第43話 『事実は小説より奇なり』
レクシーを連れ帰ったカエリム家はちょっとした騒ぎだった。
「多少覚悟していたが、まさか本当に子爵令嬢を攫ってくるとはね」父親が言った。
「ちゃんと婚約の許諾書を子爵に書いてもらいましたよ。誘拐罪になったら大変ですから」
やや気まずそうにヴィリバルドは言ったが、その後、一転して事務的な口調でこう続けた。
「ただ、持参金なしな上に爵位や領地の権利は一切放棄しているので、私はこれから身を粉にして働きます。支店には私が行きます」
「そんなことしなくてもいいわよ。あなたが幸せなら」と母親が言った。
「いえ、借りを作るのは私の性分に合わないので」
息子の言葉に、父親と母親は顔を見合わせた。
「バルト、やはりカエリム家の魂を引き継いだ人間ね。あなたなら、支店の立ち上げも見事にやってのけるでしょう。……誇りに思ってるわ」
「恐れ入ります」
少し気取って微笑み合う母親と息子を、父親は穏やかに見ていた。
*
ヴィルは夕暮れの中庭に私を連れ出した。賑やかな通りの気配がかすかに聞こえたが、中庭には誰もいなかった。
「私は支店を立ち上げに行くことになりました。……レクシー、あなたにも来てほしいんです」
彼は私の両手を取って言った。
「あなたは広い世界に憧れていましたね。新しい世界を一緒に覗いてみませんか? 流通のいい港町で、絵手紙の通り景色もいいですよ」
「私、海を見てみたいとずっと思っていたの」私は微笑んで答えた。
「それに、旧都ほど規模は大きくはないけれど、図書館や美術館もあります」
「しかもあなたと一緒に行けるのよね? そんなのって最高じゃない?」
彼は口元をほころばせた。
「でも結婚なんて、お父様が本当に許してくれるかしら。嫌がらせで認めないんじゃない?」私は気まずそうに彼を見上げた。
「ああ、それは大丈夫ですよ。心配しないでください」
「でも……あのお父様よ。あんなに怒っていたし……」
彼は私の不安そうな表情を見て、口元を引き締めた。
「この事実をあなたには知らせるのは心苦しいのですが、安心していただくために話します。……実は、お父様はカードゲームで多額の負債がおありです」
「……本当にあったのね、いくらくらいなの?」
「まあ、すぐに破産するようなものではありませんよ。……そして、それを私が買い上げました」
「あなたが? ねえ、そんなことをしては駄目よ」
「いえ、決して善意などではなく極めて利己的な理由からです。それを交渉材料に婚約を許可していただきました。ちゃんとサインもいただいていますよ」彼は胸元から書類を取り出して、私に見せた。
勝手にしろ、と言った父の姿が思い浮かんだ。
私を迎えにくる前から、ヴィルはそのつもりだったんだ。
たぶん、かなり前から負債処理に手を付けていたのだろう。
連絡が上手く取れない間も、彼は本当に私のことを想ってくれていたのね。
落ち着いた態度に秘められた情熱と冷静に現実を見て対応する能力のどちらも、彼らしくて愛おしいと思った。
――優美なのに、芯の強いひと。
彼はあの食えない笑顔を浮かべた。
「あなたとの婚約許可が買えるなら、これは割の良い投資ですよ」
ねえ、分かっているのよ。私が負担に思わないように、わざとそんな言い方をしているんでしょう?
本当は、私の家族のせいであなたにどんな形の負担だって負わせたくない。
――なぜ、こんなにも私によくしてくれるのか。
今は分かる、ただ私への愛のためにしてくれているのだと。
だから私はそれにありったけの愛で応えよう。
「絶対に、後悔させないわ」
私は瞳に決意を込めて言った。
彼は少し目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。
「まるで物語みたいね。何もかも揃った理想的な男性がちょっと不幸な女性を助けてくれるなんて」
「いや、私はそこまで自惚れられないですね。成り上がりの商人が借金の質に貴族令嬢と婚約するなんて、小説なら私はとんだ悪役ですよ。物語はあくまで理想の世界ですから……現実とは違うんです」
情けなさそうに皮肉を言う彼に、私は笑いかけた。
「”事実は小説より奇なり”って言うわ。それに旦那様が小説の悪役なんて素敵じゃない?」
彼はその台詞が気に入ったみたいだった。
「悪役の妻が妖精とは。一体どんな物語になるんでしょうね」
「最後はキスとかするんじゃないかしら。物語だとそうだけど」
彼は片眉を上げて私を見た。
「ありきたりかしら?」私は首を傾げて彼を見た。
「なんだかんだと言って、皆、王道が好きなんですよ」
彼は微笑んで私の顎に手を添えた。
私は目を閉じた。彼の唇が私の唇に触れた。
甘いキスって言うけれど、甘さは感じなかった。
やっぱり物語と現実は違うみたい。でも、それも悪くない。
「めでたしめでたし」の後も物語は続くのね。
第43話で完結です。
ただでさえ心情を中心に書く私が、「落ち着いた会話ものを」と思って書いたので、地味な作品になったかもしれません。ですが、分かっていても書きたかったのです。
言葉遊びのような会話や劇的ではないけれど動く心を表現したかったので、それを感じ取っていただけたら嬉しいです。
番外編が数話あるのですが、本作に関しては別の話ではなく番外編を含めて終わりだと個人的に思っているので、2026年9月14日より1週間ごとに公開していく予定です。(終わり方は本話が一番綺麗なので、ここで一旦完結にしています)よろしけれは引き続きご覧ください。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




