リオノーラの過去 もうひとりの兄からの「白い結婚」の提案
私の現状は、すぐにフォーレスタ殿下と国王陛下の耳に入ったようだった。
エルトフォード城に潜んでいる王太子殿下の影がその様子を伝えたということを知るのは、もっとあとのことだけど。
お忍びでフォーレスタ殿下がエルトフォード城にやってきた。
頭からすっぽりかぶった旅用の外套。
その下に着込んだのは、まるで旅慣れた歴戦の冒険者のような身なり。
ただし、それでも隠しきれない気品というか高貴さがにじみ出ており、根っからの冒険者なんかが彼を見たらすぐに見破られてしまうだろう。
そんなフォーレスタ殿下の姿に、なんだかステラの姿が重なった気がしたのは一瞬だった。
殿下が完全に身分を隠した状態での訪問は珍しかったが、その意味はすぐに知らされることになった。
「今、完全にナノシィラ宰相の手の内にハマっている状態だ」
苦々しい顔をして、応接室に向かい合って座ったフォーレスタ殿下が呻く。
「彼はただ一つのことを狙っているわけではない。そして、それが実現しようと失敗に終わろうとどちらでもいいという余裕を持って遊んでいるのだ」
思ってもいなかった言葉に、思わず問い返した。
「そんな…、一体、どういうことですか?」
フォーレスタ殿下は深刻な面持ちでこちらへ向き直り、語りだした。
「まず、ナノシィラ宰相は」
リオノーラに求婚しまくっている貴族たちの動向を冷静に観察している。それは、フォーレスタ殿下が護衛の影に指示していることと一致している。
当主のソーラス兄様がいない間に公爵家に接触し、私を取り込もうとしてくる輩など、ろくな考えを持っているわけがない。
だが、彼らの行動を止めはしない。
もちろん、焚き付けたり煽ったりすることもしないが。
ナノシィラ宰相の思考は、まるで彩りの足りなかった貴族社会に娯楽を提供したと言わんばかりだ。
「他の貴族たちがリオノーラに熱狂して嫁取りに躍起になることで、俺を焦らせる気満々だ。あわよくばリオノーラと婚約すればいいとか思ってやがる!!」
「え?! でも、私と殿下では血が近すぎると兄様が」
「分かっている。だから宰相は焚き付けたいだけなんだ。だが、たとえば事態収集のために私とリオノーラが実際婚約したとする。それを良しとするか、非とするか」
まず良しとした場合。
王太子と公爵令嬢が婚約する。
家格、身分、年齢差は男側が七歳上と少し差があるが申し分ない。
血の近さは懸念したい問題だろう。だが、早く妃を迎えればいいと周りからそろそろ重圧をかけられるフォーレスタだ。一人目の妃として、エルトフォード公爵代理を任され、夫人としての能力も申し分ないリオノーラを迎えることはたいした問題ではない。
子ができにくくあったなら、それこそ第二夫人や愛妾を迎えればいいとまた周りが言い出すだろう。
リオノーラは正妃として、王になったフォーレスタの横で堂々と国政に関わればいいのだ。
宰相であるナノシィラの、国の未来を思う憂いが一つ解消される。
「でもこうした場合、間違いなく私はソーラス殿に見限られる!!」
フォーレスタ殿下は頭を抱えて叫んだ。
非とした場合。
まずは、血の近さを持って糾弾してくるだろう。そして、そこまでエルトフォード公爵家を贔屓し、国の貴族社会を傾ける気なのかと詰めてくるはずだ。
となれば、エルトフォード公爵が外交を終えて帰ってきたあと、国政の中心、重要な地位に就くことは懸念されるだろう。
ナノシィラが、宰相の地位を手放したくないがために次期宰相候補のソーラスを陥れようと思っているなら、一番考えつく理由であり、思考だ。
「だが、ナノシィラ宰相はとくにソーラス殿を嫌っているわけではない。どちらかというと……」
大いに気に入っている様子ではある。
「そして今はその矛先が」
リオノーラにも向いている。
「ここから先は、私個人の想像だ」
そう言って、フォーレスタは想像の説明を続けた。
このエルトフォード公爵令嬢への熱狂的な求婚騒動。それの収拾がつかなくなればなるだけ、自らの振る舞いを制御しきれない貴族の本性が見れる。
そしてエルトフォード公爵令嬢を守りきれるかどうかの王家、国王陛下と私個人の力量も見れる。
