リオノーラの過去 男子禁制座学の時間・叶わない幻想
毎日数時間取られた勉強会は、まるで遠慮のない女性たちの本音が飛び出す、男子禁制の楽しい秘密の教室になった。
有志のメイドたちが入れ替わり立ち代わり。
最初は、きちんとした知識をつけるための座学であったものが、若いメイドたちにも勉強の場となり、経験の少ない未婚の女性たちの勉強の場となり、メイドの枠を越えて城中の女性たちの耳に入り、職種の関係ない交流の場となり、ついには経験豊富な者たちの体験談となり、続いて既婚及び出産経験者の体験談まで語られる場となった。
私にとって一番の収穫だったのは、城中のあらゆる年代の女性たちとひときわ仲良くなったことだ。
もともと皆と仲良くしていなかったわけではないけれども、やはり私は公爵令嬢で、彼女たちは使用人。
気安く声をかけることもできないし、気安く言葉を聞くこともできない。
でもこの勉強は、恥ずかしながら、どういう行動を取った、どういう感情を抱いた、ということを聞かなければ全くもって意味をなさないのだから、言葉を交わし、意見を交わさなければ始まらなかった。
私よりも少し下のメイド見習いから、筆頭メイド長リエルより歳上の、最年長のメイドまで、全員と言葉を交わすことができた。
「えー、毎日勉強時間の後半には話が脱線してしまっているのを反省しております。なので今日こそは、今までの知識から起こりうる、いいえ、現実に起こる女性の身の危険について語り合いたいと思います」
教鞭を振るビオラに向かって、パチパチパチ、と、主に座学の勉強対象となっている私や年若いメイドたちから拍手が上がる。
「まず、どんなときでも明確に男女には力の差があることを念頭に置いておきましょう。それはたとえ、騎士となった女性であっても痛烈に感じる力の差です」
同じく、今日の勉強会に参加してくれているエルトフォード家騎士団の女性騎士数名が、深くうなずいている。
「多くの女性にとっては意図しない異性の相手に触れられることは苦痛と嫌悪以外何ものでもありませんが、男性はそこまでではない、というのが一般的な思考です」
驚くと同時に、理解しきれなくて首を傾げる。
ビオラが例をあげてくれる。
「女性は『勝手に触れられる→なんで勝手に触るのコイツ、気持ち悪っ』が、通常思考ですが、これが男性になると『勝手に触る→なんだこの子、俺に気があるのか?』に変換されます」
その大きな違いに、思わず、おお……、と若干引き気味の呻きをこぼす若者と、呆れながらうなずく経験豊かな女性たち。
「もちろん、多くの男性、であって全員とは言いません。想像ですが、ソーラス様がもしそんなことをどなたかにされたなら、即座にその女性を色仕掛けをしてきた間者として、紳士的に対処なさるでしょうね」
私を含め、全員がその意見に納得してうなずいた。
「こういったものに対処できるかどうかというのも、立場や経験が必要でしょう。ですが、多くの男性はそれほど女性に対して抵抗感がありません。だからこそそういう男性を手玉に取って、籠絡する女性もたくさんいます。女の武器を存分に使う。賢くもあり、厄介でもある」
同性としてそんな女性のことに、いろんな意見が出てきそうだ。
ビオラにも何か経験があるのだろう、ぐっと堪えて、今は教鞭を振ることに戻った。
「女性に対して抵抗感があまりない男性側は、力で女性を屈服させよう、力付くで女性をモノにしてしまおう、ということをやってのけてしまうことがあります」
「犯罪です!!」
「そう、犯罪です。でも、できてしまうのです」
ゾワッと身が震えた。
怖気が震ったのは、年齢関係なく、皆だった。
部屋の温度が少し下がったような気さえした。
「そうできてしまう力をなまじ持っている分、女性を屈服させることを楽しむ男性もいます。女性を快楽を得るためだけの道具としてしか見ていないような頭のおかしい思考の持ち主もいます。たとえ普段は優しくあっても、怒りに任せたり、欲望に身を委ねたり、男はいつでも理性のない獣に変わることができるのです。そしてその歯牙にかかるのは」
ビオラはそこで言葉を止めたが、答えは誰もが分かっていた。
「もう一度言いますが、どれだけ鍛えようと、用心しようと、力で敵うことができないほうが多いのです。だからこそ、そうなりたくない相手とは一線を引く。二人きりにならない。諸々の対策を考えましょう!! はい、みんな、意見意見!!」
ビオラが促して、みんなの口から考えうる危険な状況にならないための用心と対策が上がっていく。
私はそれもちゃんと聞いて、たくさん考えた。
貴族というものは、体裁と体面をとても大事にしている。
釣書を送ってきた貴族の男性たちは、それなりにちゃんと理性と常識とを持ち合わせている者たちだろう、とは思っていたけれど、その中に、女性を屈服させて喜ぶような心根を持った者がいないとも限らない。
私が釣書の中のどこかの貴族の男性と結婚するとする。
そうすれば、その貴族と兄様との関係は?
もしも私がその者と良好な関係を結べなかったら?
私を屈服させ、蹂躙して、酷い目に遭わせ、子供を産ませるような相手だったら?
兄様はそんな相手を許しはしないだろうけれど、私の命を盾に取られたら、動きにくいんじゃないだろうか?
もしかしたら、私を理由に、エルトフォード公爵を操ろうなんてだいそれたことを考えもするかもしれない。
なんて恐ろしいことだろう。
私の存在は、間違いなくソーラス兄様の弱点であり、足枷だ。
私は、いつだって無事でいなければいけない。
誰かに囚われ、脅かされるような状況にいてはいけない。
きりりと、意志を引き締める。
貴族の結婚に、愛や恋は必要ない。
必要なのは家を継ぐための子作り。そして領民の幸福の継続。
その合理性は納得ができる。
納得は……、できるんだけど。
好きでもない人と身体を重ねる?
