第41話 レクシーの決意
自分の家族が恥ずかしい。
泣いて誤魔化そうとするエヴァンジェリン。
あたふたするだけで、事実を直視しようとしない母。
エヴァンジェリンをたしなめもせず開き直る父。
本当にこの人たちは私の家族なの? 一緒に過ごしてきた時間は長いけれど、彼らは私に何の興味もないんだ。
ヴィルの家族は、何でも一緒というわけではないし精神的に自立している。それでありながら、お互いに気にかけて尊重しあっている。辛辣な冗談を言い合ったりしているけれど、それは彼らのどこか不器用な愛情表現のように思えた。
彼はもう一度私に尋ねた。
「レクシー、本当にここに残りたいですか?」
私は彼にゆっくりと顔を向けた。彼の夜のような群青の瞳が私を見つめていた。小さな声で呟いた私自身の声はどこか遠くから聞こえたように感じた。
「……もう、ここにいたくない。でも、ヴィルにこれ以上迷惑をかけたくないの」
母が息を呑んだ気配がした。だが、ヴィル以外のことを気に掛ける余裕はなかった。私はまるでこの場にヴィルしかいないかのように話していた。
「迷惑ではありません。むしろ来ていただきたいのです。レクシー、あなたがこんな所にいると思うと気になって仕事が手につかなくて、そちらの方が困るんです。私が安心できるように一緒に来ていただけませんか?」
ヴィルも同じだった。普段の彼だったら私の家族の前でこんなことを言うはずがないのに。
「あなたの価値が認めてもらえない場所に無理にいる必要はありません。私の行動が貴族の価値観から外れていることは承知しています。ですが人として間違ったことはしていないつもりです。
どうか、あなた自身で考えて判断していただけませんか? 周りからどう見られるかではなく、あなたが本当に望むことを選んでください」
ここで私が断ったら、彼は社会的にも個人的にも面目を失うのに。
それを彼が考慮していないとは思えなかった。分かったうえで言ってくれているのだ。それも、ただ私を救うためだけに。
私はもう後悔したくなかった。自分の心の訴えをこれ以上無視したくなかった。
「……行きたい」
私の囁くような言葉に父が怒鳴った。
「そんなことが許されると思っているのか!? どんな悪評が立つか!」
「悪評など立ちません。正式に婚約しますから」
「私が許すとでも思っているのか!?」
「本来、この国の法律では当人の同意と証人だけで婚姻は可能ですが、あなたも同意してくださると思いますよ」
父は空いた口が塞がらない様子だった。
「リンドレイ卿、別室でお話しましょうか」ヴィルが穏やかに言った。
「お前と話すことなどない」
「私には、あるのです」
ヴィルは何かの書類を胸元から出すと、ちらりと父に書類に書かれたマークを見せた。
訝しげにそれを見つめた父の顔が途端に青ざめた。
「それを、なぜ……」
「ですから、その訳を別室でお話しましょうと申し上げたのです」ヴィルは落ち着き払って答えた。
彼の出した切り札が何なのか、私には見当もつかなかった。
不安げに見上げた私を安心させるようにヴィルは微笑んだ。
「大丈夫ですよ、私もお父上も。決闘などしませんから」
二人は書斎へ向かった。
残された母と姉は黙っていた。ゆっくりと部屋を出ようとした私の背に母が声をかけた。
「どこへ行くの……?」
「自分の部屋へ、荷造りをするので」
「……本当に出ていくつもりなの?」
「はい」
『お元気で』『さようなら』
どちらも私の心を正確に表していない気がして、私はそれ以上何も言わずに部屋を後にした。
大して持っていきたいものはなかった。
絶対に持っていきたいと思ったのは彼からもらった服と手紙、旧都での思い出の品々。
お守り代わりの指輪は今も身につけている。
皮肉なことに、私の大事なものは全て彼が与えてくれたものばかりだった。
しばらくするとヴィルが乳母のマーサに案内されて私の部屋へ迎えに来た。
「行きましょう、レクシー。ああ、荷物をまとめたんですね、助かります」
彼はマーサを手で制止すると当然のように私の荷物を持ってくれた。
私たちが先程の部屋を通り過ぎるとき、開いた扉から”私の家族”が見えた。
私は立ち止まって三人を見つめた。
「お父上にも許可をいただきましたから、あなたが負い目を感じる必要はありません」
ヴィルは父に確認するような視線を向けた。
「……勝手にしろ」父は不機嫌そうに言った。
ヴィルは一体どんな魔法を使ったのだろう。
私は小さく会釈だけして、その場を後にした。
玄関ホールでマーサがヴィルに封筒を渡した。
「エヴァンジェリン様のお部屋から見つかりました」
「ありましたか。燃やされたかと思いましたが」
「今の季節は暖炉に火を入れませんから」
手紙を胸元に入れながら、ヴィルはマーサに聞いた。
「あなたも来ますか?」
「いいえ、私はここに家や家族がありますから」
「そうですか。……もし立場が悪くなるようなことがあれば、すぐに連絡してください。仕事なら世話できます」
「ありがとうございます。ですが、使用人というのは意外に家の中を知っているものでしてね、おいそれと放り出せないものですよ」そう言って微笑むマーサに、ヴィルは口の片端を上げて応えた。
「あなたもなかなか強かですね。強かな人は好きです」
「これを……何かの時に使ってください」と彼は手で隠すようにして何かをマーサに渡した。いくばくかのお金のように見えた。
「本当にどこまでもお考えの深い方ですね。お嬢様も安心なさるでしょう」
ヴィルは口元を緩めて目を伏せた。
外へ出ると、ビリーがヴィルの家の馬車に繋がれた馬を撫でていた。
「ビリー!」驚いた私の声にビリーが振り向いた。
「カエリムさん、馬は交換しときましたよ。いつでも走れます」
「ウィルマー君、助かったよ。急で悪かったな。……レクシーはもうここには戻らない。今後は私が守るよ」
ビリーは驚いたように目を見開いたが、すぐに歯を見せて笑った。
「アリー、よかったな。自由になれるんだ……ほんとによかったよ。カエリムさん、アリーのことよろしくお願いします」
ヴィルは微笑んで頷いた。
「馬は後で返す手配をするよ、君にとって大事なものだろうから。その間うちの馬を頼む」
「はい、任してください。……でもカエリムさん、ほんとにアリーでいいんですか?」
「ビリー?」私は呆気にとられた。
「だってアリーには悪いけど、そうじゃん。こんなに男前で上品でさ。金持ちな上に中身まで本物の紳士だし。旧都なら美女も才女もよりどりみどりだろうに、なんでアリーなのか……」
「ちょっとビリー……!」
あまりの言い草に言い返そうとした私の言葉をヴィルが遮った。
「ウィルマー君、君とクレア嬢がうちの店に来たときのことを覚えているか?」
「へ?」
「私が言ったことだよ。君の帰り際に」
「え、えーと……あ、はい。あのー、こんな素敵な女性に選ばれるなんて、その、カエリムさんはめちゃくちゃラッキーです」
どこか棒読みなビリーの言葉にヴィルはにっこりと微笑んで応えた。
「ありがとう」
「なに? どういうこと?」
困惑する私をよそに、ヴィルはいたずらっぽく微笑むだけで答えなかった。




