白百合の6 黄金の満月の夜
◇
クレサール家の隠された花園。
あれで治るはずだった。
マルイ先生も、完全な治癒だと言って下さったのに、なぜ?
あのポーションを使っていたのに、ダークミストが血液に侵入して体内を駆け巡るなんて。
ああ、こんな酷い。ダークミストが細長い蟲のように体内を泳いでいる光景は気分が悪くなる。
許さないわ、ダークミスト!
ヴァン様の周りには満月を浴びた蘭や白百合が咲き乱れて、その中に濃い紫色の百合の蕾が開きかけている。
希少な黒百合。
私が手を伸ばすと黒百合がこちらに伸びてくる。
ありがとう。満月の夜の露をくださいな。
黒百合はヴァン様の口元でお辞儀をするように花びらを傾ける。
ポトリ。
一滴の百合の露が、ヴァン様に流れ込む。
「ん……」
ゴクリとその露をヴァン様が飲み込んだ。
ヴァン様の胸に手をあて集中する。
無詠唱で魔法陣が立ち上がる。
全身を覆うように、純白のベールが現れ、
極薄い紫が混じった金粉が周りを舞い散る。
息を吸ってください、と言う前にヴァン様が息を吸う。
あれ?この前の一回で覚えてくださった?
「スーーッ」
「フーーーーッ」
《身を焦がし吹き荒れる黄金の風よ、
この者を癒したもう、御身の御前に安らかに》
しばらく魔法陣が回り、
金粉が消えて、魔法陣も霧散した。
なんて整ったお顔立ちなのかしら。
どこかで会った気もするけれど、この前の治療の時よね?
お顔を眺めているとヴァン様の瞼がゆっくりと開く。
やっぱり綺麗な蒼に金が混じる不思議な瞳。
「……助かった、楽になった」
「良かった、です」
「ララだったか」
ヴァン様が起き上がろうとするので、背中に手を添える。
「……ここは、どこだ」
ヴァン様が周りを見渡して驚いた表情になる。
「えっと、どこって、秘密の花畑なのです」
「……私は何故ここへ」
「お馬さんが、飛んで連れて来てくれました」
「馬が飛ぶ?」
怪訝な顔をなさるけれど。
「走っていては間に合わなかったかと。それと、ヴァン様のラファールは飛びますよね」
「お前は何を言っている、それに何故、我が愛馬の名を」
「ラファールには昔会った事があります。真っ白な流星でわかりました。ねえラファール」
ラファールとガブリエルは、その辺の蘭の花を興奮して食べまくっている。
黄金の満月の夜の蘭なんて、しょっちゅうは口にできない。
そして二頭とも綺麗な翼を広げていた。
「……なっ!」
ご存知なかったのね。翼があるお馬さんがいる事を。
「ララ、聞きたい事がそれなりにある」
綺麗な瞳が真っ直ぐにこちらを見る。
「はい。その前に、ポーションをもう少し飲んでくださいませ」
私は周りで揺れている白百合に手を出すと、数本がこちらに伸びてくる。
手元の籠から空瓶を出すと、花はお辞儀をするように瓶に露を落としていく。
十本分貯まったところで、ヴァン様にその瓶を差し出した。
花と瓶を眺めていたヴァン様が額に手をあてておっしゃった。
「お前は治癒師で間違いないか。魔術師ではないのか」
「落ちこぼれの治癒師ですが、ポーションは特別です。これは先日お渡ししたポーションの元ですが、ここでしか採取できません。新鮮なうちに飲んでくださいませ」
ヴァン様は私の顔をじっと見てから、一気に飲み干す。
みるみる間に顔色が良くなっていく。私は背中を支えていた手を離した。
「これほどまでとは」
「お聞きになりたい事はあるとは思いますが、少し休まれた方がよろしいかと。駆け通しでいらっしゃったのでしょう、ラファールはここの蘭で回復していると思いますが」
「だろうな」
ヴァン様は空を見上げて大きな溜め息をついた。
ラファールもガブリエルも蘭をたらふく食し、今は花畑の上を飛びまわっている。
お屋敷へお連れする方が良さそうね。
「ヴァン様、クレサールのお屋敷へ」
「いや、この花畑に居たいのだが迷惑だろうか」
「それは構いませんが、ここでは」
「いや、心地よいのだ。こんなに心地よい場所があるとは」
「確かに、ここは天の花園ではないか思う時があります。特に今夜は滅多にない黄金の満月。クレサールの花々の薬効が最も高まる夜なのです」
「ララは、家に戻らないのか」
「今夜の花々の露を集めるのが、私の仕事ですから」
花畑のあちこちに籠があり、そこで採取した露が入った小さな瓶がたくさん詰まっている。
「これを一人で?」
「ここだけは特別な花園なので、結界が非常に強く、入れる者が限られています」
「では何故、私が入れたのだ」
「飛ぶお馬さんの主なら、その資格はあるかと。ここの結界は昔から強く誰が張ったのか不明と言われています。そして近年、更に結界が強まったそうです。さ、少しお休みになってください」
少し先にある大きな籠から、ブランケットを二枚取り出して、一枚を地面に敷きヴァン様を促す。
「お前は、いや、夜通し採取であったな」
「はい。ここは安全です。ゆっくりおやすみください」
「感謝する。こんな心地よい美しい花園で野宿するとは思わなかったが」
「お馬さんも飛んでいますし」
「あれは外から見つからないのか」
「この結界の中は外から見えません。それにお馬さんが空を飛ぶのが見える人は、私以外には、ヴァン様が初めてです。ラファールはいつも流星を隠していますよね」
「……ああ、それには気がついていたが」
ラファールが一際高く鳴いた。
「キイーーン」
「キイーーン」
ガブリエルがそれに応えている。
「まるで護衛だな……」
その言葉を言い終わると、ヴァン様は静かな寝息をたて始めていた。
ブランケットをそっとかけ、良くなった顔色を見て安堵するけれど、この方はどれほど強運な方なのだろうかと思う。
黄金の満月の夜に、この強力な結界の花畑に、天馬で駆け込んでくるなんて。
ふふふ。
ガブリエルとラファールがまた降り立って、蘭を食べ始めた。
この子たちがどれだけ食しても、蘭はすぐに咲きみだれる。
清々しい夜の空気の中で、私はまた夜露を集め始めた。
きっとヴァン様が目覚めたら、質問攻めね。
でもこの方になら話せる、そんな気がしていた。
今夜の露は採れるだけ採取したい。特にヴァン様のあの症状はおかしい。
朝焼け寸前に採取し終えた。
ヴァン様が王都へ持って帰れるように、専用ポーションも用意して、とうとう睡魔には勝てずに花畑でうたた寝してしまった。
目覚めたら、ヴァン様はいなかった。
私が持っていた小さな籠には、ヴァン様用のポーションを入れていたけれど、それも持ち帰ってくださったようね。
そして革袋に入ったたくさんの金貨と、書き置きが一枚。
「世話になった。また来る」




