リオノーラの過去 ソーラス出立・フォーレスタの幕間
リオノーラ視点
フォーレスタ視点
翌日、海を挟んだ隣国アキツシマ王国への外交団は、盛大な見送りの中、出立した。
私はそれを見送り、エルトフォード公爵領を通ってウォルフィンリード辺境伯領に向かうフォーレスタ殿下と共に王都を出発した。
フォーレスタ殿下は兄様との約束のために、私に護衛もつけるそうだ。
だがそれがどんなものかは、私には知らされていない。兄様や家令長ゼリゼは知っているらしい。
王都から、エルトフォード城には馬車で約二日以内の移動。
エルトフォード城から、ウォルフィンリード城までも約二日ほどの移動。
ちなみに、ウォルフィンリード城から王都までは馬車で四日の移動。(ウォルフィンリード辺境伯はだいたい馬に乗っての移動をされるため、約二日内の移動となるらしい)
エルトフォード城に帰り着き、フォーレスタ殿下とそのお供たちが休憩を取り、私の護衛の手筈を家令長ゼリゼと話し合ったあと、王太子殿下一行はウォルフィンリード辺境伯領を目指して発っていった。
どれだけの期間でソーラス兄様が帰ってくるかは、正直分からない。
不安を面に出さないようにと心を強く持ちながら、私のエルトフォード公爵家当主代行の日々は始まった。
フォーレスタの幕間
王都からエルトフォード城にリオノーラ嬢を送り届ける形を取り、夕方に着。
ソーラス殿の右腕である、長年見知った公爵家家令長にリオノーラの護衛として、王太子直属の影をつける最後の詰めを話し合い、城に一泊。
翌朝、リオノーラと、彼女に真摯に仕えるエルトフォード公爵家の使用人たちに見送られて、エルトフォード城を発ち、ウォルフィンリード領へと出発した。
膝に抱えて持った、リオノーラがくれたささやかなお土産の焼きたてのクッキーがまだ温かく、馬車の中を優しく甘い香りで包んだ。
道すがら、通り抜けるエルトフォード公爵領内の様子を窓から眺める。
街中は良く発展し、農業地帯になれば良く豊か。
道は整備され、快適。
すれ違う人々の顔に、切羽詰まるような悲壮さなんて一つも見えなかった。エルトフォード公爵領に暮らす人々は、心豊かに、穏やかに暮らしている。
改めて、ソーラス・エルトフォードという男の領主としての力量を見せつけられる。
自分が王になるとき、側にいてくれたらこれほどまでに心強い人はいないだろう。
そう思える、見習いたくなる人なのだ。
これから会いに行く友人も、側にいてくれたらどれほど私の心は平穏で在るかと思える相手だ。
だが、置かれた立場があり、そうならなかった。
親友、アステライト・ウォルフィンリードが弟のために、ひいては国のために、辺境伯の地位を継ぐと決めたことに反対する気持ちは微塵もない。
でもやっぱり寂しくはある。
その気持ちを抱くくらいのワガママは、次期国王としても、ただの人としてもあってもおかしくないだろうと開き直っていた。
数少ない、自身を偽らずにいられる友のことを好いていて、何が悪い。
ついでにいうならその友が、私の弱点となることなんてありえない。
今現在、間違いなく国内最強の称号をほしいままにするアステライト。
善悪を理解し、正しく見極めることができ、義理人情を知り、柔軟性も高く、人の上に立つことの苦しさも、人の下にあることの辛さも知っている。
力を持つことの意味も、力がないことの意味も分かっている。
他者の命を尊び、自らの命も尊ぶ。
そのうえで、守るために戦う選択ができる男。
そして、命を奪う決断を下せる男。
万人に誇れる我が友。
次期国王の弱みになどならない。
そんな謀略など、勝手に自ら跳ね除ける男だ。
そんなアステライトの、……隠しようもないほど憔悴した有り様と、憂愁を拭いきれていない面持ちを見たのは、初めてだった。
エルトフォード城からウォルフィンリード辺境伯領に入ってすぐの街道まで、アステライト率いる一軍が出迎えてくれたのは、珍しいことだった。
王都を出る前に珍しく先触れの手紙をウォルフィンリード辺境伯宛にと出していたのだから、当然と言えば当然の対応か。
いつもは先触れも出さずに、忙しく軍行をしている友のもとへこちらから駆けつけるのがほとんどだから。
日々魔物との戦いの最前線にいるアステライトに先触れを出そうものなら、王家の人間の来訪という面倒事に対して、辺境伯領主である彼はそれに従わざるを得なくなる。
下手をすれば、戦線を放棄して対応に当たらなければいけなくなる。
また、王家の来訪よりも戦線を優先したら、それはそれで問題になってしまう。
だからこそ、身勝手に振る舞い、先触れも出さない無礼を承知で、友の戦場に顔を出すのだ。
もちろん、そのときは私自身も何時何時戦いに巻き込まれる覚悟を持って。なんなら率先して戦に加わり、アステライトの背を守る心づもりで。
そして、兵たちに喜ばれるお土産や物資も忘れずに。
だが、今回はエルトフォード城へ寄ってからウォルフィンリード城へという完全なる視察の形を取ったための、先触れあっての来訪だったのだが、辺境伯として正しく王家の者を迎えた友の、……その様はなんだ?!
