リオノーラの過去 肖像画の前で知る真実
当主不在のウォルフィンリード城。
アステライト・ウォルフィンリード辺境伯は今日も最前線で魔物との戦いを繰り広げているそうだ。
彼に代わり、城の采配を任されている家令長シアンは、私を貴賓として招き入れてくれた。
王命を受けていることを正しく理解していると伝えてくれて、改めてハッとなった。
この結婚が王太子フォーレスタ殿下直接の指示、そして命令なのだから、王命となってしかるべき案件だということに。
ウォルフィンリード辺境伯様は、いくら王太子殿下の親友といえど、王命を振りかざされては私よりもこの結婚計画を断れなかったんじゃないだろうか?
なんて申しわけないことをしてしまったんだ、と青ざめる。
通された客間は、ここが戦城であることを忘れるほどに洗練された部屋だった。
豪奢だというわけではない。
歴史も感じさせるような立派な部屋で、自分たちがそれに値する者だと言われているようで誇らしささえ抱いた。
どこかで冷遇を受けるかもしれないだとか、戦いに明け暮れる粗野な領というイメージを拭い去れていなかった侍女ビオラは、考えを改めますと反省しながら、私を旅衣装から公爵令嬢に変身させた。
旅の疲れを癒すための時間をもらって、翌日。
家令長シアンと一緒に、王太子殿下から届いたウェディングドレスとタキシード、王命を綴った正式な巻物、結婚に必要な書類一式、それを持った見届け人、を確認した。
シアンはもう、王命を受けているこの事情を知ったうえでまだ領地防衛から帰れないウォルフィンリード辺境伯に、できるだけ早く帰ってくるようにと手紙を出してくれていた。ありがたい。
だが、彼の顔色がぱっとしないのは、魔物との戦の日々がそんなに思いどおりになるようなものでないことを物語っていた。
王太子殿下からの手紙には「本人不在でも式は行い、結婚が成立した事実だけは記載せよ」となかなかに強引な一筆があった。
実際、そんなことになるのかもしれない、と私も青ざめた。
「辺境伯様、忙しすぎない? お身体が心配になります。戦場でちゃんと休息は取れているのでしょうか?」
純粋な心配がこぼれていた。
そんな私の様子に、ウォルフィンリード城に来てから始終付いてくれている家令長シアンは目を丸くして、それからはじめて柔らかく笑ってくれた。
「噂に聞いておりました、エルトフォード公爵様の妹様。私はようやく安堵いたしました。エルトフォード前公爵様にもお目通りさせていただいたことのある私です。王命によるご結婚とはいえ、複雑な状況といえ、一時的にとはいえ、ウォルフィンリード辺境伯夫人として迎えられる方が貴女で良かった」
亡くなったシフィアフラ父様にも近いだろう年齢のシアン。
彼は恭しく私に頭を下げてくれた。
「主が忙しく戦場に赴くことになっているのは、軍の先頭を担う御旗が、今はアステライト様以外居られぬせいでもあります」
「……数年前にウォルフィンリード前辺境伯様がご逝去されて、弟様は隣国アキツシマ王国の摂政配となられたためですね」
「そのとおりでございます」
シアンは私を促して、ある場所へ向かって歩き出した。
それに素直についていく。
「今、私の兄がアキツシマ王国へ外交官代表として赴いております。役目の一つとして、宰相職の指導を行っているそうです。もしかすると、彼の国で兄とウォルフィンリード辺境伯様の弟様は仲良く言葉を交わしているかもしれませんね」
「それはなんとも素晴らしいことにございます」
にこやかにシアンは微笑み、ある部屋に通してくれた。
「こちらが、辺境伯家の歴代ご家族及び当主様の姿絵を納めた間にございます」
シアンがここへ連れてきてくれた意味をすぐに理解した。
いくらなんでも顔も知らない相手と結婚することは憐れと思ってのことだろう。
「こちらが弟君のソルアンドレ様でございます。ウォルフィンリードを発たれる前に描かれた物で、隣に居られる方は、アキツシマ王国摂政、第一王女様です」
