第15話 具合の悪いレクシー
ある午後、突然リンドレイ家の馬車が店の前に到着した。リンドレイ子爵が馬車から降りると、出迎えた私に会釈した。
どういう風の吹き回しだ? 何か急に物入りになって無理難題を言うんじゃないだろうな。
「卿自ら足をお運びいただくとは、恐悦至極に存じます」
「もう滞在先は引き払ったんだ」
「リンドレイ子爵家がお帰りとは、旧都を彩る華やかな花が失われて寂しくなります。お寄りいただきまして身に余る光栄に存じます」
「いや、問題はアレックスでな」
彼女がどうしたというのだろうか。旧都に残りたいと言っているのだろうか。この家庭の様子を見るとそれも無理ないが。
「問題とは?」
「体調が優れなくてね」
彼女が体調不良だなんて。妖精も病気になるのか。あのいたずらっぽい笑顔が失われているのかと思うと、心が落ち着かなかった。
「それは存じ上げませんで。アレックス嬢はどのようなご様子なのでしょうか? 旧都で医者の当てがございませんでしたら、当方で信頼できる者を当たりましょうか? ご家族様もさぞかしご心配でしょう」
「いや、私は紳士社交館に滞在するからいいんだ。妻とエヴァンジェリンは今日発つし」
彼女の様子を心配しているんだ。卿の滞在先の心配などしていない。妻と長女を先に帰して、一体レクシーはどうするつもりなんだ。
「落ち着かれるまで、アレックス嬢と付き添いの方で宿にお泊りになられるのですか? 差し出がましいようですが、私どもで手配いたしましょうか」
「いや、宿に女一人で泊まるのは乳母がいてもさすがに……知り合いにでも出くわしたら何と言われるか。それにしても、君のところは商会にしてはずいぶん趣きがあるな」
「……恐れ入ります……」
さっきから何を言っているんだ、この父親は。レクシーをどうするつもりなのか、さっさと言ってほしい。
「なに、一日、二日……一週間もいらないだろう。私はこの後、友人と約束があってね。バカラなんだが」
バカラ……賭けカードゲームの約束がそんなに大事か。
「だから、アレックスも連れてきている」
その言葉に目の覚める思いがした。
「今、あちらの馬車に? 体調が優れないのでは?」
「そうなんだ、だから困っていてね」
「馬車の中で、今、お待ちなんですか?」
「そうだ」
子爵は体調が悪いレクシーを連れ回しているのか。
滞在先は引き払ったから延ばしたくないし、娘一人で宿を取るのは対面が悪いから嫌だと言う。グタグタと、あれは嫌だ、これは嫌だと言ってばかりで、見た目だけ大人の甘やかされた子どもなのか?
先程から、我が家に預けさせたいという魂胆は透けていた。だが、いくらなんでも病気の娘にそんなことはしないだろうと思う気持ちと、容易く卿の言いなりにはならないという警戒心から、気がつかないふりをしていたが……。レクシーがその負担を負わされるのは、とても看過できない。
私は瞬間的に様々なことを計算した。自分の権限でなんとかなるだろう。
「……私どものような一介の商人では役不足かと存じますが、御息女の体調が落ち着かれるまで、よろしければこちらでお休みになられては……」
子爵は機嫌良さそうに言った。
「ああ、いいのかい? 助かるよ。妻やエヴァンジェリンの言う通りカエリム商会は大したものだ。悪いね、面倒を押し付けて」
「いえ、大切なお嬢様をお任せいただき、ご信頼にお応えできるよう最善を尽くします」
少し離れた所で控えていた従業員に目で合図した。店の中からも他の従業員が馬車へ向かった。
「そんな大騒ぎにしなくて大丈夫だよ」
自分の家が丁重に扱われていると勘違いしたのか、子爵は上機嫌だった。そして馬車に向かって言った。
「アレックス、我儘を言って面倒をかけるなよ。ああ、乳母が一緒に来ると言って聞かなくてね。子どもじゃないんだから大丈夫なのに。あれはレクシーが生まれた頃から付いてるから、情が厚くてね。」
感情のない男だ。我儘を言っているのはどちらの方だ。さっさとくだらないカードゲームでもしに行けばいい。
我が家の従業員に手を取られてレクシーと乳母が馬車から降りてきた。表情が冴えないし、頭を片手で押さえている。
頭痛がするのか、熱があるのか。すぐに静かな場所で休ませてやらねば。医者を呼んだ方がいいかもしれない。
「……ここはカエリム商会なの? お父様はなぜ……」
彼女は事情を知らないらしい。説明もしないで連れてきたのだろう。具合の悪そうな彼女に、父親の悪行を毛ほども感づかせたくなかった。
「卿はご多忙と存じますので、後は私どもにお任せください」
私は子爵を馬車へ半ば強引に追い立てると、扉をいささか強く閉めた。御者に頷いて合図すると馬車は走り出した。
――今すぐ失せろ。
邪魔者を排除すると、私はレクシーの元へと足早に急いだ。




