森の家を去った理由
リオノーラ視点
再び目が覚めたとき、ベッドで眠っていたのは私だけだったけれど、ちょうど朝の鍛錬を終えて湯を浴びて、着替えてきたばかりのアステライトが部屋にいた。
「起きたのか、リオノーラ」
「は、い……。ごめんなさい、すぐに、起きます」
寝台で上体を起こして、アステライトを見る。
「そう慌てなくていい。まだ十分朝だ。無理に動くのは辛いだろ? 湯浴みの準備はさせてある。飯もしっかり食べるんだ」
「はい……」
一糸纏わぬ姿を、薄いブランケットで胸元を押さえて隠す。
昨日着ていた寝衣や下着はどこにいったんだろう?
そんな私のそばにアステライトはそっと歩み寄ってきて、優しく抱き寄せた。
素肌の肩に、少し厚めの唇が触れる。
吸い付かれた感触。また肌にアステライトの唇の痕が残った。
そこから顔を上げないまま、アステライトは搾り出すような声で問いかけてきた。
「リオは、……っ俺に、会いたくなくて、森の家を去ったわけじゃ、ないんだろう?」
切羽詰まった声音。
その内容に驚きが生まれて、そういう考えもあったのか、と思ったくらいだった。
「森の家を去ったのはソーラス兄様が迎えに来たからで、すべて私の方の理由です。……突然で、そう何度も足を運ぶこともできずに家を捨て去ることになりました」
ピクリとアステライトの身体が震えた。
「リオノーラの、……母の墓だと言っていたものの横にあった、新しい墓は誰のものだ?」
アステライトはあの墓を見たのか。
それに気づくほど頻繁に、森の家を訪れてくれていたのかと、胸が熱くなる。
「あれは父の最後の願いで、母の隣に父の墓を並べたのです。父の遺髪が埋めてあります」
「墓を作ったのはリオが? 自分で?」
「はい」
顔を上げたアステライトの、複雑な、困惑を隠しきれない、どこか悲痛な面持ち。
「リオの父…、シフィアフラ殿……。リオは、自身がエルトフォード公爵令嬢だと知っていたのか?」
静かに首を振る。
「リオが森で一緒に暮らしていた母君が、エルトフォード公爵夫人だったということか?」
「……はい」
「なぜそんなことに」
アステライトの疑問はもっともだし、問いかけたい気持ちもよく分かる。
昔から知らない相手ではない隣領の家の複雑すぎる事情に、隣接する、親しく付き合いのある領の当主として説明を求めてもおかしくはない。
でも、私ばかり答えさせられて不公平じゃないだろうか?
アステライトのこういうところは昔から変わっていない。
彼の立場と生い立ちと身分を考えたら、どうしても上から目線になってしまう話し方は仕方ないと思いはするのだけれども。
私は尋問されなくてはいけない者ではないのですけど?!
前にもこんなことがあった気がするんですけど?!
「お気持ちは分かりますが、すべてを説明し、お伝えすることはできません!!」
「なぜ!!」
「エルトフォード公爵令嬢のことではなく、前公爵と夫人のことだからです。いくら父と母のことでも、現当主である兄の許可なく、実家の内情をペラペラと話すわけには参りません。いくら妻でも、いくらあなたが夫でもです」
キッと睨みつけて言い返すと、アステライトはぐっと口を閉ざして身を引いた。
そして口の中で。
「夫……」
と、なぜか噛み締めるように呟いた。
若干、嬉しそうに見えた気がしなくもない。
なぜでしょう?
「……それもそう、だな。そのあたりはソーラス殿の許可を得てから聞こう。……だが、聞きたい、知りたいんだ!! 森の家を出たリオがどうやって暮らしていたのか。俺が誘っても首を縦には振ってくれなかったのに……。会いに行くと言った、……俺との約束は、どうでも、よかったのか……?」
沈み込んでいくアステライトの声。
優しく抱きしめてくれている腕に、少し力がこもったのが分かった。
「……ごめんなさい。心配をかけてしまって。一言、あなたに書き置きでも残せればよかった。そうしたら、無駄な心配をかけずに済んだのに」
もっと早く、心から詫びるべきだと思っていたことをようやく口にできた。
「無駄な……?」
アステライトが眉間にしわを浮かべながら、疑問を抱いた声音で呟く。
「何度も家へ来てくれたんだよね? ごめんなさい。あなたは忙しいのに、なんて無駄な時間を取らせてしまったんだろう。私なんかのために、もったいない。もっと有効な時間の使い方をしてくれればよかったのに。そうさせてしまったのは私のせいだね。……ごめんなさい」
そりゃ、会う約束をしていた、気にかけて心配をしていた子供がいきなり消えたら、気になってしかたないだろう。
せめて所在を、あわよくば生死を確かめたいと奔走してしまう、そんな優しいお節介焼きの大人がアステライト、ステラという人だ。
「え? いや…、もったいないってなにが……? リオのせい……?」
アステライトが目に見えて混乱している。
なにに対してだろう?
あのとき、私の安否が知れてさえいれば、アステライトは何度も森へ足を運ぶ必要も無かっただろうし、私を心配する必要もなかったはずだ。
本当の名前も、隻眼を装っていた理由も語れない信用の置けない相手に、それ以上の気遣いなどなにがあったというのだろうか?
