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狼辺境伯と魔女令嬢の白い結婚 不器用同士の恋が成就するまで  作者: 庭師K炎


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88/90

月の雫・内政の基本的なやり方という有益性

 それは兵士たちの名簿だった。

 紙質から見て少し古いものと、真新しく数日以内に書き上げられたもの。


「個人的にどうしても気になってしまって、手を出させていただきました。こちらはお借りしています、ウォルフィンリード城内に所属している兵士の名簿です。製作されたのはもうだいぶ前ですね。新規雇用された者たちの名を書き足す形で続いております。死亡、除隊、退職者の名は消す形で」

「ああ、昔からその形で記載を続けているはずだ」


 コクリとうなずいて、リオノーラは新しい名簿の紙を俺に手渡した。


「城を見て回って、兵士たちの寝具の状態が気のなったことも本当です。敷布、毛布、枕、シーツもすべて、劣化状態、使用状態の差が顕著でした」

「うむ、兵舎内で使い回しているだろうからな。不満はそれほど上がってはいなかった。必要に応じて買い足すことはしていたはずだ」


 シアンを見ると、しっかりとうなずいて見せた。


「それが悪いなどとは思いません。当たり前の対応です。だから、私はわがままな行動を取らせていただきました」


 それが寝具の一新かと理解はしたが、一体どこに人払いをするほどの理由が、と思っていると。


「まず、寝具を受け取るために兵士一人一人の名を古い名簿を使って確認を取り、名の確実性、所属、所属歴を再確認しました」


 ……ん?


「本日帰城された兵士たちに寝具が行き渡り、確認が終わりましたら、各団長様、各部隊長様に確認後、新たな名簿が出来上がります」


 思わず黙ったまま、目を見開く。

 リオノーラの説明はまだ終わらない。


「続いて寝具の処分についてです。領内の孤児院、個人診療所への下賜と同等に、家族へ送ることができると提示しました。それにより、約半数の者が家族への手紙、仕送り、物資の輸送を申し出ました。万が一のことが起こったときの遺品の送り先、残された家族への支援、その所在の確認を改めて行なっております」


 リオノーラが真剣な眼差しで、古い名簿の消された名前をなぞっている。


「ウォルフィンリードで戦士として生きて死ぬことは、戦士としては誇りでしょう。でも、そこへ送り出した親は、離れて養う家族は、どう思うでしょう」


 新しい名簿へと、リオノーラの指先が移る。


「彼らとて、死にに戦へ出ているわけではありません。だからこそ、彼らが命を張って得た物が確実に家族の元へ届いていると確かめたい。不正取得はされていないか、受け取り手は確かなのか」

「なに…?」


 不審を抱いた疑問に声を上げると、リオノーラは真っすぐに俺を見た。

 真剣な、黒い瞳の眼差しは強かった。


「私は物語が好きです。そしてその中には、優しく誠実な正直者が、小悪党に良いように転がされて騙されて損だけをする話がたくさんあります。日々戦い、命をかけている戦士たちが離れた家族の本当の安否を知る機会はどれだけありますか? 帰るつもりはないと家を出てきた者たちもいるでしょう。そして、その中で仕送りなどをしている者も、兵士たちの中には多くいるようです」


 すでに作られた名簿のおかげで、それが確認できているという確信。


「正しく家族に物資が届き、家族の安否、居場所が知れる。それを知らせる者が帰ってくる。兵士がこれからも戦い生きる活力に繋がりましょう。万が一、受け取る側に問題があれば……」


