私の知っている白い結婚じゃない 2
三人目は、二日目の夜にこっそり訪れた厨房で出会った少年だった。
城の料理は美味しいのだけれど、さすが、国内最強軍を所持する辺境伯の城の料理。ガッツリしたものが多く、一度の量がなかなかに多い。
女性の量にと調整してはくれているものの、それでも食べきれる量ではなく、このままでは明日も朝からとんでもないことになりそうだ。
すっかり誰もが寝静まろうというころにベッドの中でハッと気づいた。
昼間に見たあの美しいウエディングドレスに入らないお腹になっては困る。
だから、メイドにも何も告げず、こっそりやってきた厨房。
手には、エルトフォード公爵令嬢はかなり少食だ、と、メイドが書いた覚書のようなメモを持って。
これをそっと厨房の目立つ場所に置いておけば、誰にも迷惑をかけずに食事の量が減ってくれると一縷の望みをかけて。
厨房はもちろん、もう誰もおらず、静かな薄闇に沈んでいた。
夜目は利くほうなので、灯りを持ってこなくても十分見ることができた。
多分、今夜は空に明るい月が出ているのだろう。
綺麗に整えられた調理台の上の邪魔にならなさそうな場所にメモを置く。
大きくて使いやすそうな厨房を眺めて、これだけ広くて設備が整っていたら、作る方はさぞ楽しいだろうなと思いを馳せる。
結婚式が終わって時間ができたら、城下の街を見に下りて、教えてもらった甘いベリーを買ってジャムにして。
「パイとケーキ。クッキーにもたっぷり使いたいな。そっか、そもそも柔らかいパンを焼いて、ジャムを中に詰めちゃうという禁断の技を……」
昨日今日と食事に出てきたパンは、歯ごたえのある皮目のバゲットだった。あれはあれでおいしいのだが、ジャムをたっぷり乗せるには柔らかいパンが好みなだけ。
頼んだら厨房を使わせてくれるだろうか、と思案していると、後ろからカッと灯りを照らされた。
自分の影が壁に映って、飛び上がって驚いた。
「珍し…、夜食狙いの先客?」
少年の声だった。
振り返ると、少年は手に持っていた魔道具のランプの灯りを少し調整して、勝手知ったる様子で厨房の中に足を進めてきた。
「見ない顔。新しいメイドさん?」
少年は調理台の上にさっき置いたメモをちらりと見てから、私の姿を改めて見た。
寝衣の上に肩掛けを羽織っただけという、到底いいところのご令嬢が人様に見せる格好ではない。
おおかた、厨房に伝え損ねた言伝を思い出して慌てて寝間着でやってきた新しいメイドだと思われたのだろう。
「そんな感じ」
「フゥン」
少年は金色の髪に、赤い目。十代前半の、生意気そうな子供らしい雰囲気。一目で将来有望だと思える綺麗な顔立ちをしていた。
彼もまた質素な寝間着を着ている。
城の中に住む下男や執事見習い、戦士見習いかなにかなのかもしれないと思う。
もっと身分の高い者かとも想像したが、そんな者はこんな夜遅くに夜食目当てと言って厨房にやってきたりはしないだろう。
ゴソゴソと、少年が戸棚を探る。
そこにあるのを知っていたと言わんばかりに、バゲットの残りが出てくる。
どうやら夕食より前の固くなってしまったものが置いてあったようだ。
それを一切れかじりながら、少年はまたゴソゴソと、今度は冷暗所を探る。
少年の肩越しに、一緒になってその中を覗いた。
ほんの少し残ったミルクと、卵が一個、バターが一欠片、いくつかの野菜。
「今日はあんまり残り物ないなあ」
「これだけあれば何でも作れるね」
残念そうにした少年と、目を輝かせた自分。
正反対の感情に、お互い顔を見合わせる。
「お姉さん、料理できる人?」
「そこそこ?」
少年の赤色の目が宝石みたいに輝いた。
そんな期待した顔をされたら、言わなきゃいけない気になっちゃうでしょう。
「何か作りましょうか?」
「やった!!」
喜んだ少年のお腹が、同時にぐーと切なく鳴った。
私は笑って、肩掛けを脱いで料理に取り掛かった。
「ね、お砂糖探してくれる? 甘いのは好き?」
「好き!! 砂糖ね、待ってて」
少年はやはり場所が分かっている動きで、迷いなく砂糖を探し出して持ってきてくれた。
うん、夜食ドロボウ常習犯なのですね。
理解しました。
バゲット、バター、ミルク、卵、砂糖で柔らかめのフレンチトーストに。
こっちも別で少し残っていた夕食のスープの残りに、野菜とミルク、ほんの少しのバターを足して別の味のスープにした。
「やべぇ、美味い」
「よかった」
「お姉さんは食べないの?」
「大丈夫。味見はしたよ。それにこんな遅くに食べたら太ります」
「フゥン?」
少年は首を傾げて私の身体を見てから、自分の身体を見た。
幼いように見えて、そこそこ筋肉もあるしなやかな手足だ。
これはもう少ししたらぐんぐん背が伸びる、戦士向けの体格というやつではないだろうか、と思う。
成長期目前で、食べても食べても腹が減る年頃なのかもしれない。
「キッチンメイドになるの? お姉さんが飯作ってくれるなら、兵たちの士気ももっと上がりそう」
「キッチンメイドにはならないかな。でもお料理は好き。時々、厨房をお借りできたらいいんだけど」
「使ったものをちゃんと片付けといたら、怒られることなんてないよ。厨房の人たちはみんな気のいい奴らだし」
それを聞いて安心した。
邪魔にならない時間に時々、厨房を貸してくれと頼んでみようと思える嬉しい言葉だった。
