第17話 病み上がりに沁みる優しさ
どれくらい眠っていたんだろう。
見慣れない部屋で私はベッドから身を起こした。屋敷の自室でもなければ、旧都の滞在先でもなかった。昨日、頭が痛んで何も考えられない中で聞こえたヴィルの声がおぼろげに記憶に残っている。あれは夢じゃないと思う。
また彼の世話になってしまったのだろうか。
どうしてお父様は私をここへ連れてきたの? 私が彼を信頼していると思ったから?
そうじゃない気がした。たぶん、彼になら頼みやすいから。
私はため息をついた。頭痛はすっかり治まっていたが、今は胸が苦しかった。
彼はきっと人道的に助けてくれたんだろう。そういう人だもの。彼はあからさまに嫌がったりしないだろうからその優しさに浸け込むようなことになってしまって、かえって申し訳なかった。
もうお昼に近い時間だった。ベルを鳴らすと上品な使用人がやってきた。お茶を頼んでまもなく、使用人から知らされたのであろう乳母のマーサがいそいそとやってきた。
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
「もうすっかり元気よ。マーサもついていてくれたのね」
「ご親切にカエリム様が私にも部屋を用意してくださったんですよ、お隣の部屋です」
やっぱりそうだ。彼は目下とかそんなことに囚われず皆に思いやりを示してくれる。
お父様との違いをひしひしと感じて、私は再びため息を漏らした。
マーサは私の身支度を手伝ってくれた。
「……本当に彼にはお世話になりっぱなしね。申し訳ないわ」
「ですが、心からお嬢様を心配してくださっているようにお見受けしましたよ。ああいう方が本物の紳士というものです」
「そうね、お父様とは大違いだわ」
「まあ、そんなつもりで申し上げたわけでは……」
「いいの、私が自分で思ったことだから」
部屋の扉がノックされて先程の使用人が現れた。
「お召し上がりになれるようだったら、とのことで軽いお食事をお持ちしました。お嬢様の体調が許すようでしたら午後にお見舞いに伺いますがどうか無理はなさらず、とヴィリバルト様からの伝言です」
頼んだのはお茶だけだったのに、食事まで用意してくれていた。それにお茶のカップは二つあった。
「午後に喜んでお目にかかります、とお伝えして」
使用人は礼をして下がった。
「まあ、カップを二つも用意してくださって……」
「マーサの分よ、そういう配慮をしてくださる方だもの」
「本当によくお気の付く方ですね。商売をなさっているからでしょうか」
「それだけじゃないわ」
「そうですね、心が伴っているように感じます」
「……そうね」
彼は人からよく思われようなんて思ってない。彼の行動は本当に相手のことを考えているからこそできることばかり。
落ち着いてから彼に会えるように猶予をくれたことも嬉しかった。すぐにでもお礼を伝えたいけれど、申し訳なさもあって、私は彼に会いたいのか会いたくないのかよく分からなくなった。
「お嬢様、せっかくのお食事が冷めてしまわないうちに召し上がってください」
「そうね」
私は温かいスープをスプーンで口に運んだ。彼の心遣いが私の心にまで染み渡った気がした。
午後、ヴィルが彼のお母様と一緒にお見舞いに来てくれた。
「お初にお目にかかります。アナリーズ・カエリムと申します。アレックス様、ご気分はいかがでしょうか? 少しでも良くなってらっしゃるといいのですけれど」
「お気遣いありがとうございます。お陰様ですっかり良くなりました。明日にはお暇しますので」
私の言葉にカエリム夫人は少し驚いた様子だった。
「まあ……明日だなんて、どうか無理なさらず」
ヴィルも言った。
「ぶり返してはいけませんから、二、三日ゆっくりお休みになってはいかがですか? お嫌でなければ、ですが」
「嫌だなんて……むしろご迷惑をお掛けするのが心苦しいのです」
「迷惑などと思っておりませんから。頼っていただけるのなら光栄ですよ」
頼った、という言葉が私の不安を絡め取った。
「あの……やはり、お父様があなたにお願いした……のでしょうね?」私はおずおずと聞いた。
カエリム夫人がほんの一瞬、ちらりとヴィルを目の端で見た。
ヴィルは穏やかに微笑んだまま言った。
「いえ、私から申し出たことです」
「……本当に?」
「なぜそう思われるのです? 私は具合の悪いあなたを冷酷に放置するような男に見えますか?」
「いえ、そういうことではなくて……」
「ならば、よいのではありませんか?」
本当にそうなのだろうか?
お父様が無理にお願いしたんじゃないだろうか。彼が申し出るように仕向けたんじゃないか、そんな疑いが頭の中を占めていた。でもそれを彼に問いただすなんて、しかも彼のお母様の前でなんて、とてもできなかった。
黙り込んだ私に彼が言った。
「お嫌でないなら、それに大事な用がお有りでなければ、どうぞお気兼ねなく数日滞在なさってください。お父上には私から報告しておきますから」
「元気になったから、早く迎えに来てほしいと伝えてください」
彼は片眉を上げた。
「まるで一刻も早くここから出たいみたいですね」
「だから、そうではないと……」
「分かっています。つい意地悪を申しましたね」困り果てた表情の私を見て、彼は笑った。
カエリム夫人とマーサは私たちの会話にどう反応していいのか、困惑しているようだった。私たちの思いの外打ち解けた様子というか、彼のかすかにふざけたような口調や、それに対する私の遠慮のないはっきりとした受け答えに驚かされたようだった。




