第19話 告白タイムの罠
トゥオヴィが持ち込んだ台本は、広げるたび腹が立つ紙だった。
告白タイムは、中央広場で毎年行われる夏至祭の名物だ。仰々しい儀式ではない。屋台の火が安定し、灯り紐がともり、子どもが眠くなり始めたころ、舞台の上で司会が「今夜、誰かへ一言ある人はどうぞ」と呼びかける。それだけだ。
去年は魚屋の親方が、亡くなった兄へ向けて「お前の包丁をまだ使ってる」と言って泣かせた。一昨年は縫い子の娘が、喧嘩中の姉へ「先に謝るの悔しいけど、帰ってきて」と言って拍手をもらった。その前には、酔った靴屋が妻へ「出会った日のほうが今より怖かった」とわけの分からないことを言って笑われた。
町の人間なら、誰でもひとつは覚えている時間だ。
だからこそ、そこへ役所の告知文を差し込む意図が、いやになるほどはっきり見えた。
「人の胸がやわらいだところへ、“危険区域だから出ていけ”を流し込むわけか」
バレールが台本束を見下ろして言う。
「しかも祭りの最中なら、反論しにくい」
トゥオヴィが頷いた。
「観客は酔ってるし、空気に流される。司会が“次は大事なお知らせです”と言えば、半分は聞いた気になって帰る」
ヤスミンは追加文の行間を目で追った。
整然としている。無駄がない。だからこそ悪質だった。台本の流れの中へ、違和感なく入りこむように調整されている。読み手が考える暇を与えないまま、決定事項の顔をして通り抜ける文章だ。
「これ、舞台の文として書かれてない」
彼女は言った。
「どういう意味だ」
ハッサンが問う。
「声に出したときの間がない。聞いてる側に飲みこませる文じゃなくて、読み上げる側に逆らわせない文。司会が息を継ぐ場所まで固めてある」
トゥオヴィが顔をしかめた。
「たしかに、読んだだけで喉が詰まる感じがした」
ヤスミンは頷く。
「人前で読む人の逃げ道をつぶしてるんだよ」
トゥオヴィは台本の余白へ爪を立てた。進行役として、読まされる側の息苦しさを一番よく知っている顔だった。
「今年の台本、渡されたときから嫌だった。祭りは毎年少しずつ文を直すけど、直し方が違う。町の癖を知らない手が入ってる」
パゾスが身を乗り出す。
「その告白タイムって、恋だけじゃなくて何でも言えるんだよな」
「一応はな。恋の年もあるし、親への礼の年もある。酔っぱらいが店の借金返すって言い出した年もあった」
「返したの?」
「翌朝には撤回してた」
少しだけ笑いが漏れる。だがすぐに空気は戻った。
ヤスミンは台本の最初へ戻る。開幕の口上、楽人の紹介、灯り流しの案内、子どもの踊り、そのあと告白タイム。通常なら一番あたたかく人が集まる山場だ。
「この時間をずらせる?」
彼女が聞くと、トゥオヴィは肩をすくめた。
「少しなら。客いじりで引きのばす、飛び入りを先に振る、楽隊へ一曲足してもらう。そのくらいはできる。でも、役所側が台本どおり進めろと袖で言ってきたら、露骨には逆らえない」
ハッサンが台本の綴じ目を見た。
「舞台袖へどの役人が来るか分かるか」
「整備局から何人か。あとは広報課と警備。名前まで聞いてない」
「なら、表の台本だけではなく、袖の導線も押さえる必要がある」
ヤスミンは簡図の端へ舞台の絵を描き足した。正面階段、袖口、証拠文書の搬入口、楽人の待機場所。祭りの舞台もひとつの看板だ。どこへ誰が立つかで、文の効き方が変わる。
「舞台へ上げる順番をこちらで作ろう」
彼女はそう言いながら、紙へ書き出した。
「最初にいつもの告白を二つ。広場を冷やさないため。次に、役所が入れたかった発表の前へ、町のこれからに関わる話を挟む。その間に証拠を袖へ運びこむ」
「役所側が止めたら?」
エドリラが言う。
「止めにくい口実を先に置く」
ヤスミンはペン先を止めない。
「夏至祭は町の人の言葉を祝う場だって、司会の口から最初に言ってもらう。舞台の意味を客へ先に思い出させるの。そうすれば、途中で黙らせようとした側が浮く」
トゥオヴィの目が少しずつ明るくなる。
「それならできる。最初の口上は俺の領分だ」
ハッサンが追加文へ視線を落としたまま言う。
「問題は、役所側がどの段階で“危険指定は既定方針だ”と押してくるかだな」
「押すなら押させる」
ヤスミンはきっぱり返した。
「でも、その前に町の人が、自分の目で札も控えも読んでる状態を作る。広場へ来た時点で、もう半分分かってるようにする」
ミスラフが控え帳へ書き込む。
「舞台の上で初めて証拠を出すのではなく、道中の札で下地を作るわけだ」
「うん。舞台は最後に線を結ぶ場所」
パゾスは腕を組み、ふんふんと頷いた。
「なるほどな。人の心がやわらかい時間を奪うつもりなら、こっちはそのやわらかさをちゃんと真実の側へ使えばいい」
「そういうこと」
トゥオヴィが台本束を抱え直す。
「正直、今年の告白タイムはもう終わりだと思ってた。役所の台本を読むくらいなら、俺はわざと噛んでやろうかとも考えた」
「やめて」
ヴィウンタが真顔で言う。
「混乱しか増えません」
「分かってる」
トゥオヴィは苦笑した。
「だから助けを求めに来た」
ヤスミンは彼の台本へ、新しい余白を作るように指先を置いた。
告白タイム。
人前で、本音を口にする時間。
それを利用しようとした相手は、きっと“感情の場”だと思って舐めている。熱気の中なら、人は都合よく流れると。だがヤスミンは知っている。人前で言う一言ほど、その人の暮らしを背負うものはない。恋も礼も謝罪も、全部、毎日の手ざわりがなければ出てこない。
なら、その場で告げるべきなのは、退去勧告のような乾いた文ではない。
暮らしを切らせないための真実だ。
「舞台、借りるんじゃないよ」
ヤスミンは静かに言った。
「取り返すの」
トゥオヴィが口の端を上げた。
「言うじゃないか、筆耕師」
「ことば屋だからね」
答えた自分の声は、不思議とまっすぐだった。
長机の上には、案内板、許可控え、縁談札の写し、幸福論覚書、設計図、押印記録、そして祭りの台本が並んでいる。ばらばらに見えた紙の山が、今は同じ方向を向いていた。
夏至祭の夜まで、残りは一晩と半日。
少ない。けれど、足りなくはない。
ヤスミンは白紙を一枚引き寄せ、見出しを書いた。
――返すべき言葉。
その五字を見た瞬間、全員がもう迷っていないのが分かった。




