第20話 世界が違って見える
美術館の入場証は金属製のコインだった。しげしげと見つめる私にヴィルが声をかけた。
「よろしければ、私のも差し上げましょうか。デザインが何種類かあるんですよ、ほら、私のとあなたのでは違うでしょう?」
「本当だわ、私がもらってもいいの? あなたは記念になさらない?」
「私は何度も来ていますから。またいつでも来られますし」
「ありがとう」
私はレースの巾着袋に二枚のコインを大事にしまった。彼はその様子を好ましげに見つめていた。
「すごい……こんなの見たことないわ。うまく言えないけれど、ほら、ここの模様が混ざってるような所が好きだわ」
私は絵画を指差しながら言った。
「異国のモチーフに影響を受けた画家による作品だそうです」
「突拍子もないのに、奇抜というのではなくて上手く調和している気がするの」
私の言葉に、彼は少しはっとしたように顔をこちらに向けた。
「……私もその通りだと思います」
「あなたはどんな絵がお好き?」
「物語性のある絵が好きです。背景を知ると見え方が変わってきますし。必ずしも物語がなくてもいいのですが、何かしら感じさせたり考えさせるものが好きですね」
「ああ、いいですね」
彼は陰気な絵をうっとりと眺めていた。
「……私にはなんだか歪んで見えるわ」
「画家の迷いや悩みが表現されているんですよ」
「ああ、そう言われてみればそう見えなくもないわ。このあたりなんか、色使いが悪夢みたい」
彼が吹き出すように笑った。
「私、はっきり言い過ぎたのね。ごめんなさい。水を差してしまって」
「いえ、意見は正直に言ってもらったほうがいいですよ。誰かを傷つける意図のものでなければ」
彼は空中を見つめた。絵の方を向いているけれど、絵を見ているのではないと思った。
「それに後で『実は嫌だった』とか『退屈だった』なんて言われる方がよほどショックです」
「……そういうことがあったの?」
「まあ、今年で二十六になりますので、色々と」
前に一緒に来た女性がいるのね。
今年で二十六歳ということは、彼は私より六つ上なんだ。なるほど、思慮深い大人なわけだ。でもお父様よりその息子くらいの年齢の彼のほうが精神的にずっと成熟しているように思えた。お父様は駄々っ子みたいなときがあるもの。
……今はそういう女性はいないのかしら。
私と美術館に来ているくらいだから、決まった方はいないのかも。
彼は倫理的に許されないことだけでなく、むやみに恋人を不安にさせるようなことも避けそうだ。
彼に想われる女性は幸せね。きっと大切にしてもらえる。
「あなたは魅力を伝えるのが上手ね」
「聞きかじった知識ばかりでお恥ずかしいです。学芸員にはとても及びません」と彼は謙遜した。
「詳しい人や専門家がその魅力を伝えることに長けているとは限らないわ。美しい言葉を尽くした文章が最も心を伝えるとは限らないでしょう? 子どもが一生懸命書いた手紙とか、厳密な意味で上手くなくても何より心を打つことがあるわ」
彼は同意するように微笑んだ。
彼と一緒に来た女性たちは、なんで退屈になったりするのかしら。
彼だったら難しいことも優しく教えてくれるのに。
退屈と思えることさえも、彼だったら違う見方を気づかせてくれる。
「ねえ、私はお客様じゃないんだから、そんなに控えめにしなくていいのよ。それが癖になっているのかもしれないけれど。あなたは素晴らしいんだから、堂々と『まあね、ちょっとしたもんだと自分でも思うよ』って言ってもいいのよ」
彼は驚いたように目を見開いた。
「正直に言ってくれるほうがいいって、あなたも言ってたじゃない」
彼は瞬きをして少し考える様子を見せた後に、ぽつりと言った。
「私は本心では自分をそう思っていそうだと、お思いになったのですか?」
「そういうわけじゃないけれど、言葉で言っているより自分自身を正当に評価できていると思うわ。ねえ、勘違いしないでね、その方がいいのよ」
「私の言葉は……少々、あからさまでしたか?」
「そんなことないわ。皆は気が付かないと思う。私は自分に自信がないから分かるのかもしれないわね。……本当に自分のことが嫌だったら、もっと卑屈になるもの。あなたはとても謙虚だけれど、そういうところがないから」
「私のことを随分と高く買ってくださっているのですね」
「正当に評価しているのよ」
「……ありがとうございます」
彼はいつものように「恐れ入ります」とは言わなかった。ほんの少しだけ、彼の心の芯の部分に触れられた気がした。




