第14話 うたた寝するほど心地よい演奏
あれから数日後の夜、私たちは劇場で催される演奏会へ行くことになった。
お店でドレスを注文した後、エヴァンジェリンが劇場の席を手配してくれとヴィルにねだったのだった。ヴィルはボックス席を用意してくれた。費用がヴィル持ちだと知ると、お父様は機嫌良く許可した。お母様もエヴァンジェリンも大喜びだった。私だけが、ボックス席を用意するのに一体いくらかかるのかしらと心配していた。
彼は私たちの滞在先まで馬車で迎えに来てくれた。私はなんだか申し訳ない気持ちがして、素直に喜べなかった。音楽に興味のないお父様はカードゲームをしに行った。
鉄紺色の正装姿の彼は、決して派手じゃないのに空気に滲むような魅力を放っていて、私の目はどうしようもなく惹きつけられた。一方の私はエヴァンジェリンのお下がりのあまり似合っていない色のドレスを着ていたので、少し恥ずかしかった。彼はきっと私に合ってないことに気づいているだろう。
「月が美しい夜ですね」彼は微笑んで言った。
「歩いても行けるのに、手間をかけさせてしまってごめんなさい」
「謝らないでください。ですが、月夜の散歩も魅力的ですね」
エヴァンジェリンが私たちの間に入って馬車の前に進み出すと、ヴィルに手を差し出した。彼はすぐにエヴァンジェリンが馬車に乗り込むのを手助けした。その後、彼はお母様に手を貸した。エヴァンジェリンが向かいに座るよう、お母様に手で合図をしたのが見えた。最後にヴィルが私に手を貸してくれた。エヴァンジェリンはヴィルに隣に座ってほしいのだろう。扉の位置的にも、私がエヴァンジェリンの隣りに座ったら彼が馬車に乗り込みにくくなってしまうので、私は大人しくお母様の隣に座った。
ヴィルが軽やかに馬車に乗り込むと、エヴァンジェリンの隣に空いた席に腰掛けた。彼が天井を叩いて合図すると馬車は走り出した。
「今夜のプログラムは音楽だけなんです。観劇の方がお好みかもしれませんが」
「音楽も好きよ」エヴァンジェリンが答えた。
「それは良かったです。エヴァンジェリン嬢はどのような音楽がお好きなのですか?」
「……そうね、音楽なら何でも好きよ」
エヴァンジェリンは音楽に特別興味がないので、具体的に言えないのだ。
「種類を問わずお好きとは、無類の音楽好きでいらっしゃるんですね。私は詳しくないもので教えていただきたいですね」
「まあ、そんな……ご謙遜なさって」
大丈夫かしら、エヴァンジェリンが見栄を張って無理しないといいけれど。知ったかぶって変なことを言い出しはしないかと、とても見ていられなかった。
「我が家は高尚なうんちくより、どちらかというと快いとか何となく好きだ、という楽しみ方なんです」
私がそう言うと、彼は穏やかに微笑んで「私も同じです」と答えた。
難しい音楽講義をひねくりだす必要がなくなったエヴァンジェリンはホッとしたような表情をしていた。
劇場に着くとエヴァンジェリンはヴィルの腕に手をかけて、彼のエスコートを当然のように受けていた。母は既婚者だしエヴァンジェリンのほうが私より年上だからそうするのが自然だったのだが、何となく私の胸がざわめいた。ホールは上品で洗練された人々でいっぱいで、私は気後れを感じた。おそらくエヴァンジェリンもそうだった。ヴィルは慣れた様子で旧都の貴族や有力者に私たちを紹介した。
「こちらはリンドレイ子爵夫人。そして御息女のエヴァンジェリン嬢とアレックス嬢です」
いつものように、彼はエヴァンジェリンと私を同列に扱ってくれた。エヴァンジェリンは内心気に入らなかったかもしれないが、彼の腕を占有しているということで納得している様子だった。
ボックス席には前後二列に椅子が置かれていた。エヴァンジェリンは迷うことなく前列に腰掛けた。
