携帯食を作ろう。それは誰のため?
リオノーラ視点
日が暮れても兵士たちには夜の仕事がたっぷりあるし、それに伴った夜勤の使用人たちにも仕事があることを知ったのは少ししてからだった。
もちろん、エルトフォード公爵家でも使用人たちが夜の見回りをするだとか、翌朝のための仕込みなどで夜勤をしたり、夜通しの警備などはあった。
でも、ウォルフィンリード城内はその比じゃない。
でないと、夜に出没した突然の魔物への対処や、突然の防衛戦の対応なんかができるわけがない。
しかし、城の最奥、夫人の部屋にまでその気配を感じさせることがないのは、さすがとしか言いようがない。
それほど、警備は厳重に敷かれ、主とその家族を守ると徹した理念は素晴らしく、ありがたくあった。
まぁ、私は夜な夜なそんな完全に安全な場所を抜け出して、一番近い厨房に忍び込むのだけれども。
城の中にはいくつかの厨房がある。
兵士たちのための厨房、使用人たちのための厨房、ここはもう何度もお邪魔した厨房。
ウォルフィンリード辺境伯とその家族のための厨房だと、城の中をウロウロするようになってようやく知った。来客や貴賓が来れば彼らも含まれる。たとえばフォーレスタ殿下や、領内外の貴族が訪れたときなんかの。
もちろん意味なくお菓子を作りたい欲求を満たしているわけではない。
もう既にこの場所の厨房長とは話をして、こっそり私が使いたい食材を運び込んである。あくまでもこっそりだ。
やっぱり大々的に夫人が厨房に立つとなると、他の料理人たちの誇りを傷つけてしまうこともあるから。
目下考えているのは、兵士たちが携帯しやすくて食べやすくて、即座に栄養になって、腹持ちもよく、多くの者に好まれ、費用もかからないお菓子、もしくは携帯食。
そして、食べて喉の渇きを覚えるものであってはいけない。
難問だった。
アステライトが戦に赴いた日の夜から構想しはじめて、考えつく材料を集めて、短い夜の間に試作をいくつか作ったけれど、時間が足りなくて慌てて片付けて部屋に戻ったりもした。
毎夜部屋を抜け出していることはニビアにはバレていた。何回か、ついてこようとしてくれたから、厨房に行くこと自体を断念したりもした。
そんなこんなで上手く進められなくてしょんぼりしていると、ニビアのほうが折れてくれた。
いつだってそばに誰か使用人がいて当たり前の貴族令嬢、貴族夫人の生活。一人になる時間はあってもいいだろう、という深い理解からの優しさで。
厨房以外へ行かないこと、決まった廊下を行くこと、深夜に及ばないこと、無理をしないこと、他にも他にも。
条件はたっぷりついたが、私は待望のひとり時間を手に入れたのだった。
クツクツとキャラメルを煮詰めながら、昨日作った携帯食候補をじっと見つめる。
干しベリーとさまざまなナッツを砕いたものをしっかりと飴で固めたもの。
失敗だ。
なぜなら、噛めない。
溶けないようにしっかりと固めた飴が完全に仇になっている。
一口携帯食ではなく完全に飴玉と化したそれは、口の中でようやく溶け出すころになったらナッツがバラバラとザラザラと踊りだし、細かい粒が喉を刺激する。そこに不揃いなベリーが突然出てきて、咽る。
咳き込むのが必死な物体を作り上げてしまった。
今は湯煎をしながら溶けてくれるのを待っているところだ。彼らは溶かされてこのあとパウンドケーキに変身します。
お疲れ様です。
その前は、ベリーをたっぷり入れた一口サイズのパウンドケーキを作ってみた。
飲み物が欲しくなった。
その前は、硬く焼いたナッツを入れたクッキーを作ってみた。シアンにトラウザーズのポケットに入れて一日持ち歩いてもらったら、粉々になった。
ご協力ありがとう。
簡単にはいかないものだ。
「いっそ、ナッツもベリーも抜いたパンケーキの小型版を揚げてバターとお砂糖をまぶして……、油……、高価になるなぁ……」
鍋を混ぜる手が痛くなってきた。
「そろそろいいかな?」
キャラメルの硬さを確かめて、用意しておいたナッツと干しベリーを敷き詰めた入れ物に流し込む。