美男美女の美しい姿絵だった。
ソーラス兄様が訪れている王国を治めている方。
壁にかかった絵をよくよく眺める。
『……あれ? この、弟様が身につけておられる鎧…?』
どこかで見た気がする。
見覚えがある気がする。
「こちらがウォルフィンリード前辺境伯、グラジエフ様でございます。歴代の中でも指折りのご当主で、エルトフォード前公爵様とはご懇意にさせていただいておられました」
続くシアンの説明に、隣の絵姿へと目を移す。
「はい、我が父からも、ウォルフィンリード前辺境伯様への賛辞はたくさん聞きました。ぜひ一目お会いしたかったけれど、叶わず。惜しい限りです」
ぐすり、とシアンが静かに涙を拭った音がした。
私は、父の話の中で何度も絶賛されていた立派な戦士の姿を眺め見る。
『やっぱり、……この鎧…、……売った、壊れた、鎧を、私は、運んで……』
血まみれの狼から壊れた鎧を脱がせ、手当てをした。
使えるか使えないか分からないから、洗って、干して綺麗にして。
駄目だった部分は村の鍛冶屋に売った。
大丈夫だった箇所は、彼が、身につけて去った。
「こちらが現当主、アステライト様でございます」
恐る恐る見上げた、姿絵。
嘘だ、と心の中で呟いた声がやけに大きく頭の中で反響した。
……ステラがいる。
まさか、と笑い出したくなる気持ちが込み上げたことに驚いた。
見覚えのある鎧を身にまとった、戦士の絵姿。
立派な体躯、金色の髪、絵にしてはあまりにもよく彼を描き出しているじゃないかと褒め讃えたくなるような、美しい青空色の瞳。
両目がある。
隻眼じゃない。
ということは、私と出会う前に描かれた絵ということ?
すでに自分の頭の中が混乱し始めていた。
そっと手を掲げ、絵姿の顔、左目を手で覆い隠してみる。
いつだって思い描く、思い出す、ステラの姿がそこにあった。
私がアステライト・ウォルフィンリード辺境伯の絵姿を見て固まってしまったことに、シアンは疑問を覚えたようではあった。
何か声をかけようとしてくれた様子だったが、この絵姿の間に入る入り口から執事がシアンのことを呼んだ。
「別用が入ったようです。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」
気遣ってくれるシアンに言葉を返せたかも分からなかった。
パタン、と背後でドアが閉まる音が聞こえたと同時に私は、膝から崩れるようにその場に座り込んだ。
……ええっと、ステラが、アステライト・ウォルフィンリード辺境伯様?
アステライト。
ア「ステラ」イト。
そういう愛称?
そんなこと、思いもしなかった。
貴族であっても、平気で境界の森を一人で渡る。それはひとえに、境界の森の魔物と戦い慣れているから?
あの大怪我は、間違いなく魔物との激戦の痕だった。
ウォルフィンリード辺境伯様だから。
なんだか容易に納得してしまえそうなところが、逆に癪に障った。
誰であっても怪我を負っていい理由にはならないのに、軍侯爵である狼辺境伯、と聞くだけで、怪我を負っても当たり前、血にまみれても当たり前という偏見が自分にもあったことに腹が立った。
ステラは、貴族であることを森の魔女であった私に言わなかった。
私に身分などなかったからだと想像がつく。
貴族だと名乗れば、あの森の家での関係はあっという間に崩壊していたことなど、昔も何度も想像したことだから。
ステラが冒険者だと勘違いしたのは、そうだろうと勝手に考えた私の単なる思い込みだ。
外の世界を知らなさ過ぎた、子どもゆえの思い込み。
それにずっとこだわっていたのだから、そりゃ、見つからないよね、冒険者のステラは。
じっと、絵姿のウォルフィンリード辺境伯を見つめる。
両目がある。
それだけで安堵するような、そして、落胆するような気持ちが込み上げた。
隻眼であるかないかなんて、眼帯をはめてしまえば分からない。
私はステラの左目が傷ついていたのを見た。