ええっと、あんなとこやこんなとこを重ね合わせたりする?
そもそも、唇だって重ね合いたいとも思わないんだけど?
「皆は気持ちがいいって言ったけれど、そんな男性相手に気持ちよくはなりたくないなぁ……」
考えとどめていたはずだったのに、ボソリと声に出ていたようだった。
もちろんその呟きを、メイドたちが拾わないわけはなかった。
「あら、リオノーラ様、勘違いなさっておられますよ?」
「ひえ?!」
「ええ、気持ちいいかどうかは、その男性の手腕に大きく関わってきます」
「手腕?!」
「女性側はどうやったって初めては痛いものです。個人差はありますが。そしてそれをどれだけ緩和させることができるか。それはお互いの思いやりと、大きく、男性側の技術と気遣いと手法と腕前です!!」
力強く教えてくれる経験豊富なメイドたちの言葉。
「好きで好きでたまらない相手と閨を共にしても、どうしても身体の相性が悪いこともあります」
「そう、好き合って結婚したのに、どうやったって男がダメすぎて別れた話もございます」
「そして、とくに気になってもいなかったのになんとなくで閨を共にしたら、素晴らしかったと結婚した者もいます」
そんなことが起こるのか、と感心して口が開く。
「男の人はその技術をどこで身につけるの?」
ピタッと、全員の動きが止まってしまった。
答えは濁されて返ってこなかった。
「平民や冒険者たちは恋多く成長していけますが、貴族のご子息ご令嬢ともなれば、そうはいきません。どんな身分の者も結婚してからお互いを想い合って、お互いに技術を高めていければ理想的なんですがね。世の中が清廉潔白に回っていかないことは、リオノーラお嬢様もご存じですね?」
あんまりにも皆が答えられないものだから、黙って若い者たちの会話を年長者として聞いていたリエルの言葉に、全員の視線が集まる。
「世の中には悪と分かっていても手を出してしまう甘美な罪が溢れかえっています。男女の営みも、一歩間違えば簡単にその罪に触れるものです。私どもがリオノーラ様にそれを見せ体験させることなど絶対にさせません。ですが、それを理解するために様々な書物、そして物語がございます」
大好きな本の話になった。
きっとそれは私が今まで触れもしてこなかったあたりのことが書かれている物語なんだろう。
「まずはみんなからおすすめの本など紹介してもらいましょうか。そして、抱いた疑問を語り合うなど、いかがでしょう?」
私は大賛成で、メイドたちもそれぞれ喜んで、私以外にもおすすめの本を交換し合うことになった。
あれからいっぱい、知識はついた。
ついたんだけど、それを自分に当てはめると、どうしてもどこかズレているというか、本当にそんなことが自分の身に起こるのかとか、現実味がなくって想像がつかない。
今日読んだ本を閉じて、ベッドに潜り込む。
どうしてもどうしても、まだ比べてしまう、森の家のささやかなベッドとの違い。
そもそも比べるのもおこがましいほどの立派さだけど。
明かりを消した、薄闇に沈んだ部屋をぼんやり見つめる。
公爵令嬢になって、メイドたちに湯浴みや着替えも手伝われるようになって、他人に肌を晒すことも多くなった。
でももちろんそれは同性の女性で、仕事として接してくれていることだから、閨事のこととは懸け離れている。
私はいつか誰か貴族の男性と結婚して、その人に肌を晒して、肌を重ねて、身体の中まで触れ合うの?
それは愛や恋とは違う感情の果てに?
森の家に住んでいたとき、強盗や人攫いなんかが来て、と想像したことがある。
そのときは、至極当然に殺されることばかりを想像した。
正体の全く知れないステラを手当てしていたときも、傷だらけの狼さんが目を覚ましたら、恩義を感じてくれずに頭からバリバリと食べられてしまうことをたくさん想像した。
でも、それも殺されるということだった。
まさか、女であるというだけで、そういう目に合うことがあるとは、今の今まで思いもしていなかった、子供だった私。
それは死ぬより辛いかもしれないこと。
嫌悪を覚えても受け入れなきゃいけないことかもしれない。
これから先、どういうことが起こって、どういう相手と結ばれるかなんて、ちっとも想像つかない。
どれほど痛いとか、気持ちいいとか、そんなことも想像つかない。
「……痛いのか……」
嫌だなぁ、と思ってしまう。
そして、目を閉じて、小さくため息を吐いた。
どうせ痛い思いをするくらいだったら、その相手はステラがいいなぁ。
それだったら、喜んで我慢するのに。
ステラとだったら、触れ合いたいと思う。
あの人の匂いも、体温も、繋いだ手の熱さも覚えている。
なんの身分もない私の名を呼んでくれた、彼の唇が私の唇に触れたら、どんな気分だろうか?
あの、青空色の隻眼を見つめながら、肌を重ね合わせたら?
叶わない幻想。
叶うわけのない願い。
『愛も恋も得られないのなら、初めて身を任す人は、ステラが良かったな……』
わずかな好意を持っていたら、男の人は女の人を抱けるらしいと、メイドたちは言っていた。
だったら。
……だったら。
かすかな期待が胸の奥に灯った。
勝手に溢れた涙はすぐに枕に吸い込まれて消えたから、私はそのまま眠りに落ちた。
リオノーラ
ビオラ
リエル
メイドの皆々