飴の失敗を踏まえて、キャラメルにしてみた。
ナッツもそれなりに大きさを残して、干しベリーとおおよその大きさを揃えて。
どろっとしたキャラメルを一生懸命流し込んでいると、こちらの大変さなどはまったく理解していないだろう、純粋な赤い目が、厨房の入り口から私を見ていた。
「……なに作ってんの? それ? ドロリ……」
凄まじく不穏そうな声で尋ねてくる、夜食ドロボウさんの警戒心たっぷりの態度。
「キャラメル、知らない?」
ふるふると頭を振る、少年の柔らかそうな金色の髪が揺れた。
鍋を置いて、入れ物に入ったキャラメルを慣らしていく。
想像通りなら、口の中でキャラメルが溶け出す頃、噛みやすくなって、中に一緒に入っているナッツと干しベリーを噛み締めることができる物体になるはずだ。
入れ物にみっちりと入ったキャラメルとナッツと干しベリーの不思議物体を見つめる赤い目の少年。
「これで食べれるの? 食べていいの?」
無邪気に試食を申し出てくれるけれど。
「残念なお知らせですが、固めなくちゃいけないので食べられません」
「ええー…っ」
凄まじく残念そうな声がこぼれ落ちた。
確かに、今厨房いっぱいに香っている、バターとミルクと砂糖の甘くて香ばしい匂いは食後いくらか経った夜に香ってくるには攻撃的だ。
「今からパウンドケーキを焼き始めても時間がかかるし……」
隣で、赤い目の少年の腹がグーと鳴る。
「うーんと……」
やっぱりちゃんとある、ちょっと硬くなってしまったバゲット。
それを一口大に切って、フライパンでカリカリに焼いて、お鍋に残っていたキャラメルをほんの少しのミルクで伸ばしたものに絡めて、吸わせて、まぶして。
「こんなのどうでしょう?」
味見はしてみた。悪くはないと私は思うけど。
おそるおそる、ほとんどお菓子のキャラメルミルクの堅焼きパンを口に入れた少年の赤い目がキラキラと輝いた。
彼がキャラメルミルクの堅焼きパンを喜んで食べているうちに、私は残ったキャラメルミルクを失敗ナッツ飴の溶けたボウルに移して、残りの材料を混ぜてパウンドケーキを作り始めた。
型に流し込んで、火を入れてあるオーブンに入れ、焼き上がるまでに今日使った道具を洗い出す。
そんな私の手際を、少年はパンを咀嚼しながらじっと見ていた。
「焼けたらそれも食べたい」
「食欲旺盛はいいですが今夜はそれだけで我慢しましょうね。パウンドケーキは冷えても美味しいから」
少し残念そうにしながらも、少年は素直にうなずいた。
子供が素直なのはとてもかわいい。
無条件に甘やかしたくなっちゃうくらいには。
でも、それをこの年の頃の男の子に言ってはいけない。機嫌を損ねてしまうだろう。
まぁ、今焼いている三つの型に入っているパウンドケーキの一本を丸ごとあげちゃうくらいなら、いいよね。
「そっちはなにを作ってたの?」
ナッツとベリーを敷き詰めたキャラメルを冷やしている入れ物を指して、少年は興味深そうに問いかけてきた。
皿に盛っていたパンはもう既に綺麗に食べ尽くされている。
「これが固まったら、一口大に切って個包装にして、腹持ちのいい携帯食が作れないものかと試行錯誤中なの」
「携帯食……、兵士の皆に渡すの?」
「みんな、っていうほどじゃないよ。これだってうまく作れるかも分からないし、まだまだ試作中」
キャラメルの固まり具合を見てみながら、うまくできればいいのにと考える。
「フゥン…、……お姉さんの好きな人は城の戦士の誰かってことか」
突然、少年がそんなことを言い放ったので驚いてしまった。
隠しようもなく、頬が染まったのが分かった。
「なん…っ、なんで…っ?!」
そんなことを指摘されるんだと、疑問まで湧く。
「なんでって…、その人に食べさせたいから作ってるんでしょ? その人の為になればと思って作ってるんでしょ?」
「あ?! え? いや、そこまで…、えっと…っ」
兵士たち、戦士たちの助けに少しでもなればと思って作っているのは確か。
だけど、その中にアステライトも含まれている?