「おいおい…、なんだ、狼辺境伯? 一週間くらいまともに獲物が捕れなくて、飲まず食わず、不眠不休で駆けずり回ってもそんなナリにはならんだろう? どうした? 何があった?」
アステライトの方はちゃんと形式を重視した歓迎の言葉を、率いた一軍と私の騎士や部下の前で披露してくれたというのに、それに返せた言葉は、そんなこと構っていられるかといわんばかりの、たっぷりと皮肉を含ませた心配の言葉だった。
「……、……そんなに酷いか?」
それに対して返ってきた、アステライトの疑問の声。
疲れ果てたかのような、覇気のない声音にゾッとする。
「お前、その状態で軍、動かしてたのか?」
「ああ、そのあたりは別に何も支障はない」
「そのナリで、戦に出てたのか?」
「ああ、動いているほうが気が紛れてな」
一体何に対して、気が紛れる、というのか。
「おい、狼辺境伯、私と馬車に乗れ。誰か、彼の馬を引いていってくれ」
「なんだ? 今日の呼び名はそれか?」
ほんの微かに、アステライトの顔に笑みが浮かんだ。
力のない、何もかもがどうでもいいと思っているような笑い方に、舌打ちを返す。
「ああそうだよ、腑抜け。ちゃんと名前から愛称を考えやろうって気も無くなっちまう!! 早く乗れ!!」
追い立てて、アステライトを馬車に乗せる。
彼の副官が一人やってきて、馬を引いていってくれる。
一瞬だけ目が合ったが、彼らも心配している様子がよく分かった。
アステライトと向かい合って座ると、馬車が動き出す。
ウォルフィンリード城までは、あと約半日の馬車での距離だ。
話す時間はたっぷりある。
「なにがあった? お前がそこまでボロボロになっているのを見るのは正直、初めてだぞ? 母君がお亡くなりになられた頃も酷かったが、……ここまでじゃない」
尋ねると、アステライトは静かに目を伏せた。
隠しきれていない悄然とした面持ちのまま。
「気にするな、これでも少し、マシになってきているほうなんだ。もう少ししたら、……落ち着くから、放っておいてくれ」
なんてことを言う。
「ハイそうですかって放っておくと思うのか、馬鹿。洗いざらい私に言ってみろ。何も解決しないとか、そういうのは気にしなくていいんだ。言うだけで楽になることはある。どうせお前のことだ、誰にも、なんにも言えずに一人で抱えてるんだろう?」
昔からそうだった。
アステライトは、どんな悩みも問題も責務も、一人で抱えて、一人で悩んで、ボロボロになるまで悩んで、そしてゆっくりと立ち向かって、正しく解決していく。
それは素晴らしいことだけれど、そのボロボロになっている姿を知っている分、こちらとしてはいたたまれない。
どうしてこいつが一人で悩まなければいけない。
どうしてこんなにもボロボロになるまで一人で責を負わなければいけない。
親友であると公言していても、立場上、四六時中一緒に、辛いときはいつだって側に、なんて時間が取れない自分が、そんなときのアステライトの助けになってやれるタイミングはとても少ない。
声をかけられたときにはもう、アステライトが一人で解決してしまったあとだったりすることが多かった。
そして、ボロボロのままで戦い抜いた友がまた、そのボロボロが回復しきらないままで戦に出るのを見送るんだ。
「なぁ? 言うだけ言ってみろ?」
頼って欲しいとか、解決のために協力してやるとか、そんなことは思っていない。
そしてアステライトの方も、そんなことを望んでいないのが分かる。
走る馬車の振動、軍街道の整地された道を走る音。
馬車の中に落ちた沈黙の間に、その音はよく聞こえた。
「……、……ずっと、探していた、人に、会えたんだ」