当主ソーラスの不在は、やはりエルトフォード公爵家には大きな痛手だ。リオノーラが自身で危機を回避できるかどうかも見られている。
だが、エルトフォード公爵令嬢が悪漢の手に落ちようものなら、ナノシィラは嬉々として救いの手を差し伸べてくるだろう。
誘拐などを通して、リオノーラが悪漢や意図しない貴族たちの手によって不名誉な傷を負ってしまった場合、令嬢としての尊厳を傷つけられてしまった場合。
そんなキズモノになってしまったリオノーラでも、ナノシィラは喜んで受け入れるだろう。
自分の第二夫人に。もしくは、息子の妻に。
不当な扱いはしないだろう。むしろ、手厚い歓待を持って侯爵家に夫人として確固たる地位を与え迎え入れるはずだ。
リオノーラ自身は、何不自由ない暮らしが約束されるはずだ。なにせ、宰相職を持つ侯爵家の夫人だ。
だが。
「あの、亡きシフィアフラ殿に狂気じみた盲信を抱き、敬愛を続けるナノシィラだ。リオノーラを手に入れ、城に囲い、何をするか想像がつくようなつかないような、その先を考えるのも恐ろしい。そして、リオノーラを理由に、ソーラス殿にも彼の手は伸びるだろう。……どんなことになるか、本気で想像がつかん。国政どうこうというより、ただただ兄妹と思っている者たちの危機だ。手をこまねいてこの状況を見ているわけにはいかない。どうにか打破しなければ」
頭を抱えて唸って、フォーレスタは真剣に考え出す。
一緒になって知恵を絞ろうと思うのだが、聞かせてくれたフォーレスタ殿下の想像の恐ろしさに、ぶるりと震えた。
そんな私の様子を見て、フォーレスタ殿下が歯を噛み締めたのが分かった。
「ソーラス殿に貴女を必ず守ると誓って送り出した。絶対にその言葉を嘘にはしない」
強く拳を握り、告げてくれるフォーレスタの言葉に弱々しく微笑み返しながら、私は王太子殿下のためにお茶を淹れ始める。
自分一人では何も解決できない。
なんて無力なんだろう、と落ち込む気持ちを隠せないまま。
そんな私を、フォーレスタ殿下はじっと見ていた。
茶を淹れる手元に注がれる視線。
いい匂いの湯気が立つ温かなお茶と、フォーレスタ殿下のために焼いたクッキー。
ふと、フォーレスタ殿下は何かに気づいて目を見開き、口に手を当て考え込みはじめた。
「いやでも……、もちろんあいつの気持ちも知っているが……、でもだからこそ……。物理的には絶対的安全……。周りの反応を気にするような奴じゃない……。それに想いは不動……。ソーラス殿が帰国するまで一年と見ても……、いける? いや、いけるだろ?!」
ガバッと、フォーレスタ殿下は勢いよく顔を上げた。
「リオノーラ、やはり結婚しないか?!」
「ひゃあ?! 殿下とですか?! 無理です!!」
「違う違う!! いや、そこまできっぱりと私と結婚できないと言われるとそれはそれで寂しいものがあるのだが……」
しょんぼりと口を尖らせたフォーレスタ殿下の表情にハッとなる。
「申し訳ございません。でも、殿下のことは二人目の兄のようだと思っております。……不敬でした、申し訳ございません」
「いいんだ、私もリオノーラのことは妹のようだと思っている。貴女のその気持ちが嬉しい」
「殿下……」
見つめ合って、穏やかに笑い合った。
なんだかむず痒い空気に照れてしまう。
それはフォーレスタ殿下も同じだったようで、慌てて身を正して、慌てて照れを隠して、咳払いをしてにこやかな笑みで口を開いた。
「相手は、俺の親友だ。心底信用している。あいつ以上にいい男を、ソーラス殿を除いて俺は知らんし、この国で親友を超える強いやつは今はいない。人間はできているし、貴族だが貴族とも言い難い、ほんとに良い性格をしている。それにあいつの居城は戦城だ、難攻不落のな」
フォーレスタ殿下の親友?
それって。
「ソーラス殿だって気に入って、一目も二目も置いているのを知っている。貴女を預けて、間違いが起こるなんて思いもしない。『白い結婚』をしよう、リオノーラ。俺の親友、アステライト・ウォルフィンリードと」
フォーレスタ殿下の提案に、私はぽかんとするばかりだった。
リオノーラ
フォーレスタ