……いや、含まれているでしょ。
戦の旗印となる当主、ウォルフィンリードの誰もが誇る狼辺境伯。
戦いの中で、彼の糧になればと一瞬でも思わなかったなんてことは、……ない。
「でも、でも…、ううー…っ!!」
耳まで赤くなってしまって、頬が熱を持つから、水仕事をして冷たくなった指先を当てた。
「そんなに悩むことなの? 戦う自分のために女の人が色々考えてくれるなんて、戦士であるこっちからしたらありがたい以外ないよ? お姉さんが作る食べ物なんでも美味いし、それ持って好きだって言って突撃していったら、大概の戦士はコロッと落とせると思うよ?」
「そっ、そんなに簡単なわけがないでしょ!!」
「いけると思うけどなぁ。お姉さん可愛くて綺麗だし」
「かわ…っ?!」
びょんと飛び上がりかけるほど驚いた。
この少年は、将来有望そうな、よく整った美しい顔立ちをしている。あと五年もすれば女性の方が放っておかないだろう。
それに足して、女心を浮かれさせるような、嬉しくなるような言葉を平然とサラリと言ってのけるなんて。
ソーラス兄様とはまた違ったタイプの、女性を恋狂わせるような若者になるんじゃないだろうかと漠然とした不安が胸にこみ上げた。
だけど、今、この少年に言われて嬉しかった気持ちは確かなので、否定を口にするよりも素直に感謝を口にすることにした。
「ありがとう。そんなこと言ってくれたの、君が初めて」
少年は眉間にしわを寄せて、怪訝そうにその整った顔を歪めた。
「……お姉さんの周りにいる男ってろくな奴がいないの? それかみんな目が悪いの?」
「目は悪くないと思うよ?」
ステラだって結局は隻眼じゃなかったし。
「じゃあ常識が足りないんだね。シャコウジレイじゃなく、女性が綺麗なのを綺麗って言えない男は度胸を鍛え直せって家令長が言ってた」
「家令長が?」
ということは、シアンが。
ふふっと声に出して笑ってしまった。
そんな私につられて、少年は微笑んだ。
それから、食べ終えて空になった皿を手早く洗って、少年は残念そうにまだ焼き上がらないパウンドケーキが入っているオーブンを見つめた。
「今夜は夜間警備の実地訓練でさ、もう行かなきゃ。食べたかったなー…、これも、あれも」
名残惜しそうに、まだ固まっていないキャラメルとオーブンの中のパウンドケーキに思いを飛ばす少年は、やはり年相応の少年に見える。
「夜間……。でも、あなたはまだ……」
「子供だって言いたい? 自分が子供だってことは知ってるから、言いたいなら言っていいよ? 気にしないから」
心配になってしまった私の態度を、少年は思ってもいないほど軽く受け止めた。
「気にしないの?」
「うん。だって、俺がまだ子供なのは事実だし、大人から見たらどうしても心配になってしまう年齢ってのは分かってるから」
しゃんと背を伸ばして立つ、赤い目の少年の立ち姿はそれだけで凛々しかった。
「心配してくれる人がいるだけありがたく思うよ。でも、俺は戦士になるから。毎日やってることを苦に思ったり、辛いとかやりたくないとかは思わない。これは子供だろうがなんだろうが、俺がやりたくてやってることだから」
戦士に「なりたい」ではなく、「なる」ときっぱり言い切った少年の言葉の潔さは、胸を透くほど清々しかった。
子供だと心配してくれる人がいることをありがたく思う。
そう思えた子供のころが、私にも確かにあった。
「じゃあそろそろ……」
身をひるがえして行こうとする少年に、慌てて声をかける。
「あの、焼き上がったらあなたの分を置いておく。いいかな? 小さな籠に入れて、……いつも残ったバゲットが入っている戸棚に入れておくから、良かったら」
「マジで? 嬉しい!! 多分取りに来れるのは明け方だと思うけど」
「うん、キャラメルも入れておくね」
赤い目が嬉しさでキラキラと輝く様は美しく、そして微笑ましかった。
「ありがとう!! じゃあ、行く。またね、お姉さん」
「頑張って」
少年は笑顔で手を振って、足早に駆け去っていった。
また一人になった厨房で、私は温かな気持ちで作業に戻った。
冷え固まったナッツとベリーのキャラメルを一口大に切り分け、油紙で一つずつ丁寧に包む。
端っこのいびつな欠片を味見がてら食べてみたけれど、なかなかどうして、悪くない。
これは作り手の欲目かもしれないから、誰かに味見をしてもらって、忌憚のない意見を述べてもらいたいものだ。
作ったものを持って帰るために用意していた小さな籠にキャラメルを入れる。
焼き上がって、よく冷ましたパウンドケーキを同じく油紙に包む。
そしてそれを丸ごと一本分、籠に入れると、約束した戸棚の中にそっと仕舞った。
私が作ったこれらが、あの少年が戦士になるための努力のささやかな糧になれば、嬉しいな。
そう願いながら、厨房をきれいに片付け直し、個包装したキャラメルたちと残ったパウンドケーキを、不器用に両腕で抱えて部屋に戻った。
眠りに就く支度を整え直し、ベッドに潜り込む。
自分の身体に、髪に香る、甘い匂いに眠気を誘われる。
良かった。
今日は穏やかな気持ちで眠れそう。
ベッドに横たわると条件反射のように思い出してしまっていた、アステライトの体温がないことを寂しく思う気持ちを、今日は思い出さずに眠れそうだ。
『どうか、ステラが無事でありますように……』
心の中で呟いて、祈って、私は眠りに落ちていった。
リオノーラ
赤い目の少年




