リオノーラの過去 王城にて
馬車に揺られながら、見えてきた王都の城壁と、そびえ立つ王城を窓からぼんやりと眺め見る。
ただの魔女のリオとしてステラに別れを告げてからもう五日経っていた。
それなのに、ちょっと気を抜くと思い出すのはステラのことばかりで。
ついでに、彼に与えられた気持ちよさも思い出してしまって。
頭の中が溶けかかる。
表情が緩みきってしまいそうになる。
だからぎゅっと気を引き締める。
思い返せばとんでもないことをしてしまったもんだ、と反省しないわけでもない。
公爵令嬢が町娘みたいに冒険者の女性みたいに、思いのまま男性と一夜を共にするとか、あってはいけないでしょう。
重々承知で、それを選んだのだけれども。
そしてそんなわがままに、ステラは応えてくれた。
私の中に一生残る思い出だと、胸の内に秘めておく。
……ただ一つ心配事が残るとしたら、子が出来ていたらどうしよう? ということだ。
自分の腹をそっと擦る。
ステラは私のなかに溢れるほど、肌をつたって滴るほど、子種を注いでくれた。
その意味が分からないほど、勉強会をおざなりに聞いていたわけではない。
ちゃんとステラも私の身体で気持ちよくなってくれたんだと分かって、嬉しさだけが込み上げた。
子どもが出来ていたとする。
そうなれば兄様に隠し通すことはできないから、どうしよう? 素直に打ち明ける? それとも公爵家を去る?
たとえ公爵家を去ったって、もう周知となった私の存在は消せない。消すだけの権力を私は持っていない。
シフィアフラ父様がミオシス母様の失踪を隠し続けたみたいなことが私にできるわけがなく、兄様に再びそんなことをさせる気にはなれない。
だったらやっぱり全部をちゃんと話して、兄様にも生まれてくる子供を可愛がってもらえたら、それが一番いい。
公爵家を継ぐ子になるとかそんなことは二の次。ただ、生まれてくること、生まれてきたことを喜んでくれたら。
そして、一緒に暮らせたら。
父無し子にしてしまうのは申し訳ないけれど、それでも、ステラの子どもを授かったのなら私はその子を慈しんで慈しんで、暮らしていける。
……妄想が過ぎた!!
馬車は滑るように到着し、私は別の馬車に乗っていたソーラス兄様が迎えに来てくれて、エスコートを受けて、王城の中に足を踏み入れた。
ソーラス兄様が隣国へ出発する前の、最後の国王陛下と王太子殿下との謁見。その後、王太子殿下に私的な茶会に招かれている。
私はそれにご一緒する約束をしている。
王城は立派で、荘厳で、きらびやかで、いつだって心の中で感嘆の声をあげたくなるけれど、冷たさと、張り詰めた緊張感と、無作為な敵意と、ピリピリとした政治的な駆け引きの戦場だと感じるばかりだ。
ここにお住まいの王家の方は、父の従兄弟で、兄を昔から知っていて、私も血が繋がっている。
それを思うと、心が少し痛む。
どうか、私には冷たく感じる王城の空気も、暮らしも、彼らには安らぎも温かさも感じられるものであるようにと願いながら、王との謁見の間に入っていくソーラス兄様を見送った。
しばらくは王城の応接室で兄が戻るのを待つこととなった。
エルトフォード公爵家から連れてきた護衛の騎士たちと、侍女とメイドたちが私の側についている。
もちろん、王城の警備や要人の警護としての王城の騎士たちもいるのだが、兄からの指示で、王城の執事とメイドたちからの給仕や必要以上の調進は受けとらないと断っていた。
王城で最高級の待遇を受けながら、真っ向からそれを断る。
王族から提供される茶や食事を「信用ならないからいらない」と突っぱねているのだ。その無礼さ加減を理解しないわけではないが、私は兄公爵の言葉に従った。
どうやら私に調進をしにきてくれた執事とメイドは古くから王城に勤める者であったようで、気分を害した様子もなく、その理由を分かっている、と無言で微笑んで下がっていった。
そして時間が経ち、もうじきソーラス兄様が謁見を終えて王太子殿下と茶席に向かうから、私もそちらへ向かうようにと案内役の執事がやってきた。
その執事はエルトフォード公爵家護衛たちも何度も見知った王城勤めの者で、私は信用を持って案内に従った。
少し待っていただけの間に、含めようと思えばどれほどの悪意ある手が伸びていたかと想像する。
たとえば応接室に案内されても、そこで罠を張っていた政敵に襲われることもあるだろう。
王城の執事やメイドが提供したものだからと不用意に口をつけて、それが毒や痺れ薬、眠り薬だったら?
移動の案内と言って、素直に従い、連れて行かれた場所が違えば? もしくは政敵の待ち構える場所だったら?
簡単に考えつくものでも、十分に危ない。
手練れの策士であるならもっとやれるだろう。
国王陛下の御座す王城で、物語の中のような事件が起こるなんて、心配のしすぎだと思われそう?
王城の警備も護衛も、騎士たちも立派なものだ。もちろんメイドや執事も。
王城で勤めることができるだけの技量と、作法と知識と身分を持っている。
だけど、それゆえ、どこの貴族の息が掛かっているかはは把握しきれない。どこの派閥に所属しているか、分からない。
王城という厳粛な場だけれど、国の政治に携わるすべての者が、この場に訪れる。
だからこそ、この場で行動を起こし、狙われ、何かが起こることもある。
多分これが普通、……なんだろう。
そんなことが王城内で起こってしまう警備や騎士、使用人たちの管理状態なんて、王族の手腕に問題があるんじゃないか? なんて考えの及ばない若い貴族や、市井の者たちは言うかもしれない。
けれど、王様たちにとっちゃ、知ったこっちゃねえ、だと思う。
おっと、公爵令嬢らしからぬ言葉遣いでした。
日々国政で忙しいのに、貴族の権力争いのいざこざのすべてまで管理できるわけもない。
下手すれば自分たちも同じように命を狙われる中で国のために采配を振るっているのに、自分の家の中の端っこで勝手に血なまぐさいこととか、ケンカとか、人さらいとかやっちゃうんだもん。
いい加減にしてくれって思うよね。
そして案内について歩いていく私の前にも、一触即発、事件勃発です。
王太子殿下の招く庭に行こうとする廊下に居ることのできる者は、同じく貴賓として招かれている者か、要職に就いている者か、あまりにも高位貴族であるか、王家とよほど親しい間柄の者だ。
道の先に、こちらに背を向け、立ち塞がるように居た者はその中で、要職に就いている、高位貴族、の男性だった。
私が近づいたことに気づいて振り返る、初老にさしかかるかという相貌の、それでも精力的な男性。
案内役の執事が礼儀正しく彼に向かって頭を下げる。
公爵令嬢という立場であるならば、王族以外に容易く頭を下げるわけにはいかない。
だから、彼を見た。
振り返ったその男性の高圧的な眼差しを真っ向から受ける。
現宰相、ナノシィラ・ペイジフィール侯爵。
その名と特徴はソーラス兄様から聞いていたので、その人だと思った。
そして、私を見るなり、彼は。
「……シフィアフラ様」
亡き父様の名前を、驚きと共に呟いたのだった。
リオノーラ・エルトフォード
エルトフォード公爵家の皆々
アスラン国王城勤めの皆々
ナノシィラ・ペイジフィール宰相