うつむいたアステライトの青空色の瞳が、暗く影って滲んだ。
「お前の想い人?! 生きてたか!! 良かったじゃないか!!」
何年も前から聞いていた、生死不明の、行方知れずのアステライトの想い人。
名前も、詳しい容姿も聞かせてはくれない。
わざとというよりか、恋色沙汰や女性を褒めるとかそういったことに対して、アステライトがあまりにも不器用すぎるせいだった。
「会えた、…んだろ? 生きてたんだろ? 良かった、……じゃないのか?」
「生きてた、……ああ、うん…、生きてて、良かった。……そうか、それだけを、思えば良かったのか」
ははっと乾いた弱々しい笑い声を上げて、アステライトは軽くその金色の前髪をかき上げた。
まるで情けなく、自分自身を嘲笑うかのような笑顔で。
「話は、しなかったのか? その人はどうしたんだ? 今どこに?」
「……分からない」
「は?」
「会えた、けれど、……忘れてくれと、言われた」
「え?」
ようやく、アステライトは顔を上げて、私をまっすぐに見た。
今までに見たことのないほどの悲しみに暮れた、悲痛な顔で。
「なぁ、教えてくれ。自分のことを忘れろと言いながら、抱いてくれと泣いて望んでくれる女性の気持ちを、愛以外でなんと取ればいい? 愛されていると思った俺の考えは間違っているのか? ただの自惚れか?!」
「抱い…っ?! そこまでして、そこまでされて、どうして今お前はそんな状態なんだ?! 想い人は今どこに?!」
「知らん!! 俺が知りたい!!」
頭を抱えて叫んだアステライトが奥歯を噛み締めた音がこちらの耳にまで聞こえた。
「伏せていた正体も、身分も、全部彼女に話して、妻にと乞おうととっくに決めていた!! だけど、会えた嬉しさと言われたことに混乱して、愛されているんだと思って舞い上がって、彼女を求めて、……朝になって目を覚ましたら話をするはずだったのに、……、……俺が目を覚ました黎明には、もう彼女はいなかった……」
ぐっと両手で顔を覆って再びうなだれたアステライトの姿を、見開いたままの目で見ていた。
悲痛な沈黙が、馬車の中に落ちた。
「……彼女にとっては、最後の逢瀬だったのかもしれない。だからお前に、……忘れろと」
ボソリと呟く。
アステライトが好きになった相手だ。
その人柄が、悪意に傾いたものであるとは到底思えなかった。
「彼女にはなにか理由があったんだろう、お前に話せないほどの理由が。……愛されているから、忘れてくれと望まれたんだ、きっと」
ただ素直に思ったことを、アステライトに伝えた。
その考えが、間違っているとも思えなかったから。
ぐっと、アステライトが喉を詰めた音がした。
涙を堪えて、また奥歯がばりりと鳴る。
「なぁ、アステライト、……このまま彼女の言葉に従う気なのか?」
「……、……どう、いう、ことだ?」
少し間を開けて、アステライトが引きつった声で聞き返してきた。
だから、しょぼくれた金髪の狼の上に言葉を降らせる。
「彼女の言葉のとおり、このまま忘れて、諦めるつもりなのか?」
また、しばらく間を開けて、アステライトはゆっくりと目を覆っていた大きな手を下ろし、顔を上げた。
押さえつけていたせいか、涙を流していたせいなのか、赤くなった目でも狼辺境伯の名に違わぬ、鋭い眼光で。
「忘れない。諦めるつもりもない。このままで済ます気もない。必ず探し出して見つけ出して……」
「おいおい、落ち着け。目が据わっとる」
続く言葉に「殺す」と殺意が乗っていても不思議じゃないほどの熱烈な執心に、思わず親友を諌める。
「なんっだよ!! ちゃんと答えが出てるじゃないか。心配して損した」
ため息のような、安堵のような息を吐き出しながら、座席の背にもたれた。
