酩酊リオノーラと
アステライト視点
「リオノーラ? リオ?」
「…んにゅ……」
何度か呼びかけてみたがまともな返事はなく、リオノーラは俺の胸に頭を寄せて、かわいらしい笑顔を浮かべて眠ってしまった。
『うぐ、かわいぃ…じゃなくて!!』
「酒と説明しなかったのか? 今年の果実酒は一際出来がいいと聞いてたが」
「は、はい。なので是非にとお出ししたのですが、まさか」
ウォルフィンリードは酒の産地でもあり、豪快な領の気風に合わさって、酒を飲む者も酒豪も多い。もちろん皆がとは言わないが。
大人は飲めて当たり前という認識。
こんな細いグラス数杯で酩酊してしまうほど、リオノーラが酒に弱いとはさすがに誰も思うまい。
酒が飲めるかどうか最初に確認しなかった給仕の致命的なミスといえばミスなのだが。
「あんまり美味しそうに飲んでくださって、おかわりもお求めになったので……」
視界に入っていたリオノーラは確かに嬉々としてグラスを傾けていた。
給仕も気分よく注いだに違いない。
あんまりにも給仕が申し訳なさそうで、そしてしょんぼりしているので、怒る気にもなれなくてため息を吐いた。
「シアン、ニビアに水を持って部屋へ運ぶように言ってくれ」
「かしこまりました」
指示を飛ばすと同時に、リオノーラを抱き上げる。
腕の中で少し身動ぎして、擦りつけるように頭を胸に寄せてくる。
ぐわっと愛しさがこみ上げてしまうのだが、今はその気持ちを押し込めて、晩餐室を出ようとした。
「おわ?! え、なに? 遅くなりました、……父上」
廊下に出かけたところで、ちゃんと夕食用に身なりを整えたネログラヴィに出会った。
俺が誰かを抱いていることに驚き、そして何かしらの事態が起こっていることを理解し、俺に対する態度や呼び方を形式張ったものにするくらいには余裕を持って。
「ネログラヴィ、おかえり、お疲れ。こっちが夕食に誘っといて悪いんだが、すまんが一人で食べててくれ」
「……その人が、言ってたエルトフォード公爵令嬢? もう辺境伯夫人か。……俺の母親?」
ネログラヴィが赤い目を怪訝そうに細めて見上げてくる。
このとき気づいていなかったんだが、俺と息子の身長差がありすぎて、腕に抱いたリオノーラの顔や容姿はほとんどネログラヴィからは見えなかったそうだ。
おまけにリオノーラは俺の胸にしっかりと頭を寄せていたし、そんな眠れるリオノーラの頭がグラグラしないように俺もしっかりと彼女の頭と身体を抱き締めていたもんだから、よけいに。
「そのあたりの話も顔を合わせてしたかったんだが、すまん、彼女、知らずに酒をあおって寝ちまった……」
「寝た…? そんなにたくさん飲んだの? 変な人」
「そう言ってくれるな。彼女はもともと酒が苦手なんだ」
「じゃあなんで飲んだの?」
素直で率直で当たり前の子どもの子どもらしい質問に、答えてやりたいけれど答えにくい。
「あー、もー、すまんが全部あとで。悪いな、たくさん食えよ。腹減ってるだろ?」
「ペコペコ。またあとでね、アステライト」
入れ替わりにネログラヴィは晩餐室に入り、俺は慌ててやってきたニビアの姿を廊下の奥に見とめる。
歩き出すと、すぐに後ろに、盆の上に冷えた水を入れた水差しなど、酔い覚ましに良さそうなものを持ったニビアが着く。
リオノーラの部屋を目指して、足を進めた。
「どれだけお酒をお召しに?」
「三杯程度だそうだ」
「まぁ?!」
ニビアは信じられないと言わんばかりに声を上げた。
「それではウォルフィンリード辺境伯の妻は務まりませんよ?! どこに行ってもその地域特産の酒が出てきますのに」
「無理に飲ませる必要はないだろう? 昔から苦手だと言っていた。焼き菓子に染み込ませた酒も苦手で、唸りながら食べるほどだと」
「昔から、ですか?」
ニビアは会話の内容に疑問を持って、口にする。
リオノーラと話すことが一番だと思っているから、まだ誰にも俺たちのことを説明していない。
そのあたりの話もするべきだとは思っているのだが、家令長と筆頭メイド長には先に話してもいいかもしれない、と思い直す。
リオノーラを部屋に寝かせて、ニビアに彼女の世話を任せたら、とりあえずシアンを呼んで詳しい話を。
この二人にはすでに、王命の白い結婚だとしておきながら俺がリオノーラにどんな仕打ちをしてしまったか、バレているので。
ろくな説明もせず、当主として、戦士として、人として、蔑まれては嫌だと思える、大事な使用人なので。
自分の部屋を通り過ぎて、夫婦の寝室の前あたりに差し掛かる。
リオノーラの部屋までもう少しだ。
「んぅ…?」
腕の中でリオノーラが小さく呻く。
夜明けの空の色をした黒い瞳がぼんやりと開かれる。
「リオ? 起きたのか?」
声をかけると、ぼんやりとした眼差しが俺を捉えたのが分かった。
「起きていられるなら酔い覚ましに水を飲もう。……ほんとに酒に弱いんだな。ちゃんと水を飲んでおくだけで、絶対、明日の体調が変わるから」
笑いながら語りかけると、リオノーラはゆるく笑って、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
足を止めて、その手を受ける。
小さくて柔らかな指先が、俺の左の頬に触れた。
「どうした? リオノ……」
「ステラ……」
小さな声で、リオはその名を呼んだ。
何度望んでも呼んでくれない名を。
疲れ切った彼女の眠りの中にしか存在しない名を。
優しく微笑みながら。
「眼帯は、しないの? 目は、治ったの…?」
そう言って、そっと左目のあたりに触れるリオノーラの気遣いばかりが含まれた優しい指先。
かすかに残るまぶたの傷痕の、肌の凹凸をなぞっていく。
そう、これも話さなきゃいけないことの一つだ。
今さら、正直に告げても怒らせてしまうだけかもしれないと思って、ためらってしまうけれど。
いや、結婚式のときにも、リオはこの目のことを案じていて、そして良かったと言ってくれていたじゃないか。
「目は無事だ。隻眼を装っていたのは、領内をウロウロするときに俺の顔を知っている奴に出くわさないためであって」
小さな手を取って、優しく握りながら答える。
その答えを聞いて、ぽやんとしていたリオノーラの顔に、安堵したと、良かったと、嘘偽りのない感情で、ただひたすらに俺の身を案じていたからこそだと分かる笑みが広がった。
「良かった…。ステラの目が無事で、本当に良かった……」
美しい黒い瞳がじわりと滲む。
まだ酒が抜けていないせいなのかもしれない。そんなことを思ったけれど、けっしてそんな理由ではないことは分かっていた。
なにも言わずに、隠し通していた。
隻眼になったと勘違いさせたまま。
この目を手当てしてくれたのは、彼女なのに。
薬師として彼女ができうる最大限の治療してくれて、それでもその甲斐なく片目を失ったと思い込んでいた?
