第10話_ミスター・ペパーミント
依頼人は、京持が来る前に帰っていた。
飲んだ酒のグラスも、もう棚へ戻っていた。
マスターが封筒を置いた。
中には写真と、特徴を書いた紙があった。
古い建物の前に立つ男。
丸い金具の図。
片側に打たれた番号と、二つの傷。
「回収?」
「ああ」
「鍵?」
「機械の部品だ」
「これだけ?」
「それだけ」
京持は写真を持ち上げた。
「こいつが持ってる」
「買い手へ渡す前に戻してほしいそうだ」
「返さねえの?」
「話は済ませてある」
京持は額を聞いた。
紙へ目を戻し、頷く。
「人の方は」
「依頼に入っていない」
「分かった」
窓側で頁をめくる音がした。
教授がいた。
本から顔は上がらなかった。
京持は正面へ戻った。
「シェイク」
マスターがミントを手に取った。
*
修理場へ入る前に、京持は二丁とも装填を済ませた。
写真の男は、古い修理場にいた。
シャッターが半分だけ上がっていた。
京持は低くなって入った。
壊れた機械と、部品を外された機械。
油と、焼けたものの匂いがした。
男が作業台から顔を上げた。
右手に、短いレンチを持っていた。
「閉まってる」
「修理じゃない」
京持は紙を出し、作業台へ広げた。
「これ」
男は図を見た。
レンチを持ったまま、紙の端を押さえた。
「誰に頼まれた」
「持ち主」
「持ち主は俺だ」
「話、来てるだろ」
男は答えなかった。
奥に二人いた。
一人は外した部品を拭いていた。
もう一人は腰を下ろし、こちらを見ていた。
京持は出入口を見た。
まだ開いていた。
「金具だけ持って帰る」
「何でも持っていっていいと思うなよ」
「番号が違ったら、触らねえ」
男は京持を見た。
左手で作業台の下を探り、金具を出した。
紙の横へ置く。
京持は顔を寄せた。
片側に番号が打ってあった。
「これだな」
男も番号へ目を落とした。
「それは合ってる」
京持は金具を裏返した。
傷が二つあった。
紙の図と照らす。
「うん。これ」
男は紙から手を離した。
京持は紙を畳み、右のポケットへ入れた。
金具も取った。
同じポケットへ収める。
「じゃ、預かるよ」
指を抜いたところで、男の右手が振られた。
レンチが左の肩口へ当たった。
胸の上で、硬い音がした。
京持の膝が折れた。
息を吸おうとして、声だけが出た。
男がコートを掴んだ。
作業台へ押しつける。
頬が角へ擦れた。
「誰が持っていけと言った」
京持は右手で男の腕を押した。
左腕も上げようとした。
胸へ痛みが走り、動かなかった。
奥で椅子が鳴った。
男の後ろに、もう一人が来ていた。
京持は身体を捻った。
コートを掴む手が滑った。
足元の部品へ踵が当たる。
床へ倒れた。
靴が脇腹へ入った。
息が止まった。
もう一度来た足を、右腕で受けた。
京持は床を転がった。
作業台の脚へ背中が当たった。
右手と膝で起きる。
左腕は身体の脇に下がったままだった。
写真の男が近づいた。
レンチはまだ手にあった。
京持は右手をコートへ入れた。
拳銃を抜いた。
男の足が止まった。
「来るな」
京持は言った。
声が掠れていた。
奥の二人も止まった。
「それを置いていけ」
「持って帰る」
京持は少し息を吸った。
肩から胸が痛んだ。
「俺、人の方は頼まれてねえのよ」
男は拳銃を見た。
京持は作業台から離れた。
足元を確かめ、出入口へ下がる。
三人とも、こちらを見ていた。
「ただで帰る気か」
写真の男が言った。
「ただじゃねえだろ」
京持はシャッターの手前で腰を落とした。
左腕が揺れた。
歯を食いしばった。
右側から外へ出る。
誰も追っては来なかった。
*
通りへ出て、京持は壁へ寄った。
