるような眼差しを私に向けた。
「……いいえ」
それは、私なりの意思表示だった。
私たちはダンスをしている人たちの方へ歩き出した。




