リオノーラの過去 遠退く平穏
宰相ナノシィラが正しき手順と礼節をと言い諌めたからか、あれから求婚の手紙だけでなく、使者まで送られてくる始末。
あちこちの領の当主たちの使者をいくらなんでも素気なく冷徹に追い返すことができずに、家令長ゼリゼと相談して、当主代行が対応に出なくてもいい程度の饗しをして帰すのだが、それもまた勝手に私の評判を上げてしまう原因となった。
エルトフォード公爵家の在りようは、国内では王家に次いで品格がある。
それを、遠路はるばる、当主のわがままに使者とされて遣わされた使用人を冷遇するのではなく、その仕事ぶりを労り、饗し、それから丁寧な断りの手紙を持たせてくれる。
使用人同士で語り合い、なんてできたお嬢様だと一言口にすると、エルトフォード公爵領の使用人からはそれはそれは誇らしげな、公爵兄妹の素晴らしさが語られる。
誇れる主に仕える使用人の話を聞き、他領の使用人たちは羨ましいと胸に抱きながら己の主のための仕事を終え、自領に帰り、仲間の使用人たちにどんな待遇を受けたかを話す。
使者が帰り着いた者の城の中で、エルトフォード公爵令嬢は素晴らしい方だと話される。
断りの手紙を受け取ったはずなのに、使用人たちの口からも語られるエルトフォード公爵令嬢の話に諦めがつけられずにまた求婚や催しへの誘いの手紙を書く、または新たな使者を遣わせる。
そして、仲の良い他領の当主が、エルトフォード公爵令嬢に使者がそのような対応を受けたと話を聞いて興味を持った他領の身分ある者が、是非とも一目会ってお話の機会をと誘いの手紙を寄越してくる。
日に日に増える手紙の山。
日に日に使者の訪れが増え、私の噂というものが国のあちこちで囁かれるようになって。
噂のご令嬢を一目見たいとエルトフォード公爵領に訪れる者が増え。
それに伴ってならず者が増え。
私は城下へ、領のあちこちへ視察に出るだとか、そんなことすら控えたほうがいいと自分でも思えるほど、城から一歩も出ることができなくなった。
代わりに、城下を偵察に行ってくれた騎士やメイドたちから話を聞いて公務は進めているけれど、同時に聞いてきて教えてくれた、背びれ尾びれ腹びれのついた私の噂とやらには辟易した。
絶世の美女だとか、多くの貴族の男性を一目で虜にしただとか、ソーラス兄様を凌ぐ為政者だとか、どこに嫁に出しても恥じない貴族夫人になれる方だとか、やっぱり王太子妃になるんじゃないかとか。
そんな噂になんだか誇らしげなメイドたちを横目に、私は肩を落とすばかり。
騎士たちが心配したのは、治安の方だった。
今までは、メイドたちが気ままに城下へ下りて買い物をしていてもとくに困ることなどなかったのだが、最近は城のメイドだと気づかれてしまったら、ならず者に絡まれるようになったそうだ。
彼らは私の情報を欲しがり、メイドたちがそれに答えようとしないことが分かると、力で訴えようと、脅して言うことを聞かせようとする態度を取った。
それが一度や二度で済むものではなかった。
メイドたちが城下へ買い物に出たいときは、護衛に騎士を必ずつけていくように指示をした。
そんなふうに少しずつ、穏やかだった私の生活は、周りを大きく巻き込んで脅かされていった。
極めつけは、ある夜。
城に賊が入った。
たまたま、夜に咲く薬草を見に、庭に出た私に彼らは襲いかかってきた。
賊の目的は、私を攫うことだった。
エルトフォード城の警備を甘く見ていたわけではない様子だったが、それでも凶行に及んだのは、万が一にでも誘拐が成功したら、それだけの見返りがあるということだろう。
私を守っていち早く動いてくれたのは、影だった。
そのときはじめて王太子殿下が私につけてくれている護衛が、王家直属、それもフォーレスタ殿下に絶対の忠誠を誓う影たちだということを知った。
初動は遅れはしたものの、私を守る警護の護衛騎士とメイド、城の警備が一丸となって、賊たちは拘束された。
賊の背後を洗うための後始末は、影たちがやってくれた。
皆の前では気丈に振る舞わなければいけないと気を張っていたが、私はただ怯えていた。
攫われてしまったらどうなるの?
兄様に多大な迷惑がかかる。
そして、私を守れなかったと城の者たちは全員が責を負うだろう。
フォーレスタ殿下が私を守ると約束してくれたことも、達成されないことになる。
そうなれば、兄様の怒りは免れない。国の未来が左右される。
私はどうなる?
どこかへ閉じ込められ、どこかの貴族に囲われる?
それとも、キズモノにされて、その上で結婚を強要され、どこかの貴族夫人として子を産んで暮らす?
もっと酷ければ、攫われた先で奴隷のように扱われ、蹂躙される日々が始まる?
一人、自室のベッドの中で震えていた。
嗚咽が一言でも溢れないように、両手で口を押さえて押さえて、流れてくる涙を枕に吸い込ませた。
『怖いよ、兄様、帰ってきて……』
恐怖を吐露する相手はいない。
森の家に帰りたかった。
『……でも、家はきっともう、朽ちて潰れてしまった。私に帰る場所も、逃げる場所もない』
とうに、このエルトフォード城こそが私の家になってしまっていた。
ぎゅっと、自分で自分の身体を抱きしめる。
この身体を抱いてくれた感覚を探して、きつく目を閉じて、まぶたの裏に浮かぶ、青い隻眼の思い出に縋る。
『……怖いよ、ステラ、ステラ……、助けて…っ』
願っても届かない。
そして叶わない。
分かっているけれど、……その名を呼ばずにはいられなかった。
リオノーラ
エルトフォード城の皆々