 兵士が家族に送っていると思っていた仕送りが、悪辣な者たちによって奪われていたら。

 家族を貶め、または殺害などして、少なくはない戦士からの仕送りを奪っていたら。


 許せるわけがない。


「古い名簿と今までどおりの管理状態では、そのあたりの確認はできませんでした。だから、そうできるように手配いたしました。それから」


 次の説明に移るリオノーラ。

 思わず息を呑む。


「家族への配送を選ばず、孤児院や病院への下賜を選んだ者は分けてあります。そして、過去の仕送りなどの記録と逸脱した場所へ送ろうとする者も分けてあります」

「それは……」


 内部情報を外部に漏らしていた可能性がある者の目星をつけているということ。

 兵士戦士として信頼を得ながら、間者である可能性がある者の目星をつけたということ。


 今は、他国と戦争はしていない。

 だが、国内の状況や、国一番の軍があるウォルフィンリードの細やかな状況を知っておきたいという軍部はどこの国にもあるだろう。


 情報は力だ。

 たった一つの文章が、たった一言の言葉が、国を揺るがすほどの力になる。


「彼らの動向をどう見るかはもちろん、アステライト様や各団長様におまかせします。ええと、次は」


 ぺらりと名簿をめくる。


「過去、死亡を告げられた戦士の家族たちは今はどうしているのでしょうか? そこまで面倒を見る必要はあるか、ないかと悩ましいところですが、背中を預けあって戦った仲間の家族というものがどうしているか、知れたらそれはそれで、小さな心のつかえが取れるものではないでしょうか? 古い名簿を破棄して終わるだけでなく、これを期に再確認しております」


 名簿から手を離して、リオノーラは顔を上げた。


「あとは、……あ」


 リオノーラを見つめ、完全に驚きで言葉を失っている俺の様子を見て、彼女も静止した。


「あ、えっと、……ごめんなさい…」


 なぜかリオノーラの口から謝罪の言葉が出てきた。

 だから、俺も動きを取り戻した。


「なぜ謝る? 凄すぎて驚いていただけだ」


 リオノーラは首をすくめて、申し訳なさそうに視線を落とす。


「全部勝手にやったことです。私の私財で行いましたので、間者がいたとしてもアステライト様が、軍が疑いをかけたとは思わないはずです。そして間者かと疑いをかけられた者も、兵士たちの仲間意識の間に溝は生まれないと思われます。どうぞ存分に采配を振るってくださいませ」


 次から次へと明らかにされる、深く考え紡がれた知略の紐。

 それを役立ててくださいと手放しで渡されている気分だ。

 気を抜けば、ただ感心をして言葉を失いそうになる。

 

「そこまで考えて私財をなげうったのか?」

「なげうったわけではありません。ただ当初、予定では規模はもう少し小さくするつもりではあったのですが、買い取ってもらったものが思ってもおらず良い値をつけていただけたもので、その分活用しようと思って」


 これだけの行動を一挙にしてしまおうと決断できるだけの、リオノーラ個人の私財。

 それを手放させてしまったのは事実だ。


 ぐっと隠して拳を握る。


「そもそもリオノーラの私財を使わせたくはなかったんだが……。なにを売ったんだ?」

「これと同じ種類のものです」


 そう言って、リオノーラは髪を耳にかけ、つけていたイヤリングを見せてくれた。


「…うぐぅ…っ!!」


 さすがに俺でも知っている。


 光を吸った雨粒たちが、美しい煌めきに揺れる。

 「月の雫」と呼ばれる、エルトフォード公爵領内のみで採掘される宝石で作られた、国内最上級の宝石。


 エルトフォード公爵領から出すときには、国内でも税がかけられるほどの特上の宝石で、それをふんだんに使った宝飾品。


 リオノーラの黒髪に映えて、艶めかしい肌を照らして、美しく流れる。


「それは、エルトフォード公爵領の、『月の雫』だろう?」


 リオノーラが直接御用達店に買い取らせたならば、本来かかるべき税金がかからない。

 かからなかった税金分だけで考えても、買い取れた御用達店の儲けは計り知れない。


 「月の雫」たった一粒でどれだけの価値があるか。


 リオノーラの耳で揺れるイヤリングに使われているものだけで、数十粒。それが両耳分。


「そんな名前でした。アステライト様はよくご存じですね。そこにいるビオラが、なにかあったときのためといくつか宝石などを持ってきてくれたのです。売りに出したのはネックレスなどですが、……エルトフォード公爵領の、……ならば、やはりこれも買い取ってもらいましょう」