「あ、……え?」
途端に驚いた顔をするアステライトを見て、笑ってしまった。
「結局、お前は想い人を諦めないんだろ? じゃあ、この別れは最後にはならない。お前が諦めない限りは」
「……ああ」
低く、納得と不退転の意志を含んだ返答にもっと口元を引く。
「そしたら、その逢瀬は彼女が生きていたと分かった大きな前進だろう? 喜べよ?! そして、それだけ深く思われて愛されていたっていう確信だって得られたんだろ? ほら、やっぱ喜べよ!!」
「フォーレスタ…、だが……」
なにか反論したそうなアステライトを放って、ちょっと宙を見ながら腕を組んで考える。
「お前が彼女と会ったのはどこだっけ? 境界の森の、ウォルフィンリード領内? エルトフォード領内? 乗り物を使ったとしても女の足で行ける範囲は狭く、数年経ってもその場所にこだわり、また、帰ってこれる範囲……、やっぱり住んでいる領は絞れるぞ?」
「…っ?! フォーレスタ!!」
「お前一人で探そうとするな、時間が余計にかかる。なんで私を使わない? 友のために国家権力の行使くらいいくらでもしてやるぞ?」
にやりと笑って見せると、思ってもいないほどアステライトの表情が厳しくなった。
「やめろ、そんなことしてたまるか。俺はお前が王太子だから付き合っているわけじゃない」
あまりにも真剣な友の言葉に一瞬呆気に取られて、照れ隠しに問いかけた。
「あーん? じゃあ私が王太子を退いて、身分すらなくなったらどうするよ?」
「……そんなことになったら、さっさと息子に辺境伯の座を渡して、お前と冒険者にでもなってやるさ」
絶句した。
今までにこういった軽口はよく交わしてきた。
でも、どちらかというと「国王になったら」「将軍になったら」と、地位のある方の軽口だった気がする。
二人して身分がなくなったら。
生まれたときから逃れられず、当たり前だと思い、投げ出す気もない責任。
それを放り出してしまったら、なんて。
「ははっ、じゃあ気兼ねなくお前の想い人を探しに行く旅に出られるな」
「最初の旅の目的がそれか?」
どこか呆れを含んだ声音に、先ほどよりかは明るさが乗った気がした。
「当たり前だろう? お前が想い人と一緒になって、幸せで情けない顔しているのを見るのが、長年の私の夢なのだから」
「……おかしなことを夢にしてくれるな」
困りながら照れたアステライトの顔を見て、胸を撫で下ろす気分だった。
小脇に置いていた、リオノーラ嬢が土産に持たせてくれたクッキーが入った袋をアステライトにひょいと投げ渡す。
「なんだ?」
アステライトはさすがの反射神経で、危なげもなく袋を受け取る。
「いただきもののクッキー、美味いから食べろ。まずはそのボロボロの状態を回復させるためにも、ちゃんと食って、ちゃんと寝ろ。立派な毛並みがみすぼらしくなるのは、見ているこちらにしてみればもったいなくてかなわんよ」
「今日は一日、狼扱いか、まったく……」
ぶつくさ文句を言いながら、アステライトは袋からクッキーを取り出して口に運んだ。
「……ん、美味いな。懐かしい味がする」
「懐かしい? 変わった感想だな」
「そうか? そう感じただけだ」
遠慮なくクッキーを食べるアステライト、その顔には彼らしい笑顔が戻っていた。
今はこれで、ひとまずは安心だろう。
アステライトはまた、どこにいるとも知れない想い人を探す日々に戻る。
それは戦いと似た日々。
もしかするとそれ以上に辛い、飢えと渇望の日々かもしれない。
それでも、愛を知っている友の姿は眩しく、やはり誇らしく見えた。
リオノーラ・エルトフォード
フォーレスタ・アスラン
アステライト・ウォルフィンリード