「でも明後日はやめといたほうがいいよ。忙しいんだってさ。……あ、どうせあんたもそれに合わせて雇われたクチか? 言わなくても知ってるか」
「明後日?」
「ああ、この城の城主、狼辺境伯アステライト様の結婚式だから。なんか、急な王命のせいの、訳あり結婚って家令長は言ってたけどさ」
嫌な汗が噴き出る気分だった。
こんな少年が知っているのであれば、この城の中に勤める誰もが、もしかしたら城の警備をする兵士の一人に至るまで全員が知っている、ということなのかもしれない。
となれば、城下町にはあっという間に噂が広がり、国全土に広がるまでそう時間はかかるまい。
どんな影響が出るだろうか。
どんな目で見られるだろうか。
不安を抱かないわけではない。
「おれも大人しくしておけって言われてるけど、肝心の狼辺境伯が帰ってくる気配ないじゃん? なんか、森と山脈のほうで魔物が湧いたって兵たちが騒いでたから、そっち行ってるんだろうけど、帰ってくるの間に合わなかった場合、どうするんだろ? 延期? 無効?」
「結婚式自体はするらしいよ。辺境伯様が不在でも」
「フゥン…、結婚相手が隣にいなくていいものなの? やっぱり貴族の結婚って変だよね。そもそも狼辺境伯と結婚しようって決めたご令嬢もご令嬢だけど」
少年の物言いはどこか呆れたようなものだったが、そこに含まれていた感情は決して嫌悪とは感じられなかった。
「王命だからね…、やっぱり断れなかったんだよ」
「でも、想い人がいるって明言してる男のところに名ばかりで嫁に来るって、あんまりにもあんまりで、豪胆じゃないか? 政略結婚ってそんなもん?」
純粋で真っ当な疑問だと思えた。
私だって、貴族の常識とやらを理解していなければもっと疑問に思っていただろう。
「そんなもん、かもしれないよ? 私も理解できない」
「うん、おれも理解できない」
それは貴族の愛のない結婚をやすやすと承諾することだったのか。それとも、それでも嫁に来た私のことだったのだろうか。
どちらかを明確にすることもなく、話は続いてしまった。
「結婚したあとに、アステライトの想い人が見つかったらどうするんだろ? 側妃にするのか? 身分によりけり愛人か? 夫人になる令嬢はそこのところ口出ししないのかな?」
あ、そうだ、そういったことも詳しく話をし合わなければいけない。
特別口を出すつもりはないが、アステライト様がどう思っているかは聞かなくては分からない。
本当に、話し合い時間が欲しいものだとしみじみ思う。
……今この少年、アステライト様を呼び捨てにしなかったか?
「まぁ、見つかったら口出しなんて、したくてもさせてくれないだろうけどな。そんなことしたら、夫人になった令嬢、かわいそうなことになりそうで逆に心配しちゃうよ」
ちょっと呆れて笑う少年に、弱々しく微笑んで返す。
「きっと大丈夫だよ。そんなことにはならない」
「……それは、アステライトの想い人は絶対に見つからないって思ってるってこと?」
ピリッと、少年の声に怒りのようなものが含まれていたのが気になった。
ゆっくり首を振って見せる。
彼が、彼の想い人と幸せになればいいと思っている気持ちは間違いないのだ。
「訳あり、が解消されたら、すぐにでも離婚して実家に帰るのに、夜会でも話題の狼辺境伯と想い人の仲を裂く? それってあんまりにもあんまり、じゃない?」
さっき少年が使った言い回しを使って、伝えてみる。
少年は何か納得して、最後の一口になったスープをゴクリと飲み込んだ。
「ほんとだね。心配するほどのことじゃないってことか」
にこりと笑うと、少年も笑顔を浮かべて、食器を持って立ち上がった。
「美味しかった。ごちそうさま。おれ、時々夜ここに来るからさ、もしあんたも時間があったら、時々来てよ。またなんか作って食わせて」
「気に入ってくれてありがとう。今度ベリーを買って、色々作るつもりなの。また食べて」
「ん、約束な」
少年は慣れた手つきで食器を洗い、綺麗に布巾で拭いて片付けた。
「じゃあ、おやすみ、お姉さん」
「おやすみ、ちゃんと歯を磨いてね」
「当たり前。またな」
少年は、使え、と言ってランプを置いていってくれた。
私はそれを持って、ゆっくりとした足取りで自分のための部屋へ向かった。
なんて周りから慕われている人なんだろうか、と改めて思う。
大丈夫。
これが「白い結婚」なのは最初から分かっていた。
あえて、それでよかったじゃないかと思う。
私のことに気づいて、彼が私を思い出しても、知らぬふりをしておけばいいのだ。
いや、そもそも思い出しもしないかもしれないし、きっと杞憂だろう。
最初から最後まで身分を隠していたことが、何よりの答え。
森で出会った魔女でもない魔女に、本当のことなんて話す必要なんてないよね。
年にたった一度、会うだけの友達。
それをほんの数年、続けただけの友達。
歳の差もあって、男女の違いもあって、子供扱いしかされなかった。
いや、多少感謝はされたんだっけ。
そして、……最大のわがままを叶えてくれて、それを最後にした。
こんな月の夜だったっけ。
『忘れてください』
そう願ったのは私だ。
願うしかなかった。
「……ステラ、……私の、狼…」
至近距離で見つめた、月の光を吸って星のように輝いた青空色の瞳を、……私はまだ覚えていた。
リオノーラ・エルトフォード
夜食ドロボウの少年