 そう言いながらリオノーラは耳からイヤリングを取って、まずは一つ、机の上の書類の上に置いた。


「なぜ? もう費用は十二分に得れたのだろう?」

「はい。ただし、これも売ってその金額を足せば、運搬に携わる業者への礼が厚くなり、各家族のもとへ赴く者たちに信用ある冒険者を護衛に雇うこともできます。…ん…?」


 もう片方のイヤリングに手をかけたリオノーラの手が止まる。

 髪に引っかかってしまったようだ。


 そっと手を伸ばして、リオノーラの手をのけて、イヤリングに絡まった髪を丁寧に取ってやる。


 柔らかくて小さな耳に触れる。

 手の甲に髪が触れる。


 月の雫がチリチリと綺麗な音を立てるのを聞きながら、俺に触れられることを受け入れるリオノーラの、少し照れた表情をじっと見ていた。


「……エルトフォード公爵家から持ってきたものだからこそ、売ってしまって構わないのです」

「なぜ?」

「ここにいる間は必要のないものだからです。ウォルフィンリード辺境伯夫人と名乗りながら、エルトフォード公爵家の宝石を身につける、など、まわりからつけ込む隙を与えるばかりです」


 たしかにそのとおりだった。

 どっち着かずの心を、身につけた宝飾で示していると取る者もいるだろう。


 リオノーラは、俺が必要ないとさえ思って投げ捨てている貴族間の社交のことさえ考えてくれている。


 とっさになにも返せなくて唇を引き結ぶと、リオノーラは申し訳なさそうに、表情を曇らせた。


「ごめんなさい。兄様なら多分もう四五六、この行動に対して有益な策を提案して、実行してくださると思うのですが、私にはこのあたりが限界です」

「……え?」


 肩を落としたリオノーラは視線を下げて、まだまだ思考を巡らせはじめた。


「父様にも『やりたいと思った行動を実行に移すのならその有益性を示すこと』と教えられていたのですが……。んと、あとはたとえば、兵士の家族が悪辣な者に搾取されていたのならば、その村や町の長に責任を問う手はずや…、他領であるなら、その地方の貴族に対して圧力を……」

「待て待て待て!! ソーラス殿やシフィアフラ殿は、リオノーラに一体どんなことを教えたんだ?!」


 ついに耐えかねて、叫んだ。


「えっと、内政の、……基本的な、やり方?」

「リオがやってることはほとんど参謀がやるようなことだと思うぞ?! どんな教育したの!! エルトフォード公爵殿は!!」


 リオノーラはきょとんとしたあと、頭を抱えたくなっている俺をじっと見上げた。


「どうした?」

「アステライト様は、父をご存知ですか?」

「ああ、子供のころから何度もお会いしている。立派な方だった。そういえば、リオの髪色はシフィアフラ殿譲りか」

「はい。あの…、……いつでもいいので、アステライト様から見た父様の話を聞かせてくれますか?」

「それはかまわないが、……いったいどうして?」


 リオノーラは少し肩を落として、眉を下げて笑うふりをした。

 無理やり笑顔を作ろうとしたのがよく分かった、不器用な笑顔だった。


「私、父様とはほんの数ヶ月しか一緒にいませんでした。お元気な姿など、知らないのです。兄様にも聞くに聞けず。だから、……ご無理でないなら」


 エルトフォード前公爵、シフィアフラ殿が亡くなる前の数ヶ月。


 それは俺が、リオと再会を約束していながら叶わなかった、森での別れの時から、ではないだろうか。


 気がついたら、リオノーラを腕の中に閉じ込めて、抱きしめていた。


 驚いたリオノーラが身を強張らせたのは感じ取った。

 だが、しばらくの抱擁を経て、それが緩んで、彼女は俺の胸に額を押し当てた。


 今、この瞬間だけは確かに、俺はステラで、彼女はリオに戻っていた。


 森で約束した再会を、ようやく果たせた。

 そんな気持ちが込み上げていた。




アステライト

リオノーラ

静かにしているシアン、ニビア、ビオラ

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