第16話 人として見過ごせないこと
使用人が客間を大急ぎで整えている間に、ヴィリバルトは応接間のソファで横になるアレックスの様子を見に行った。心配そうにアレックスの側に跪いていた初老の乳母が、ヴィリバルトの姿を見て慌てて立ち上がりかけた。彼はそれを手で制すと尋ねた。
「アレックス嬢の様子は? 熱はあるのか?」
「いえ、恐らくお疲れなのだと思います。慣れない場所で連日用事が詰まっていましたから」
「頭痛が?」
「そうなんです。お小さい頃から、お嬢様は疲れると頭痛がして……感受性が強くてらっしゃるので、刺激が強いことが続くと人より疲れやすいんです。しばらく落ち着く所でゆっくりお休みになれば、じきに良くなるかと……」
控えめな声ではあったが、二人の会話に気がついたアレックスが目を開けた。ヴィリバルトと乳母は同時にアレックスを見た。
「……お父様は?」
「……用事がおありのようで」躊躇する乳母の代わりに、ヴィリバルトが答えた。
「ああ、またカードゲームでしょう? 我が家の悪しき慣習なの。もはや病気ね。かつては細君を賭けた先祖もいるとか」
「……とんでもない話ですね」
「たぶん、嘘よ。子孫への戒めでしょう。だから大丈夫。でもお母様のことを賭けることはなくても、借金があってもおかしくないって思うことがあるわ」
「とにかく今はゆっくり休みましょう」
「ええ……ありがとう」
アレックスは目を閉じた。
使用人と乳母が彼女を客間に連れて行った後、騒ぎを聞きつけたヴィリバルトの母がやってきた。
「お客様が体調不良と聞いたけど」
「リンドレイ子爵が、体調不良の娘の世話を頼んでいったんです」
「店で体調不良になったの?」
「違います。元々体調を崩していたんだそうです」
母親は淡々と告げられた息子の言葉に、驚きの色を隠せなかった。
「体調が良くない自分の娘の世話を、あなたに頼んだというの?」
「その通りです。本人はカードゲームの約束を優先していました」
「まさか、そんな……貴族って、そんななの?」
彼女は眉根を寄せて考え込んだ。
「……私は判断を誤ったみたいね。バルト、田舎の貴族の娘から妻を選ぶよう勧めたのは取り消すわ。貴族は止めてちょうだい」
「貴族全員がそうではありませんよ、変なのに当たっただけです」息子は困ったように微笑んだ。
「……そうね。貴族のお客様もいらっしゃるけど、今までそんな方いなかったものね……その変な子爵が無理を言ってきたの?」
「そうなんですが、断りきれなかったというより人として倫理的に許せませんでした。勝手をしてすみません」
「いいのよ。あなたがそう言うんだから、よっぽどだったのね」
「非常に不愉快な方なので、今後対応するのは私か父がいいと思います」
「そう……バルト、嫌な思いをしたんじゃない?」
「大したことありませんよ。傷ついてやるほどの価値があることも言っていませんでしたし」
彼は空中を見つめていた。
母親は労るように息子の背に手を添えた。
「それでも、心に疲労は溜まっていくものよ」
「……では、心を清らかにするために休みをいただいても構いませんか?」
「いつ?」
「明日か明後日か……できれば数日の内に」
「いいわ、店には私が立つから」
「ありがとうございます」
「たまには息抜きも必要よ。あなたは自分でも気が付かない内に根を詰めるから」
「これでも、上手くやっているつもりなんですけどね」息子は苦笑した。
「もちろん大したものよ。その変な貴族とご令嬢のことはあなたの判断に任せるから、良いと思うようにやってちょうだい」
母親は信頼の眼差しで跡取り息子を見た。




