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物語のような恋をあなたと 〜妖精は作家志望の現実家に愛される〜  作者: 井ノ上 杏
第二章

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第25話 誠実な励まし

 私がここに滞在してから六日が経とうとしていた。夕食後しばらくして、私は書斎にいるヴィルを訪ねた。彼はモノクルをかけて、なにやら難しい顔で書類を眺めていた。


「ヴィル……」

私が声を掛けると、彼は目を上げて柔らかい笑顔になった。

モノクルをつけている姿も素敵だ。

「レクシー、どうしました?」

「お仕事中だった?」

「いいんです、そろそろ終わりにしようと思っていたので」

モノクルを取って目をこする姿がどこか子どもみたいで愛らしかった。

自宅だからだろうか、素の彼が出ている気がする。


「博物館はどうでしたか?」

「とても素晴らしかったわ」

「お供できずにすみません。連日店を空けられなくて」

「乳母がついてくれていたもの、十分すぎるくらいよ」


 今日訪れた博物館がすごく素敵だったのは本当だった。でも何を見ても「ヴィルは何て言うかしら」とか「ヴィルはこれが好きそう」とか、そんな事ばかり考えていた。

付き合ってくれた乳母には悪いけれど、ヴィルと一緒だったらってずっと思っていたことは秘密だ。


 私はずっと気にかかっていたことを聞いた。できることなら話題にしたくないけれど、そういうわけにはいかなかった。

「あの、お父様から迎えの連絡は……ない?」

彼がそっとモノクルを机に置いた。

「……実は、毎日ご報告は差し上げているのですが……」

私は肩を落とした。

「ごめんなさいね、本当に……」

「あなたが謝る必要はありません。……それに、そのおかげで私も癒しの時間を過ごせましたから」

私と行った美術館や植物園でのひとときを癒やしと表現してくれる彼の優しさが、父の無関心による寂しさを覆って温かく包みこんだ。


「レクシー……少しお話しても?」

「ええ」

彼が手で示した椅子に私は腰掛けた。

「子どもというのは圧倒的に立場が弱いものです。一人では生きていけないのですから。経済的に誰かに依存せざるを得ません。それは当たり前のことです」

私は目を伏せて自分の膝の上の手を見つめた。彼は穏やかな声で続けた。


「自分の子供だからといって、自由にして傷つけていいわけではないんです。

人に価値観を押し付けることはしたくありませんが、倫理的に間違っていると思うことは見過ごせません。

抵抗できないのが弱さではない。他人に自分の感情や事情を押し付けるほうが、よっぽど弱いんです」

「……でも、私はもうそろそろ大人よ」

「そうですね、でもずっと小さな子どものころから閉じ込められて、”お前はここから出られないんだ”と言われ続けていたら、ある日、扉の鍵が開いていても気が付かないかもしれません」


 彼は私の目を見つめて言った。

「あなたの心が痛むのなら、違和感を訴えるなら、どうかそれを無視しないでください」

強い口調ではないのに、その言葉はとてつもない重厚感を持って響いた。


 彼の言いたい事は理解できた。でも、自分にどうにかできるとも思えなかった。

私は指を組んだり離したりしていた手を固く握りしめた。


「でも……無理よ……どうしようもないわ」

「そう思う気持ちはお察しします。何度も失望したんですね。ですが、私は何とかしてあげたいと本当に思っています」

「ありがとう……でも……」

「思うだけでは何も変わらないと思っていらっしゃるんでしょう? 耳障りのいいことを言っているだけだ、私の気休めで言っているんだ、と」

彼の言うような偽善だなんて思っていなかった。ただ、思いやり深い彼の善意だと思った。私が言い淀んでいる内に彼は言葉を続けた。


「確かにその通りです。だから私は証明してみせます。私の側で今、あなたはどうですか?」

「お世話してくださって、ありがたいと思ってるわ」

「そうではなくて、今あなたは自分らしく居られると感じますか?」

「……分からないわ……」

彼はわずかに口角を上げた。

「分からないと正直に言ってもらえてよかった。あまりに力強く即答されたら、きっとあなたは私に気兼ねしていますからね。率直に話せる程度には、あなたは私に心を許してくださっているのでしょう」


 再び、彼の瞳が真剣な光を帯びた。

「私の力の及ばない場所で助けることは難しいですが、私の側にいらっしゃる限り、絶対にあなたが不条理に傷つけられるのを見過ごしたりしないと約束します。

ですが、あなたが私の側を自分の意志で離れたときは、私にはどうしようもありません。

あなたが自分で選んでくだされば、私は力の限りお手伝いします」


 彼の表情にいつもの冗談めいたところはなく、熱心とまで言えるような真剣な面持ちで彼は言うのだった。彼の想いが嬉しかった。これまでも彼は態度で私の心や立場を幾度となく救ってくれていた。

でも、なぜそこまでしてくれるのだろう、と思わずにいられなかった。

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