第3話 夜の色の瞳
まもなく、彼が部屋に戻って来た。
「申し上げにくいのですが、お父上方は大変盛り上がっておいでのようで……」
「またお父様がセリーヌのお父様を捕まえて離さないのね。ごめんなさい、セリーヌ」
ため息をついた私を見て彼は言った。
「お二人ともお疲れのようですね。馬車をお待ちでらっしゃるのでしたら、私の馬車でお送りしましょうか? お二人ご一緒に。私はこちらに滞在しておりますので、どうぞお嬢様方でお使いください」
思いがけない申し出に、私とセリーヌは顔を見合わせた。
私たちが相談できるようにだろう、彼は少し離れた所にいた伯爵に話しかけに行った。
セリーヌが小声で興奮したように言った。
「なんて親切なんでしょう」
「でも、初対面の紳士よ」
「私たちだけで乗っていいっておっしゃってたわよ。私は送ってもらうわ」
「セリーヌ……!」
「こんなチャンスは滅多にないわよ。うちの馬車で私たち一緒に帰るつもりだったけど、せっかくだから送ってもらいましょうよ。あの紳士には内緒にしておいてね、アレックス」
私はため息をついた。
「いかがですか?」相談が終わったと判断したのだろう、彼が私たちの元に戻ってきた。
「ご親切なお申し出に感謝申し上げますわ。ぜひお願いします」セリーヌがにこやかに言った。彼は私に問いかけるような眼差しを向けた。
「お願いします」
私は渋々言った。彼に借りを作るのは気が進まなかった。それに、カードゲームにうつつを抜かすお父様の姿を彼に見られたことも気恥ずかしかった。
彼は従僕に馬車の準備をするよう伝えると、しばらくそこに留まって私たちと会話を続けた。
「こちらにはお仕事でいらしたんですの?」セリーヌが聞いた。
「ええ、大きな商談は父の役割なのですが、そろそろお前も勉強してこい、ということで。まあ、修行のようなものですね」
やたらと落ち着き払った態度で余裕綽々に答える彼には、”修行中”という言葉はあまり合っていないように思えた。
「手応えはありまして?」
「どうでしょうか、悪くはないというところですね」彼は微笑んではぐらかした。
三十代には見えないし、十代にも見えない。二十代のどの辺りなのかよく分からなかった。若いけれど、二十二歳と言われても二十八歳と言われても納得するような、妙に大人びた雰囲気を彼は漂わせているのだった。
従僕が静かに現れると、彼に何事か囁いた。彼は小さく頷くと私たちに言った。
「馬車の準備が整ったようですので、まいりましょうか」
その言葉にセリーヌはさっと立ち上がると、彼の腕を取った。彼は少々気圧された様子だったが、セリーヌの手を振り払ったりはしなかった。彼は後についてくる私を振り返りながら、馬車の所まで私たちをエスコートしてくれた。
馬車の前に着くと、彼は「アレックス嬢」と私を呼んだ。彼は当然のように私に手を貸して先に馬車に乗せた。爵位の順では私が先だけれど、セリーヌが腕を組んでいたのにそれを失礼のない程度にそっと外して、あえて私を優先させたのだった。次に彼はセリーヌに手を貸した。
彼は馬車の中に用意されていた膝掛けを手に取ると、馬車の扉を締めてそれを窓の縁にかけた。
彼の行動を不思議に思ったが、すぐに気がついた。
――馬車の扉に描かれている家名を隠したんだわ。
私たちが旧都から来た人の馬車に乗っていたら、変な噂を立てられるかもしれない。
馬車に乗せた理由がいかに高潔で倫理的であっても、部分的に切り取られて悪意を持って広められることもある。私は彼の思慮深い配慮に舌を巻いた。
そのときふいに目が合って、彼の目が綺麗な深い群青色をしていることに初めて気がついた。
――夜の色みたい。
「妖精よ、良い夜を」呟くように彼が言った。
彼が手で御者に合図すると、馬車は暗闇に走り出した。