拳銃を戻した。
右手で左の肩口へ触れた。
指が止まった。
「ちぇ」
額を壁へつけ、息を吐いた。
しばらく、そのままでいた。
動かすと痛かった。
動かさなくても痛かった。
右手でポケットを確かめた。
紙の下に、金具があった。
マスターへ連絡する。
「取れた」
「番号は」
「合ってる。傷も」
「戻れるか」
「うん」
連絡を終えた。
左腕を身体へ寄せたまま歩いた。
*
Whisperの扉は、右手で開けた。
マスターが顔を上げた。
緋牡丹が長辺で飲んでいた。
京持を見る。
目が肩へ下がった。
京持はいつもの端席へ座った。
「戻った」
右手で金具を出す。
カウンターへ置いた。
小さかった。
緋牡丹が一席向こうから見た。
「それを取りに?」
「うん」
マスターが番号と傷を確かめた。
依頼人へ連絡する。
京持は水を飲んだ。
グラスを置く。
窓側から視線が来ていた。
教授は本を開き、顔だけを上げていた。
目が合った。
京持は口元を少し動かした。
教授は左肩へ一度目を向けた。
それから、本へ戻った。
何も聞かなかった。
マスターが連絡を終えた。
「依頼品で間違いない」
「三人いた」
「聞いていなかった」
「俺も」
報酬が出た。
京持は右手で中身をカウンターへ出し、一枚ずつ数えた。
左手は膝の上に置いていた。
封筒へ戻すのに、少し時間が掛かった。
「肩か」
マスターが聞いた。
「工具でやられた」
マスターは京持の顔を見た。
「冷やすか」
「うん」
京持は封筒をしまった。
マスターが氷を布で包んで渡した。
京持は右手で肩口へ当てた。
顔が歪んだ。
少し浮かせ、当て直した。
マスターが水を寄せた。
緋牡丹は自分の酒を一口飲んだ。
「高くついたわね」
「金はもらったよ」
「そういう話じゃないでしょう」
京持は金具を見た。
マスターが別の封筒へ入れていた。
「でも、取れた」
京持は布をカウンターへ置いた。
緋牡丹は彼の顔を見た。
京持も見た。
頬に擦れた跡があった。
髪には、修理場でついた埃が残っていた。
彼は右手で少し払った。
肩が動いて、途中でやめた。
「シェイク」
マスターが冷やしたグラスを出した。
緋牡丹はグラスを置いた。
「よく立って帰ってくるわね」
「座ってたら、帰れねえだろ」
彼女の口元が緩んだ。
「お帰り、ミスター・ペパーミント」
京持が顔を向けた。
「何だ、それ」
「踏まれても起きてくる」
彼は少し考えた。
「まだ伸びるよ」
「伸び盛り?」
「うん」
緋牡丹が笑った。
京持も笑いかけた。
痛くて、息を止めた。
「……今は、踏むなよ」
「私は踏んでないわ」
マスターがミントを潰した。
青い匂いが立った。
*
京持は片手で食べやすいものを頼んだ。
料理が来る前に、冷たい酒が置かれた。
右手で取る。
口へ含む。
ミントが鼻へ抜け、ライムの酸味のあとに、わずかな苦みが残った。
冷たさが舌を刺した。
「うまい」
緋牡丹は自分の酒を飲んだ。
京持はグラスを戻した。
左肩は痛いままだった。
マスターが料理を置いた。
京持は右手で食べた。
途中で皿が動いた。
左手を出しかけた。
止めた。
マスターが皿の下を整える。
「ありがと」
京持は残りを食べた。
緋牡丹はその横顔を見ていた。
「明日も来るの?」
「うん」
「仕事があったら?」
京持は少し考えた。
「明日は、飲むだけでもいいな」
「そうしなさい」
「ないかもしれねえし」
彼女は笑った。
京持は酒へ手を伸ばした。
窓側で頁がめくられた。
金具はもう、カウンターになかった。
報酬はコートの中にあった。
爪の間には油が残っていた。
京持は右手でグラスを引き寄せた。
飲んだ。




