第4話_コーク
男は、値段を見てからコーラを頼んだ。
メニューを閉じるまでに、少し時間が掛かった。
マスターは注文を受けた。
男の上着は綺麗だった。袖口だけが擦れていた。椅子の下へ置いた鞄を、両足で挟んでいる。
氷室京持は、その隣に座っていた。
二杯目が半分ほど残っていた。
「酒、飲まねえの」
「これから帰るので」
「俺も、飲んだら帰るよ」
男は京持を見た。
コートの合わせで視線が止まった。
京持は襟を寄せた。
「うまく隠れねえんだよな」
男は自分の鞄へ目を落とした。
コーラが置かれた。
細かい泡が、氷の間を上がっていた。
男は一口飲んだ。
それから、マスターを見た。
「人を捜しているんです」
マスターは手に持っていたグラスを置いた。
「どなたを」
「兄です」
男は鞄を膝へ上げ、封筒を出した。
写真には、二人の男が写っていた。
年上の方が、弟の肩へ腕を回している。
二人とも笑っていた。
「警察には届けました。こちらで、捜す仕事をする方を紹介していただけると聞いて」
「どちらから」
男が店の名前を一つ挙げた。
マスターは頷いた。
「お話を伺います」
兄は港に近い運送会社で働いていた。
三週間前から連絡が取れなくなった。
会社では、もう辞めたと言われた。
暖かい土地で新しい仕事が決まり、急に出発した。
しばらくは帰らない。連絡もしにくい。
男は、一つずつ話した。
マスターは会社と上司の名前を書き留めた。
「その土地は」
「分からないんです。兄から連絡があったら教えてほしいと、会社の方にも」
男は写真を見た。
「待った方がいいのかもしれません。でも、何も来なくて」
マスターは、遠方まで調べる場合の費用と、今の情報では行き先を絞れないことを伝えた。
男の手が鞄へ下がった。
留め具へ触れたが、開けなかった。
「持ってきた分では、足りないですね」
「頼む範囲を決めてから、正式な条件を出します」
「少し、考えても」
「もちろんです」
男は写真を封筒へ戻した。
「すみません」
マスターは何も急かさなかった。
男はコーラを持ち上げた。
半分以上残っていた。
*
「兄さんの服とか、なくなってるの」
京持が聞いた。
男はグラスを置いた。
「家には残っています。冬物はいらないので、置いていったそうです」
「暖かいんだもんな」
「ええ。ただ、夏物もあって」
京持は男を見た。
「荷物は先に送ったそうです」
「じゃ、向こうにあるんだ」
京持は酒を飲んだ。
男は頷いた。
封筒の口を、指で押さえていた。
窓側で、本を閉じる音がした。
「失礼」
京持が振り返った。
入口からは見えにくい席に、男が座っていた。
卓上の本には栞が挟まっていた。灯りは弱く、ここからでは頁の文字も見えない。
眼鏡の奥から、男がこちらを見ていた。
「新しい仕事の話は、お兄さんから聞いたのかな」
来訪者は答えかけた。
少しして、封筒から手を離した。
「……会社の方からです」
「そうか」
窓側の男は待った。
来訪者は膝へ鞄を上げ、小さな手帳を出した。
頁を戻す。
「最後に会ったのは、水曜日です。そのときには、そんな話はしていませんでした」
京持がグラスを置いた。
「土曜日に飯を食おうと約束して。兄は、魚が食べたいと言っていました」
男の指が、次の頁へ移った。
「来なかったので、日曜日に家へ行ったんです。いなくて。そのあと会社で、辞めたと聞きました」
手帳には、日付と短い言葉が並んでいた。
男は一つを見た。
その下も見た。
「冬物のことも、荷物のことも、同じ方が」
誰も口を挟まなかった。
男は顔を上げた。
「兄は、出発するとは言っていません」
マスターが、書き留めた会社の名前へ目を落とした。
男は手帳を開いたまま、窓側を見た。
「もう一度、聞きに行けば」
「一人では行くな」
京持が言った。
男が彼を見た。
「上司が嘘を?」
「分かんねえ。でも、そいつの話で兄さんは遠くへ行ったことになってんだろ」
京持は封筒を指した。
「聞き直しに来たって分かれば、次に話すことも考えるよ」
男の手が止まった。
京持は窓側を見た。
「教授、遠くへ行ったかも分かんねえんだな」
「うん」
プロフェッサーは答えた。
「まずは、最後に働いていた場所だろうね」
マスターが男へ言った。
「勤務先と最後の足取りを確認するところから、条件を組み直します」
男は向き直った。
「持ってきたお金で」
「調べられる範囲を決めましょう。その先は、結果が出てからです」
男は鞄の留め具を開けた。
今度は、別の封筒を出した。
マスターは金額を確かめ、紙へ条件を書いた。
勤務先での記録と、兄の最後の足取り。
追加の調査は、連絡してから。
男は読んだ。
頷いた。
「お願いします」
京持は残った酒を飲んだ。
男が彼を見た。
「あなたが、行ってくださるんですか」
「俺は、行く場所が決まってからの方がいい」
マスターが空のグラスを下げた。
「調べる人間へ取り次ぎます」
男は、紙へ自分の名前と連絡先を書いた。
封筒から写真も出す。
マスターが預かった。
男は手帳へ目を戻した。
暖かい土地、と書かれたところへ短い線を引き、その横に上司の名前を書き足した。
*
男はコーラを飲んだ。
残りを飲み切り、グラスを置いた。
「お勘定を」
マスターが飲み物の勘定を出した。
男は払い、控えと手帳を鞄へ入れた。
立ってから、窓側へ身体を向けた。
「ありがとうございました」
プロフェッサーが顔を上げた。
「兄が見つかりましたら、また」
「そうだね」
男は一度、頭を下げた。
京持にも下げる。
「お気をつけて」
「そっちも」
鞄を持って出ていった。
扉が閉まった。
京持は、自分の前にグラスがないことに気づいた。
「シェイク」
「三杯目だぞ」
「知ってる」
マスターは冷やしたグラスを出した。
京持が窓側へ顔を向ける。
「教授」
「何だい」
「俺、暖かいとこにいると思ってた」
「私も、聞くまでは分からなかったよ」
京持は頷いた。
卓の本へ目が行った。
「そこ、よく読めるな」
「眼鏡に仕掛けがあるんだ」
「便利だな」
「読めることと、分かることは別だけれどね」
教授は栞の頁を開いた。
京持は正面へ戻った。
マスターが氷を入れる。
シェイカーが鳴り始めた。
隣には、氷だけになったグラスがあった。
細い水滴が、外側を伝っていた。