そのことに対して彼女がどれだけ心を痛めてくれていたか、気にもしないで。
会うたび、彼女が俺の隻眼を見て、どんな思いでいたか、想像もつかない。
「リオ……」
「もっとよく見せて。ステラの目の色、とても好き……」
「……え?」
もう片方の手でも、目元に触れる。
リオの指はどこまでも優しくて、心地良い。
彼女の口から明確に、俺の容姿や何やらについて好きだと言われたのは初めてじゃないだろうか?
もともと親愛や好意は感じ取っていた。
じゃないと、こちらからもこんなに気安く抱き上げたり、触れたりするものか。
至近距離で、俺の瞳の色が好きだと言って覗き込むリオのとろりとした眼差し。
改めて、なんだかむず痒い気分になってしまう。
「目の『色』だけ? 他にはないの?」
恥ずかしさを隠すために、つい調子に乗った軽口が出てしまった。
しまった。年上の威厳はどこにいったんだよ?
リオ相手に、ときどきだけど、つい、こんな子供じみた言葉や行動が出てしまう。
人をからかうのが好きな類の人、とリオは俺のことを見事見抜いて指摘していた。反論できないなと苦笑いを浮かべていると。
顎の先に、ほんのちょっとだけリオノーラの唇が触れた。
すぐに離れていってしまって、驚いて見開いた目でリオノーラを追う。
「全部好きだよ? 優しい狼さん。……えへへ、口づけをしてしまいました」
照れて照れて、唇を指先で押さえて隠しながら、リオノーラは恥ずかしげに笑う。
「……口づけなら、今までにも何度もしたろう?」
問い返してみると、リオノーラは少し首を傾げた。
「両目のあるステラにしたのは初めてですよ? ……あれ? 初めて…? 結婚式のときもした…? ええと、そのあとは、……しないのが当たり前のはずで…?」
疑問と混乱が混じった言葉。
しないのが当たり前、だと?
リオノーラはまだ酔っていて眠そうで、意識が夢と現実、公爵令嬢と森の魔女の間を行き来しているようだ。
そして王命の白い結婚のことを、しっかりと重く捉えている。
まさかステラに対する拒絶もそこから来ていたのか?
「ニビア、その盆を俺の部屋のほうへ運んでくれ」
「はっ?! はいっ!!」
俺たちのやり取りの一部始終を、驚きを隠せないまま無言で見ていたニビアが、急に声をかけたことで飛び上がって返事をした。
パタパタと足音まで立てて、俺の部屋へと酔い覚ましの水を乗せた盆を運び込んでいく。
「ニビア……?」
俺の身体の向こうへ視線をやろうと、リオノーラが身動きする。
それを抱き竦めるなど容易く、ぼんやりとしたリオノーラの顎を引き上げるのに、力なんてなにもいらなかった。
唇が触れ合う。
至近距離でお互いの目を見つめ合う。
「ステ、ラ…?」
「しない、わけがないだろう? リオ?」
「でも…? しないのが普通なんじゃ…?」
「リオは俺とこうするのは嫌いか?」
ぺろりとリオノーラの唇を舐めると、彼女は小さな口を開いた。
「嫌いじゃないよ……? ステラがいい。他の人なんて嫌」
他の人?!
いったい誰を指して?!
いや、そもそもフォーレスタがこの結婚を提案してきたのも、リオノーラに降りかかる数多の求婚や身の危険を避けるためであって、彼女が他の人、と言い示すのは当たり前か。
そんな危険を感じる中で、……俺ならいいと求めてくれるなんて。
「リオ、首に手を回して、口を開けて」
「ん…、ステラ……」
リオノーラの両腕が俺の首に回って、ゆっくりとしがみつく。
「いい子だ」
開かれた口に舌をねじ込んで、ほんのりと酒気を感じる口内を舐る。
部屋の中に盆を置いたニビアが廊下に出てきて、俺とリオノーラが口づけをしている姿を見て声も上げずに飛び上がった。
慌てて頭を下げ、大慌てで下がっていくニビア。
申し訳ないような、ありがたいような気持ちになりながら、俺はリオノーラを自室に抱き運んだ。
アステライト(ステラ)
リオノーラ(リオ)
シアン
ネログラヴィ
目の当たりに見ちゃったニビア
給仕




