第40話 手紙の握りつぶし
ヴィルの絵葉書が届いた翌々日、朝食の席に従僕が現れて父の耳元に何事か囁いた。父の眉根が寄った。その姿に私たちの視線が集まった。父が頷くと従僕は下がった。
エヴァンジェリンが尋ねた。
「お父様、どうなさったの?」
珍しくエヴァンジェリンを無視して父が私に言った。
「アレックス、お前、カエリム家に何か言ったか?」
「何かって……?」
もちろん色々言っている。ヴィルには手紙も送ってる。
でも彼は父にちゃんと許可を得ていたし、私から送るときはビリーに郵便を出してもらっていた。ビリーが父に何か言うとは思えない。
「お前が分からないなら、私に分かるはずがないだろう」
父は怒っているわけではなさそうだった。困惑しているのだ、そう感じた。
「カエリム家がどうかしましたか?」
不幸じゃないといいんだけど。私は少し不安になった。
「あの男が来ているというんだ、こんな朝早くに」
「今、ここに? ヴィル……カエリム氏がいらしているというんですか?」
にわかに信じられず父に確認する私をよそに、明るい口調でエヴァンジェリンが呑気に言い放った。
「あら、カエリムさんが私に会いにいらしたんじゃないの?」
なぜそんな思考回路になるのか、我が姉ながらさっぱり分からなかった。
「とにかくどうしても会いたいというから、通した」
ここにくるの? 朝食の席に?
ヴィルがそんなことをするかしら。遠慮してホールで待ちそうだけど。
そう考えた私の予想は外れて、従僕に案内されたヴィルが姿を表した。
一月以上会っていなかった。ずっと会いたかった。
ところが、彼のただならぬ様子を見て私は喜ぶどころか心配になった。
彼は目の下に影ができていて、すごく疲れているように見えた。
いつもの穏やかな愛想の良さはなりを潜め、目が据わっている。
私は思わず席を立って彼に近寄った。
「ヴィル……大丈夫? 突然どうしたの?」
彼が私に顔を向けた途端に、眼差しが優しくなってどこか切ない色を見せた。
私はわけも分からず、ただ彼を見つめ返すことしかできなかった。
「ご家族に何か……あったのでは、ないですよね?」恐る恐る聞くと、彼は初めて口を開いた。
「家族は元気です。ありがとうございます」久しぶりに耳にする彼の声に神経が集中してしまって、かろうじて内容を理解するのが精一杯だった。
「じゃあ、なぜ……」
「あなたが訪ねて来て下さったと聞きまして、お礼に伺いました」
私は自分の耳を疑った。
それだけのために? 訪問を受けたらお礼に訪問し返すといっても、それはごく近隣での付き合いの話だ。旧都から駆けつけるなんて常識的にありえない。彼の言っていることに何か他の意味があるのではないかと必死で考えたが、全く思いつかなかった。
「旧都から、わざわざ……?」
彼は小さく頷いた。
「アレックスが訪ねたとはどういうことだ? ずっとここに居ただろう」
父が聞きとがめた。
――バレてしまった。
慌てた私の視線が空中を泳ぐのも構わずにヴィルは答えた。
「恐らく日帰りでいらしてくださったのかと。あいにく私は留守でしたので、お会いできませんでしたが」
いつもならそれとなく庇ってくれるのに、今日のヴィルは挑戦的とも言えるはっきりした口調で言い放った。
「そんなことしてたの!?」
エヴァンジェリンが甲高い声で文句を言った。私が抜け駆けしたと感じているのだろう。
「一体どうやって……」母が驚いたように言った。
「こちらの馬車でないのなら、乗合馬車でしょうね」
「まさか……!」
「そんなに驚かれることですか? 彼女は自分で考えて行動できる大人ですよ」
冷淡に言うヴィルに母は驚いて押し黙った。
「本題に入らせていただきますが、私からレクシーに宛てて送った手紙は一体どなたが握りつぶされたのでしょう?」
彼の言葉に部屋が水を打ったように静まり返った。
「……手紙を、握りつぶした?」私はやっとの思いで言った。
「ええ、私があなたに出した手紙は届いていますか? 最初に乳母に託したものの他に、手紙が二通と絵葉書が一通です」
手紙? 彼は私に手紙を送ってくれていたの?
「つい二日前に絵葉書が、海辺の街の……それしか届いてないです」
私は混乱したまま答えた。
「やはりそうでしたか」彼は冷ややかな目を両親とエヴァンジェリンに向けた。
父と母はただただ当惑しているように見えた。エヴァンジェリンは明らかに挙動がおかしかった。目を見開いてじっと下を見ている。その表情が彼女の罪を雄弁に語っていた。
――まさか、エヴァンジェリンが私宛のヴィルの手紙を横取りしていたなんて。
「エヴァンジェリン、本当にそんなことを?」
私が驚きの声をあげるやいなや、エヴァンジェリンが手で顔を覆って、わっと泣き崩れた。
母はそんなエヴァンジェリンに「まあ、可哀想に」と駆け寄った。
――エヴァンジェリンが可哀想なの? 泣いているから? 私は泣いていないから、可哀想じゃないの?
眼の前で起きていることが信じられなかった。そんな私の耳にヴィルの凛とした声が響いた。
「何を言っているんですか。家族内であろうと、これは立派な犯罪行為です。そして被害者はレクシーです。加害者がなぜ可哀想などと言われるのですか」
毅然と言われて、父も母も、泣いていたエヴァンジェリンでさえも黙った。
ヴィルは私に向き直ると瞳をまっすぐに覗きこんで言った。
「レクシー、今一度よく考えて下さい。本当にここにいたいですか?」
「他にどこへ行くというんだ」父の言葉にヴィルが吐き捨てるように言った。
「以前、彼女が体調を崩したときは預かってくれと言ったのに? 彼女は今もこんなに動揺して気分が悪そうだ。こんな所では無理もありませんが」
――ああ、やっぱりそうだったんだ。前に彼の家に滞在した時、父が無理に彼に頼み込んでいたんだ。
「お父様、そんなことを……?」私は掠れた声で問いかけた。
「うるさい!」
「どちらが声を荒げているのでしょうね」ヴィルが低い声で指摘した。
父は顔を真っ赤にしてぐっと言葉を飲んだ。
父のことをずっと怖いと思っていたはずなのに、今はただ滑稽に見えた。
――私は何に怯えていたの?