「子爵夫人かアレックス嬢、前にどうぞ。こちらの方がよく見えますから」
彼の背後のエヴァンジェリンのすごい表情を見たら、とても前に座る勇気はなかった。
「いいえ、私は後ろの席で十分ですわ」
「ええ、私も」母と私が遠慮したので、彼は少し困惑しつつエヴァンジェリンの横の席に腰掛けた。
演奏の間、私はぼんやりとヴィルの後ろ姿ばかり見ていた。彼は優美で上品だから、”男らしい”という印象が強いタイプではないけれど、背中や肩の輪郭がやはり女性とは異なるラインを描いている。かといってお父様とも違う若くしなやかなその腕に、今夜は自分の手を添えたかった、と私はついそんなことを考えてしまうのだった。
エヴァンジェリンが何かとヴィルに話しかけて、その度に彼の横顔がちらりと見える。それがまるで子どもへのご褒美みたいに感じられて、私は自分の単純さに半ば呆れつつも自然と踊る胸の内は止められなかった。
旧都は何もかも目新しくて飽きないが、毎日出歩いているので疲れが溜まっていた。エヴァンジェリンのパワーが羨ましい。私は決してひ弱じゃないつもりだけど、あまりに人が多い場所は苦手なんだと今更気がついた。かと言って、知った顔ばかりで変化の乏しい田舎は味気がない。落ち着いていて私に新しいものを見せてくれる綺麗な場所、きっとそれが私の求めるものなんだろう。
でも、今夜は来たかったから。
彼が案内してくれると聞いて、彼に会いたかったしエヴァンジェリンと彼だけにしたくなかった。
彼が来るのでなかったら、今夜私は来なかったかも。
心地よい演奏に私の瞼が知らず落ちてきて、私はいつのまにかうたた寝をしていた。
お母様に肘で突かれて、はっとして顔を上げるとヴィルがこちらへわずかに顔を向けていた。
*
レクシーが後ろの席に座っているが、あからさまに振り向けない。仕方ないので私は演奏に集中することにした。それにも関わらず、隣のエヴァンジェリンがやたらと話しかけてくる。私はそれほど音楽に詳しくないので、と困ったように微笑み返しておいた。それは本当のことだし、せめて静かに聞いてほしい。
些細なことでまた声をかけられてエヴァンジェリンの方に顔を向けたとき、そっと後ろの席を目の端で確認してみた。レクシーは俯いていた。何事かと一瞬驚いたが、揺れる頭を見てすぐに分かった。
――寝ているんだ。
私は思わず緩む口元を引き締めた。子爵夫人が私の様子に気がついてレクシーを肘で突いた。
子爵夫人は私に気を使ったのか。そんなことをしなくてもいいのに。後ろの席で演奏者には見えないのだから、寝ていても気が付かれないのだし。だが元凶は振り向いた私にある。
レクシーは弾かれたように顔を上げた。目が彷徨って私を捉えると、彼女は顔を赤らめ背筋を伸ばして椅子に座り直した。私はさりげなく舞台に目を戻した。恥ずかしがっている彼女には悪いが、そんな姿もどこか子どものような素直さが感じられて可愛らしかった。薄暗い環境で穏やかな音楽を聞いていたら眠気がでるものだ。ペラペラしゃべっているより、よほどいい。寝てしまうほど心地よい演奏だと言えなくもない。ある意味、演奏者への称賛になるのではないか。
――まあ、それは言い過ぎか。
ついレクシーには肩入れしたくなる。あまりに不当に扱われている様子を目の当たりにすると庇ってやりたくなる。
同情なのだろうか。いや、恐らく倫理観だろう。
だが、それだけではない何か……彼女の思いがけない考え方には、自然と湧き上がる笑いを何度も噛み殺してきた。
もう少し見ていたい、声を聞きたい、と思ってしまう。
――レクシーがいて良かった。いなかったら、さぞかしつまらない接待だったろう。




