第4話 昼間の庭に現れた妖精
翌日、遅く起きたお父様から、昨夜あの後カエリム氏がカードゲームに参加したと聞いた。
「旧都から来たというあの男は、まあまあ勝っていたな。私ならもっと賭けるのに。まあいい、そのお蔭で私が最終的に勝ったから」
カードゲームは好きじゃないって言ってたのに。まさか、わざと負けたんじゃないわよね。
彼ならお父様をいい気分にさせる程度に勝たせるなんて芸当も、難なくできそうな気がした。
午後に訪問客がやってきた。執事が盆に乗せてきた名刺にはヴィリバルト・カエリムと書かれていた。お父様は領地を見に出ていたので、お母様と私で対応することになった。執事に案内されて応接間にやってきた彼は、焦げ茶色の上等の訪問着を隙なく着こなしていた。
「こちらは景色の良いところですね。散歩がてら歩いてまいりました」
夜に見た影のある謎めいた姿とは対照的に、昼間の彼は朗らかな雰囲気を漂わせて顔には柔和な笑顔を浮かべていた。
「昨夜はアレックスを馬車で送っていただいてありがとうございました」お母様が彼に礼を言った。
「差し出がましいこととは思ったのですが、ご無事にお送りすることができて安心いたしました」
運ばれてきたお茶のカップを彼は見事な仕草で扱った。上品な彼の立ち居振る舞いに母も良い印象を抱いたようだった。
「旧都からいらしたそうですけど田舎は退屈では?」
「仕事を兼ねているのですが、いい気晴らしになっています」
そういえば、最初に会った夜も私との会話が『いい気晴らしになった』と言っていたっけ。
ひとしきり会話をした後、彼が言った。
「この後ベルニエ男爵にもご挨拶に伺うのですが、お屋敷はどちらにありますか? 土地勘がないもので、迷子になっては笑い者になってしまいますからね」
「まあ、お客様が迷子になってはお気の毒ね。アレックス、男爵家の見える見晴らしの良い丘の所までお連れして。それに今は我が家の庭の薔薇が見頃よ、そちらもご案内してちょうだい」
「分かりました、お母様」
「お嬢様にご案内いただくとは、もったいないほどのご配慮に感謝申し上げます」
彼はにっこりと微笑んだ。
二人で庭に出ると、彼の顔が飾り気のないややそっけない表情になった。
「確かに見事ですね」
「あなたは薔薇がお好き?」
「薔薇に限らず、美しいものを見るのは好きですよ」
「私はこれが好きなの」
私はオレンジとピンクが幻想的に混じり合った薔薇を指差した。よく好まれる巻き薔薇じゃないし花びらも多くないが、なんとも言えない可愛らしさがある。
「こんな色、作ろうと思っても作れないわ」
「意図的でないからこそ、その美しさがさらに貴重なものに感じられるのでしょうね」
「そうね。上手く言葉にしてくださってありがとう」
「恐れ入ります」そう言って彼は軽く目礼した。これまで彼が示してきた最上級の優雅な会釈に比べたら、かなりくだけた仕草だったのに不思議と魅力を感じた。
「あなたはどういうのがお好き?」
「薔薇の中で、ですか?」
「何でもいいわ」
「そうですね……。このように丁寧に手入れされている庭ももちろん美しいのですが、特に手の入っていない自然な田舎の風景も美しいと思います」
「そう? 私は見慣れてしまって」
「都会のほうがお好きですか?」彼は上体を屈め、香りを嗅ぐように薔薇に顔を近づけた。
「私は旧都には数えるほどしか行ったことがないの。連れてってもらうとしても、また別の田舎の観光地に行くことが多くて。憧れているのは都会の風景というより……広い世界、かしら。田舎の狭い付き合いでは、思ったことをそのまま言うのはリスクを伴うんです」
彼は身を薔薇に屈めたまま、視線だけを私に向けた。
「初めてお会いした夜は、ずいぶん自由にお話になっている印象でしたが」
私は苦笑いした。
「あのときはつい本音が出たんです。いつもあけすけな訳ではありませんわ。……私だけだったらいいけれど、家全体に関わってしまうんです。みんなも悪く言われてしまうから……それに田舎では話題も少なくて、立った噂はなかなか消えませんのよ」
「私はこの土地とは関係ありませんから、どうぞお気になさらず」
「都会は、こんなに狭くて息苦しい世界じゃないんでしょうね」
「それはそれで面倒なこともありますが、逃げ場はあるかもしれませんね。人が多いので紛れられます。大勢の中で感じる、一種矛盾した孤独はあるかもしれませんが」
「そうなのね……それでも、行ってみたいわ」私は見るともなしに薔薇に視線を移した。
おもむろに、私は深紅の小ぶりな薔薇をやや強引に手折った。彼は貴族令嬢らしからぬ私の振る舞いに目を見張った。
「痛……棘が刺さっちゃった」
「素手でなさるからですよ」
彼は私の手を取って指を確認した。
「棘は残ってなさそうですね」
私がじっと彼の顔を見つめているので、彼は自身の行動が無作法だと思ったようだった。
「……失礼しました」彼は私の手をそっと離した。
「いいえ、咄嗟に心配してくださったんでしょう? 昨夜はあんなに慎重に配慮してくださっていたもの」
私は彼の上着のボタンホールに手折った薔薇を差した。
「あなたに似合うわ」
「そうですか?」
「ええ、この薔薇は高潔な印象を与えるから。この気高さに釣り合う人は滅多にいないと思うわ」
「あまりに褒め過ぎでは?」
「昨夜あなたがなさった行いには、相応しいんじゃないかしら」
彼が私の瞳を探るように見つめたような気がした。だが、それはほんの一瞬のことだった。
「……恐れ入ります」呟くように彼は言った。
私たちは敷地の外へ出ると、丘へ向かって小道を歩いた。ごく自然に差し出された彼の腕に私は手を添えた。
「妖精が鋏を使って花を切り取ったのでは現実味がありすぎますから、あなたが薔薇を手折ったのは合っているのかもしれませんね。やはり、妖精は昼の庭に現れるほうが相応しいように思います」
彼は目を細めて口の端を上げた。
さっきも話していたけれど、やっぱりあの夜のこと覚えていたのね。こんなに頭の回る彼のことだから、なんの不思議もなかった。お客様のいる仕事だし人の顔を覚えるのも得意なのだろう。
「カードはあまり好きじゃないとおっしゃってたのに、父に付き合ってくださったのね」
「私の存在をお父様に認識させる必要がありましたので。まあ、必要経費というところです」
「売り込めた? 父はとてもケチなの。なかなか手ごわいと思うわ」
「いえ、商売ではなく、私が馬車に同乗していないという証明のためですよ」
彼のほうが一枚上手だった。
「社交界というのは、若い未婚の女性だけでなく、若い男にも少々危険が伴うものなんです」
そう言うと彼は私に向かって微笑んでみせた。
――食えない笑顔だわ。
それとなくセリーヌのことを忠告しようかと思ったけれど、彼は彼女の魂胆なんて見抜いているだろう。それどころか、セリーヌは本人も気が付かない内に返り討ちに合うんじゃないかしら。優雅な振る舞いの裏に隠された思慮深い彼の考えを読める人なんて、そうそういないように思えた。
これから繰り広げられるであろう、彼とセリーヌの会話を聞いてみたい気がした。