「あのとき、私のことをもう心配する必要はないよと伝えられなかったから、かけてしまった迷惑の分、今、できる限りお返しをするよ。私にできることなど、そう多くはないけれど」
情けなくて、笑えてしまった。
ああそうだ。アステライトが私の身体を気持ちいいと思ってくれて、肌を重ねる分もお返しに含まれるのかもしれない。
……うーん、私も気持ちいいと思っているなら、違うのかな?
閨のことは難しいなぁ。
「迷惑って、なんだ? リオノーラは……」
「今も多大な迷惑をかけているでしょう? 求婚や、政治的な陰謀から守ってもらうために、こんなにも厄介な……。私個人には、ソーラス兄様が持つようなエルトフォード公爵家に由来する大きな力はない。ささやかなものでごめんなさい。アステライトが戦に出ていても円滑に回るように内政は整えておくし、万が一のための引き継ぎや手順も一目で分かるくらいのものを作っておくから。きっと役に立つよ。これは兄様にも褒められたことがあるんだから」
それはきっと、そう遠くないうちに私がウォルフィンリードを去っても滞りなく、アステライトが想い人を見つけて迎え入れて、私から内政を引き継いだときにもやりやすく。
大丈夫、なにも問題ない。
意気込んで、笑顔で拳を作ってみせたけれど、アステライトは混乱した表情のままだった。
「……リオノーラを守るのは当たり前だろう? 万が一の、引き継ぎ? 誰に?」
「誰かはアステライトが決めることでしょう? 私を守るのが当たり前? ……もうそんなに、私のことを心配してくれなくていいよ?」
「いや、それは無理だろ!! 心配する!! じゃないとどんな輩の魔の手がリオノーラに迫るか分かったもんじゃない!!」
「ええー…?」
もう公爵令嬢として立派に成人して、何度も肌を合わせることもできる程に大人になったと知らしめているのに、変わらぬ心配と子供扱いは続くのですか?
心と身体の成長は違うとか言いたいのかな?
じゃあ、いつになったらその心配がなくなって子供扱いがなくなるの?
いつ、あなたと対等な大人の女だと認めてくれるの?
子どもを産んだら?
まだまだ先?
なんだかなぁ……。
ブランケットで押さえた自分の身体に視線を落とした。
「リオノーラ」
呼びかける声に顔を上げる。
「迷惑とか、ささやかとか、お返しだとかそんなも……」
コンコンコンコン、と軽快なノックの音が響いて、アステライトの言葉を見事に遮った。
「ご当主様、予定されておられます軍議のお時間でございます」
ドアの向こうから、シアンが丁寧に予定を告げてくる。
アステライトが苦虫を噛み潰したかのような顔をして、眉を寄せ、がっくりとうなだれた。
「くそ…っ、時間が全然足りない……!! もっとたくさん話したいことがあるのに…っ」
私の肩に顔を押し付けてこぼす、アステライトの苦々しい言葉。
いつもアステライトは忙しい。
ゆっくり時間を取れることの方が珍しいのは分かっている。
ステラとして会いに来てくれたときだって、短い、たった少しの逢瀬だった。
彼がアステライト・ウォルフィンリード辺境伯だと知った今、その忙しさの意味と理由が明確に分かる。
「どうぞお行きくださいませ。……私のことは構わず」
ぐっと、その胸を押して離そうとしたことに、アステライトは顔を歪める。
私が離れようとしたことは確かだったのに、逆にアステライトはぎゅうっと音が立つほど私を抱きしめた。
「急な防衛に出さえしなければ今日は城にいる。どんなに少しの時間だって会いに来る。だから、リオノーラ……」
名残惜しそうに、離れがたいと告げるように、唇に触れるアステライトの唇。
たったそれだけで愛しさがこみ上げて、同時に身体の奥に火がついて、思い出す、アステライトが与えてくれる熱の心地良さ。
至近距離で見た、青空色の瞳の美しさ。
見惚れて、見惚れて、好きだと思う、その青色。
「少しでも、話、を……」
言葉を続けようとしてくれるのだけれども、青い瞳の奥に欲望の炎が揺れる。
アステライトの口づけは、ゆっくりと深くなっていった。
舌に舌を絡め取られて、返事などできない。
「ん、は…、んむ……」
このまま続けていたい。
少しでも長く、味わっていたい。
そんな浅ましさで思考が埋まる。
アステライトの胸に、しっかりとした革鎧の上に、掴もうとして掴めなかった指先が爪を立てて、ガリッと音を立てた。
ビクリと肩を震わせて、アステライトが大きな身体を跳ねさせ、飛び上がって私から離れた。
慌てて、口元を汚していた唾液を手で拭う。
「すまんっ!! もう行く!!」
転がるように、バタバタと落ち着きなく、アステライトは部屋を出ていった。
ドアが閉められると、部屋の中は一気に静けさを帯びた。
ベッドの上で私は半ば呆然と、アステライトが出ていったドアを見つめる。
「……お見送りの言葉、かけられなかったや……」
少し寂しく思って、とろりと唾液に濡れた口元をゆっくりと拭った。
リオノーラ
アステライト