だから、眼帯一つでその目が隻眼になってしまったのだと、これまた思い込んだ。
心配してたのに、本当のことを話してくれる気はなかったんだ。
年月を重ねても真実を教えるに値しない相手が私で、本当の名前を教える気にもなれない相手が私で、心配で手のかかる、森に住んでいる魔女の子どもで。
そこに抱いた情を盾に、抱いてほしいと懇願して叶えてくれるほどに優しくて。
「ああ、どうしよう……」
私は、ずっとずっと、一途に想い人を想って探しているウォルフィンリード辺境伯に、酷いわがままを言って、一夜を共にしてもらうなんて強欲なことをしてしまった。
ステラは優しい人だから、……いいえ、ウォルフィンリード辺境伯は、想い人がいながら、その方に誤解を生むかもしれない恐れすらあるのに、困っているエルトフォード公爵令嬢と白い結婚をしてでも庇護を与えてやろうなんて思える、優しい人で。
「ああ、どうしよう…っ」
絵姿を見つめたまま、動けない。
胸の中は後悔でいっぱいなのに、私は確かに思ってしまったんだ。
名ばかりだといえど、ステラの妻になれると。
それを喜ぶ気持ちが、確かにこの胸の奥にある。
同時に、浅ましい思考が脳内を巡る。
忘れてほしいと願ったのは私なのに、私のことを覚えてくれているだろうかと期待する。
身体の繋がりをもう一度と望みたいけれど、そこまで欲深くなれない。ただ、ステラの熱をもう一度感じるために、その手に触れていいだろうかと思考する。
ただのリオに向けてくれていたみたいに、私のことを優しい眼差しで見てほしい。
もう一度、……名前を呼んでほしい。
「だめ……、だめだ……、だめだ…っ」
涙が落ちた。
私は知っている。
知っていて、ここに来たんだ。
アステライト・ウォルフィンリード辺境伯には、想い人がいる。
だからこその白い結婚。
ソーラス兄様が帰ってくるまでだけの、名ばかりの夫婦関係。
その間にウォルフィンリード辺境伯の想い人が見つかったら、私は全身全霊で生み出されるであろう誤解を解きに走る覚悟だ。
これは窮地に陥りかけた公爵令嬢を助けるための王命の結婚で、アステライト様の想いはあなたに向いているんだと叫ばなきゃ。
そして、祝わなきゃ。
ウォルフィンリード辺境伯と、長年の想い人との成就を。
そう決めていたんだ。
そう、……決めていたんだ。
『諦めろ、諦めろ、諦めろ……』
呪文のように繰り返して、膝を抱えて顔を伏せた。
涙が溢れて、ドレスを濡らす。
三日後に迫る、エルトフォード公爵令嬢とウォルフィンリード辺境伯の結婚式。
ステラに会える。
いや、ステラはもういない。
そもそも、……最初からいなかった。
私の恋は、とうに終わっていたのだ。
諦めろ。
魔女のリオはもう存在しなくて、ここにいるのはソーラス兄様がいなくてはなにも解決できない、無力で情けないリオノーラ・エルトフォード公爵令嬢だ。
庇護を受けなければ迷惑をかけるだけの存在で、王命まで使わせて、結婚を強いるような憐れな女だ。
「いっそ、消えてしまいたい……」
そうすればこれ以上、兄様に迷惑はかけないし、ステラにこんな私を見られることもない。
逃げ出したい。
でもそんなこと、できるわけがない。
逃げ出しても、もっともっと大きな迷惑を振りまくだけだ。
諦めろ。
諦める。
……少し、時間は掛かるだろうけれど。
『一つだけ、ステラに会ったら、確かめたいな……』
この絵は本当に私に会う前の姿を描いたものなの?
それとも、眼帯はただつけていただけで、隻眼ではなかったの?
その目が無事かどうか、見て確かめたとき私は憎まれ口を叩くんだろうか?
……それとも?
答えは、ほんの数日内には知れる。
涙を拭って立ち上がると、絵画の間をあとにした。
魔女でもなく、子供でもなくなって、公爵令嬢というものになってしまった私を見たとき、ステラはなんていうだろうか。
それだけは想像もつかない、恐怖のような気持ちを抱いて、私は弱々しく笑うことしかできなかった。
リオノーラ
家令長シアン




