第39話 ヴィルからの絵葉書
私が旧都に行ったことは家族の誰にも気付かれなかった。昼食にいなかったので、母だけが「どこに行っていたの?」と聞いてきた。ちょっと散歩しながら考えごとしていたら遅くなったので遅れて一人で食事を取ったと言ったら、何の疑いもなく受け入れられた。
その夜、慣れない日帰りの移動で疲れ切った私は早々と寝床に入った。痛む頭で考えようとすると、余計に頭も心もぐちゃぐちゃになった。
――もう考えられない。
とにかく今は何も考えないようにしよう。ヴィルの心地よく響く声や、綺麗な瞳の色、温かい手の感触だけを思い出せたら良いのに。
それなのに「なぜこんなことに」という後悔ばかりが胸をよぎるのだった。
翌日、頭痛の収まった私は少しまともに考えられるようになった。
レイフォードは私のことをヴィルに伝えただろうか。いたたまれなさのあまり思わず「内緒にして」と頼んでしまったが、何もなかったことにされるのは心が押しつぶされるようだった。
――私をまるでいないみたいに扱わないで。
それはもう私の家族だけで十分だった。ヴィルは私をいつも尊重してくれたから、旧都まで行ったと聞いたら今度こそ手紙をくれそうな気がした。
玄関ホールにある郵便を置く銀の盆を覗いたが、何もなかった。そのとき馬車の音がして従僕が外へ出ると何かを手に戻ってきた。郵便馬車だ。
「私宛の郵便はない?」
従僕は手元の郵便を確認して「こちらの一通だけです」と私に葉書を手渡した。
それはヴィルからのものだった。私は走り出さんばかりに大急ぎで庭に出ると、滅多に誰も来ない外れのベンチに腰掛けて改めて葉書を見た。
そこには白黒の版画に手彩色された港町が描かれていた。船と港を臨む綺麗な建物。物語の挿絵のように美しい絵葉書だった。私は早まる鼓動を感じながら、裏返して文面に目を落とした。
『支店の候補地である港町に来ています。
いつの間にか満ちていく潮、日光を浴びた海面が輝く様を、あなたにも見せたいと思ってしまいます。
旧都での仕事を説明しましたが、ご質問があれば気兼ねなく手紙を下さい。
あなたがお元気か、それだけが気がかりです』
支店の候補地を見に行った彼は、私が旧都に行ったことを知らずに港町から絵葉書を送ってくれたんだ。彼も私のことを思い出してくれたという事実が、この上もない幸福感を与えてくれた。
――『あなたにも見せたい』だって。
その一文だけで私はこの世の全てに感謝した。エヴァンジェリンにだって抱きついてキスできそうなくらいだ。
ああ、神様ありがとうございます。あんな絶望の後にこれほどの幸福が待っているなんて思いもしなかった。
私は何度も何度もヴィルの文字を読み直した。落ち着いて読み返すと、かすかに胸に引っかかる違和感はあった。
”旧都での仕事”というのは、乗合馬車で旧都に行く前に私が送った手紙のことだろう。何か私にもできるような仕事なんてないかしら、と聞いたのだった。ヴィルが私の手紙を読んでくれているのは間違いない。でも彼から仕事に関する返事は来ていないのだけど。
もしかしたら旧都より早く港街からの郵便が届いたのかもしれない。なにはともあれ、やっと彼から返事が来たのだから私は気後れすることなく彼に返事を書ける。
彼はすごく忙しいのに、今も変わらずに私のことを心配してくれている。
ああ、それだけで私、生きていけそう。
私は空を仰いで、身体いっぱいに広がる幸福感がため息となって溢れるままにしていた。




